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1994年、日本中に響き渡った“異例のヒット曲”  時代を彩った女優の名曲が、今でも胸に残るワケ

  • 2025.4.4
(C)SANKEI

1994年、誰もが魅了されたJ-POPの名曲があった

「31年前の今頃、どんな曲が流れていたか覚えてる?」

1994年といえば、音楽ではMr.Children『innocent world』が話題となり、小室哲哉プロデュース作品がJ-POPの中心を占めはじめていた。ドラマでは『家なき子』が社会現象になり、映画では『ライオン・キング』がヒット。音楽もテレビも勢いに満ちあふれていた時代だった。

そんな中、ひとりの女性アーティストが、優しさと力強さを同時に抱いた名曲を歌い上げ、日本中の心をつかんだ。
その曲が『恋しさと せつなさと 心強さと』。

篠原涼子 with t.komuro 名義でリリースされたこの一曲は、1990年代を象徴する名曲として、今もなお語り継がれている。

誰もが口ずさんだ名フレーズ——『恋しさと せつなさと 心強さと』とは?

『恋しさと せつなさと 心強さと』は、1994年7月にリリースされた篠原涼子のシングル。アニメ映画『ストリートファイターII MOVIE』の主題歌として使用され、映画の枠を越えて日本中で大ヒットを記録した。

作詞・作曲・編曲はすべて小室哲哉。自身がプロデュースを手がけた“TKサウンド”が絶頂期に差しかかっていたこの時期、彼の手がける音楽はまさに“時代の音”だった。

それまでアイドル・タレントとしてのイメージが強かった篠原涼子が、この楽曲で“本格派ボーカリスト”としての存在感を確立。
繊細でありながら凛としたボーカルは、多くのリスナーの胸に響いた。

なぜこの曲は、社会現象となったのか?

(C)SANKEI

 

小室哲哉によるメロディは、激しすぎず、切なすぎず、絶妙なバランスで“感情の余韻”を残す構成になっており、サビが終わってもなお心の中に残り続ける“フレーズの力”があった。

また、当時のテレビ番組やドラマと連動する形で、篠原涼子のメディア露出も増加。バラエティやCMでも笑顔で親しまれていた彼女が“歌で泣かせる”というギャップも、視聴者の心を強く掴んだ。

結果として、CDの売上は200万枚を超える異例のヒットを記録。女性ソロアーティストによる代表的バラードのひとつとして、J-POP史に名を刻むこととなった。

『恋しさと せつなさと 心強さと』が残したものとは?

この曲は、1990年代の“女性像の変化”を象徴するような一曲だったのではないか。

自分の気持ちに素直で、だけど他人に依存しない。
そんな等身大の感情を、派手な演出ではなく、あくまで自然体で表現したこの歌は、“自分の気持ちを肯定してくれる歌”になったのだろう。

また、篠原涼子という“職業のジャンルを越えた存在”がこの曲で評価されたことにより、のちに松たか子、柴咲コウ、上白石萌音らが“女優としても、歌手としても活躍する”道を切り拓く影響の一端を担ったといえる。

31年経っても、心に残る“あの頃の気持ち”

1994年にリリースされたこの楽曲は、いま聴いてもまったく古びていない。

誰かを忘れられない人にも、場合によっては恋をしている人にも、言葉にできない気持ちを抱えた人にも——
この曲は、そっと寄り添い、背中を押してくれる。

「恋しさと せつなさと 心強さと」
たったそれだけの言葉なのに、どうしてこんなに胸に響くのか。

それはきっと、誰もが一度は、その言葉に重なる気持ちを抱いたことがあるからだ。


※この記事は執筆時点の情報です。