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「2025年どころか21世紀最高傑作」唯一“見逃したくない”【NHKドラマ最終回】残った余韻に大絶賛の声

  • 2025.3.7

各方面から絶賛の声が続いたドラマ『東京サラダボウル』がついに完結。3月4日(火)に放送された最終回はスピード感がありながらも、じっくりと余韻を残す展開だった。SNS上では「感想がまとまらない」「終わっちゃったのが寂しい」との声が多く、視聴者の心に深く刻まれた作品となったことがわかる。織田(中村蒼)の死の真相、阿川(三上博史)の罪、そして有木野(松田龍平)と鴻田(奈緒)の関係性……それぞれの決着が描かれた最終回を振り返り、この作品が伝えたかったテーマについて考えたい。

織田と有木野、阿川……交錯する罪と秘密

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『東京サラダボウル』3月4日放送(C)NHK

最終回まで秘められていた、織田(中村)の死の真相が明るみに。彼が、恋人である有木野(松田)に阿川(三上)の内偵をしていた件を相談できず一人で抱え込んでしまったのは、何も「隠し事」をしていたわけではなかった。かつて有木野が口にしていた願望を思い出し、彼の人生を守り抜きたいと考えたからこそ、背負い込んでしまったのだ。

織田の死の直前、阿川が彼に対して伝えたのは、やはり「(お前らの関係を)全部バラす」という脅しだった。きっとそうなのだろう、という思いと、人としてそこまではしないはず、という性善説が拮抗していたが、織田は阿川からの言葉で完全に追い詰められてしまった。織田が選んだのは、自分よりも有木野の人生と未来を守ること。その道が唯一、自身を犠牲にすることでしか成し遂げられなかったと思うと、なんとも切なさが増す。

有木野は言っていた。自分自身、結婚や将来のビジョンが持てない。だからこそ、せめて警察官としての仕事だけはしっかり果たしたい。その思いが、間接的に織田を追い込んでおり、かつその屈折した感情を阿川は利用したのだ。

この『東京サラダボウル』は、ただのミステリーではなく、また在日外国人をはじめとする社会的マイノリティの生きづらさのみにフォーカスした物語でもない。登場人物それぞれの「選択」と「信念」に、ひたすら誠実に向き合うドラマだった。すべての真相が明らかになったあとの余韻が、視聴者に深い印象を残したのは間違いない。

生きづらさを抱える者たちと、鴻田の存在

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『東京サラダボウル』3月4日放送(C)NHK

「人はたとえ目の前からいなくなっても、かけらとして残る」。最終回の鴻田の言葉だ。織田という大切な人を亡くした有木野に対しての言葉でもあり、彼女自身の過去ともリンクする投げかけでもある。かつて幼少期に交流を重ねていた、在日韓国人の少女・スヒョン(水瀬紗彩耶)を思い出していたのだろう。

このドラマは、日本に暮らす外国人の問題だけでなく、性的マイノリティなど、さまざまな「生きづらさ」を抱えた人々についての物語でもあった。有木野が抱える苦悩もまた、その一部に含まれる。

鴻田という存在は、社会の隙間で苦しむ人々の想いを掬い取るような役割を果たしていたのではないか。彼女は単に有木野を支える相棒ではなく、広い視野で世界を見つめ、あらゆる“こぼれ落ちた人たち”に寄り添う存在だった

ボランティアの「僕みたいなやつ、ずっとあんたら無視して生きてきたでしょ」という言葉には、社会に取り残された者の怒りと絶望がにじんでいた。有木野が「無理でも、探し続ける」と言い切ったのは、その痛みを無視せず、できる限りのことをしようとする強い意志の表れだったのだろう。綺麗事かもしれない。苦しむ者全員を見つけ、救い出すなんて絵に描いた餅で終わるだろう。それでも、淡々とした覚悟に満ちた言葉に希望を見出したいと、願ってしまう。

SNS上でも「最初から最後までずっと良すぎた」「感想がまとまらない」「終わっちゃったのが寂しい」「2025年どころか21世紀最高傑作」と大絶賛が続いていた『東京サラダボウル』。ミステリー要素だけでなく、バディものとしての完成度の高さ、社会のマイノリティに向ける視点の深さが光った最終回だった。この作品は、きっといつまでも視聴者の心のなかに「かけら」として残り続けるだろう。



ドラマ10『東京サラダボウル』 毎週火曜よる10時放送
NHKプラスで見逃し配信中

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X(旧Twitter):@yuu_uu_