昭和を代表する“ある女性アイドル”は、父親にアイドルデビューを猛反対されていたそう。そんななか、オーディション用に提出した1本のカセットテープに収録されていた歌声を聞いたプロデューサーは「絶対に売れる」と確信。1年以上かけて父親を説得し、デビューを果たしました。
今回は、1本のカセットテープで「絶対売れる」→プロデューサーが猛反対の父親を1年以上かけて説得した“昭和のアイドル”をご紹介します!
プロデューサーが父親を1年以上かけて説得した“昭和のアイドル”とは?
さて、クイズです。昭和を代表する“ある女性アイドル”は、デビュー前オーディション用に1本のカセットテープを提出。そこに収録されていた歌声を聞いたプロデューサーは「絶対に売れる」と確信しました。
しかし、父親が猛反対。プロデューサーは1年かけて父親を説得し、デビューを果たしました。いったい誰でしょうか?
ヒント…
①1980年にデビュー
②ヘアスタイルが一世を風靡
プロデューサー・若松宗雄が、書籍『松田聖子の誕生』で語ったデビュー秘話
答えは……松田聖子さんです!
松田聖子さんは、1980年にアイドルデビューし、『青い珊瑚礁』や『赤いスイートピー』など、現在も歌われるヒット曲を連発。その圧倒的な存在感から“永遠のアイドル”とも称され、昭和を代表するアイドルとして、現在も多くのファンに支持されています。
そんな松田聖子さんを発掘した音楽プロデューサー・若松宗雄さんは、書籍『松田聖子の誕生』にて、松田聖子さんのデビュー秘話を明かしました。
当時レコード会社勤務だった若松さんは、オーディション用の1本のカセットテープに収録されていた当時16歳の聖子さんの歌声を聞き、「絶対に売れる」と確信したそうです。
若松さんはすぐさまアプローチしますが、聖子さんの父親は、聖子さんのアイドルデビューを猛反対。若松さんは聖子さんをデビューさせるため、さまざまな手を尽くして父親を説得しました。
聖子さんには“絶対に歌手になる”という信念があり、若松さんは聖子さんの芯の強さも含め、逸材であることを見抜いていたそう。1年以上の説得を経て、ついに聖子さんはデビューを果たします。
「大人数の会議を経て安全策に落ちついた曲ほどつまらなくなる」という考えがあった若松さん。参加メンバーのキャスティングから詞や曲の推敲、音の仕上げ、曲のタイトル、ジャケット写真の選定と添えられるコピーまで、すべてを手がけたといいます。
誰よりも早く聖子さんのスター性に気付いた若松さん。のちに聖子さんはトップアイドルになり、若松さんの努力は実を結びました。
エピソードを知るとより好きになるかも
松田聖子さんは、父親にアイドルデビューを猛反対されていましたが、1本のカセットテープに収録された聖子さんの歌声を聞いたプロデューサー・若松宗雄さんは「絶対に売れる」と確信。若松さんは1年以上かけて父親を説得しました。
1本のカセットテープだけで、聖子さんが「絶対に売れる」と気付いた若松さん。父親の猛反対を乗り越えてトップアイドルになった聖子さんは、時代を超えて多くの人々に笑顔を届けています。