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1989年にデビュー、日本中が夢中になった“演歌界の異端児”『香田晋』の今――芸能界引退後、“まさかの転身劇”とは

  • 2025.7.24

かつてテレビや雑誌で頻繁に目にした芸能人は、今どこで何をしているのでしょうか。時代とともに移り変わる芸能界で、一世を風靡した有名人の“その後”は、多くの方が気になるテーマです。今回は、演歌歌手としてだけでなく、バラエティでも活躍していた香田晋さんの現在に迫ります。引退、そして出家。大胆な転身の裏にあった思いとは――。

※本記事は、筆者個人の感想をもとに制作された記事です。

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(C)SANKEI

「演歌界の永平寺」で鍛え上げられた下積み時代

香田晋さんは1967年、福岡県出身。1989年、『男同士』で歌手デビューし日本レコード大賞新人賞を受賞。船村徹一門の弟子としてスタートを切り、北島三郎さんや鳥羽一郎さんらの背中を追いながら、着実にキャリアを築きました。修業時代は、“演歌界の永平寺”とも呼ばれる厳しい環境。早朝5時からの庭掃除や買い出し、料理、洗濯に加え、師匠のかばん持ちや深夜の付き合い酒など、ほとんどの時間が雑事に費やされていたといいますが「来年も咲いてほしいと思って、肥料をあげなさい」と師匠から言われながら500株のツツジを世話した経験を、香田さんは「心を教わっていた」と振り返っています。

演歌歌手から“バラエティの人”へ、そして違和感

1990年代から2000年代にかけては、テレビ番組への出演も増え、バラエティ番組でのコミカルな立ち振る舞いが人気を集めました。当初は歌の宣伝を目的とした出演でしたが、次第に“香田晋=バラエティタレント”というイメージが定着。「歌と関係ないことで呼ばれるようになり、気づけば違う道を歩いていた」と当時の心境を明かしています。

多忙を極める中で心が追いつかず、やがて歌が楽しいと感じられなくなっていったといいます。「心が入らない歌を人前で歌うなんて、詐欺みたいじゃないか」。そう思ったとき、引退を決意。

一瞬ためらいは感じましたが、考えてみたら、僕はこれまでにも「大事なもの」を捨てているのです。14歳で家族と離れたこと、18歳で倉敷を出たこと。でもその先で、さらに世界が広がりました。
大きなものを捨てると、大きなものが入ってくる、と経験的に知っていたのです。おかげで、不安を抱きすぎず済みました。
あとはオファーをすべて断り、芸能界にかかわる持ち物もすべて手放し、最後は感謝の思いを持って、去ることができました。
出典:「THE21ONLINE」2024年02月05日

引退から得度へ。“心の再生”に導いたもの

2012年、所属事務所を退所し、引退後は、本名の「鷲崎孝二」名義で絵の個展を開いたり、古民家を改装した料理店を開業するなど、新たな挑戦を重ねていきます。また、鮪解体師1級免許も取得し、料理への造詣も深めています。

2018年、神奈川県で再出発。仏壇に手を合わせる日々の中で、少しずつ心が回復していったといいます。そして、同年に曹洞宗・徳賞寺で得度し、僧侶「徹心香雲(てっしん こううん)」として新たな人生をスタート。現在は、講演活動などを通して“心のあり方”を伝えています。出家後の僧侶活動は、福井県美浜町の徳賞寺を拠点にしており、横浜の自宅と往復しながら僧侶として活動しています。

「完全復活は、何歳からでもできる」

かつて“塗装業の職人になろうと思っていた少年”は、運命に導かれるように演歌歌手となり、TVの世界へ。激しい流れの中で心をすり減らしながらも、最後は“自分の人生”を取り戻す選択をしました。

僧侶・徹心香雲としての歩みは、芸能界とは違った形で、人々の心を照らし続けています。


※記事は執筆時点の情報です。