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32年前に放送され、“狂気的”な恋愛を描いた衝撃作…今でも記憶に残る学園ドラマの“魅力”とは?

  • 2025.3.26
(C)SANKEI

アメリカで制作された日本を舞台にした時代劇ドラマ『SHOGUN 将軍』が高い評価を獲得したことで、俳優&プロデューサーとして作品に関わった真田広之に改めて注目が集まっている。

子役時代から活躍する真田はアクション俳優として高く評価されていた。その後、師匠の千葉真一の跡を継ぐかのように世界的なアクション俳優へと成長したが、筆者のようなドラマファンにとっては、真田の出演作というと1993年に放送された連続ドラマ『高校教師』が真っ先に頭に浮かぶ。

『高校教師』は教師と女子生徒の禁断の愛を描いた学園ドラマだ。

物語は大学の研究室の助手として働いていた羽村隆夫(真田広之)が、理科の講師として女子校に赴任するところから始まり、女子生徒の二宮繭(桜井幸子)と惹かれ合う姿が描かれていく。

真田が演じる羽村は32歳だが、年齢のわりに幼く頼りないところがある。

臨時の教師になったのも教授に言われたからという消極的な理由で、実は羽村の研究が教授に奪われ、婚約していた教授の娘も羽村の同僚と浮気していたことが後に明らかとなる。 また運動も苦手で、顧問となったバレー部の練習にもついていけず、顧問を辞めろという部長から体力があることを証明するために腕立て伏せを100回やるように言われて挑戦するが途中で力尽きてしまう。このあたりアクション俳優の真田が演じていることを踏まえると逆に面白いのだが、本作の真田は、強さよりも弱さが全面に打ち出されている。

真田広之の”弱さ”が魅力的な『高校教師』

教師の仕事に対しても、任期が終われば研究室に戻るつもりだったためあまり熱心ではなかった。放送当時はまだ、教師が主人公の学園ドラマというと『3年B組金八先生』や『スクール☆ウォーズ』のイメージが強く、教師といえば熱血漢で生徒のことを一番に考えるカリスマ的存在だった。しかし羽村にはそういった熱血教師としての力強さは希薄で、とても頼りない平凡な教師だった。だが、その「弱さ」こそが繭を惹きつけたのだろう。

第1話で繭は、赴任して不安な羽村に「私が全部守ってあげるよ。守ってあげる!」と言う。 生徒が教師に言う台詞としては違和感があるが、逆説的な台詞だということが次第にわかってくる。大人から守られるべきか弱い少女に「守ってあげる」と言われた男性教師が、やがて繭と近親相姦の関係にあった芸術家の父親・耕介(峯岸徹)から彼女を守ろうとした結末、悲劇的な結末を迎える様子を踏まえると、作品を象徴する台詞だったと感じる。

物語は羽村と繭のラブストーリーと、繭の親友の女子生徒・相沢直子(持田真樹)と体育教師の新庄徹(赤井英和)と周囲の女子生徒からアイドル視されていた英語教師・藤村知樹(京本政樹)の三角関係が描かれるのだが、もっとも爪痕を残したのはやはり藤村だろう。

藤村は自分に憧れていた相沢を視聴覚室でレイプし、その姿をビデオに撮影しこのテープを公表されたくなければ、自分の言いなりになれと脅迫する。 藤村の本性を知った相沢は、親友の繭にも本当のことを話せずに孤立する。 その後、厳しい指導ゆえに生徒から嫌われていた体育教師の新庄に話しかけられたことで心を通せるようになるのだが、やがて相沢が藤村の子どもを妊娠していることが発覚する。 被害者となった相沢に自分を愛してくれと迫る藤村は、人として最低だが、京本政樹のナルシスティックな狂気をはらんだ怪演のせいか、どうにも憎めない魅力がある。

彼は自分の外面を見てアイドル視している女子生徒に対して深く絶望しており、無条件に自分のことを愛してくれる存在を求めていた。そのために、相沢を自分の支配下に置こうとした。だから彼女が妊娠したと知った時も喜んでいたのだが、相沢から見れば藤村は得体の知れない化け物でしかない。それは繭の父親にしても同じことだ。 放送当時は桜井幸子や持田真樹といった女子生徒を演じた若手女優が目的で観ていたが、今観ると、彼女たちに執着する教師や父親の間違った愛の哀しさに見応えを感じる。

脚本家・野島伸司の最高傑作

本作の脚本を担当する野島伸司は、当時は『101回目のプロポーズ』、『愛という名のもとに』といったフジテレビのドラマで高視聴率を叩き出し、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気脚本家だった。

この『高校教師』は野島がはじめてTBSで手掛けたドラマだが、数々の名作ドラマを世に送り出してきた金曜ドラマで放送されてきたこともあってか、これまでのフジテレビのドラマに比べて、より強い作家性が打ち出された文学的な作品となっていた。

そんな本作の文学性を象徴していたのが、森田童子の主題歌『ぼくたちの失敗』だろう。 森田は1970年代に活躍した伝説のフォークシンガーで『ぼくたちの失敗』には70年代の学生運動の失敗によって当時の若者たちの間に蔓延していた挫折感が、少女がささやくような声で歌われていた。そんな70年代の若者の挫折感は、バブル景気が崩壊し日本に不況の荒波が押し寄せはじめた90年代前半の空気は「ぼくたちの失敗」という意味において奇跡的にシンクロしていた。

そして、白を基調とした作品全体のビジュアルは、過激な性描写が連続する悪趣味な物語をうまく浄化しており、残酷で悪趣味なのに神聖で美しい世界へと昇華されていた。

『高校教師』の成功後、野島は名実ともにヒットメーカーとなり高視聴率を連発した。残念ながら過激さを売りにした当時の作品の多くは、今観ると陳腐で色あせており、90年代前半という時代の空気込みで需要されていたものだったと感じてしまう。

だが、TBSで制作した『高校教師』、『人間・失格~たとえば僕が死んだら~』、『未成年』の三作は野島ドラマの金字塔といえる作品で、物語作家としての大胆な筆致と学校を舞台に現代人の閉塞感をナイーブな台詞とモノローグで吐露させる詩的な感情表現は今見ても胸に刺さるものがある。中でも『高校教師』は、もっともバランスが良い作品だ。

羽村と繭の愛の行く末は破滅的だがどこか甘美で、今観ても全く色あせておらず、テレビドラマの古典として殿堂入りしたと言って過言ではない。

『SHOGUN 将軍』を観ている海外の真田広之ファンの方にも、是非とも観てもらいたいドラマである。



ライター:成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)、『テレビドラマクロニクル 1990→2020』(PLANETS)がある。