自分の店を畳んだばかりのパティシエ・白井葵(蓮佛美沙子)と、破天荒で押しの強い料理研究家・佐渡谷真奈美(永作博美)が夜な夜な開くお菓子教室を舞台とした夜ドラ『バニラな毎日』。毎週、つくるお菓子と生徒が変わる。3週目に登場したのは、なぜか迷彩服に身を包んだ女性・優美(伊藤修子)だった。ともにモンブランをつくる過程で、彼女は訥々と母に対する思いを口にし始める。
一度見たら忘れられない役者
映画やドラマを観ていると、出演作はそこまで多くないが、妙に印象に残る役者というのは定期的に出現する。劇団「拙者ムニエル」に所属し、元は舞台役者として多くの経験を積んだ伊藤修子も、誰もが知る役者ではない。しかし確実に、一度見たら忘れられない役者だ。
伊藤修子といえば、やはり『おっさんずラブ』シリーズの瀨川舞香役だろう。神出鬼没で、耳に残る甲高い声と、彼女が醸し出す独特のファニーな空気感は、演じる役者を選ぶ。田中圭演じる春田創一と、吉田鋼太郎演じる黒澤武蔵、そして林遣都演じる牧凌太の三角関係を描いたコメディだが、春田たちが務める天空不動産で営業をしている瀨川舞香の存在感は、本作に彩を添えている。
「伊藤修子が出ているから観る」というファンと、「観ている作品に伊藤修子が出ていたら嬉しい」というファン、どちらも存在するのが役者・伊藤修子の密かな凄みに思えてならない。実際のところ、『バニラな毎日』で謎めいた女性・優美としてのゲスト出演が決まった際も話題となった。SNS上でも「只者じゃない」「演技がリアル」「良い味出してる」と好感触の投稿が続く。
『バニラな毎日』は、白井と佐渡谷の二人体制で、一人の生徒に付きっきりで教えるお菓子教室だ。これまでも、外資の金融コンサルで働く順子(土居志央梨)や、ロックバンドのボーカル・秋山静(木戸大聖)らが、生徒としてフルーツタルトやザッハトルテをつくっている。
なぜか迷彩服を着て「人を殺したことがあるんです」と不穏な言葉を口にする優美とつくることになったのは、一風変わったモンブランだった。
母に対する、娘の屈折した思い
優美の様子は、最初からおかしかった。迷彩服を着ていること、「人を殺したことがある」と告白したことから自ずと察せられるのは、彼女の口にする言葉のすべてが本当なわけではないという事実。そして、まだ関係性の仕上がっていない相手に、自らのプライベートを開陳する距離感の不安定さが、そのまま彼女のメンタリティを表現している。
少しずつ明らかになったのは、彼女のついた嘘の真相。「母を殺してしまった」と嘆く優美だが、実は彼女はずっと引きこもりだった。回復しかけていたタイミングで友人と夜通し遊びに出掛けていたら、その間に不運にも母が亡くなってしまったのだ。
親不孝をした後悔の念から、優美の心のなかであらぬ妄想が渦巻きはじめる。引きこもりの自分が遊んでいる間に、亡くなった母。きっと自分を恨んでいるだろう。母を一人にして自分だけ遊んでいたことを、楽しい思いをしていたことを、母は喜ばないだろう、と。
母に対する屈折した思いを主題にした作品は、数多くある。たとえば姫野カオルコ『謎の毒親』(2015/新潮社)などは、嘘か本当かわからない、母の(ときには父の)説明のしにくい奇妙な言動について“相談”する体で書かれた小説だ。親に従わなければ生きていけない子どもの立場だからこそ、生々しく浮かび上がる理解不能な母の姿が、おどろおどろしく描写されている。
しかし『バニラな毎日』の優美の場合、彼女の母がいわゆる“毒親”だったとは言い切れない。優美の回想シーンで、「一人にしないで」「行かないで」と母の声がこだまするが、これは実際に言われた言葉ではないだろう。罪悪感から生ずる幻聴だと考えるほうが自然だ。現に、優美の母親が本当に言ったと思われるセリフは、幻想ではなく生身の母が登場して口にしている。
優美は長らく、自分がつくり出した母の幻想に悩まされていた。それは、世間でいう“毒親”とは違うだろう。しかし優美が苦しんでいるのは事実。そんな凝り固まった心を、白井と佐渡谷の3人でつくるモンブランがほぐしてくれる。『バニラな毎日』第3週は、過去のつらい思い出もお菓子の力で塗り替えられることを示した、誠実な底力を感じる週だった。
NHK 夜ドラ『バニラな毎日』毎週月曜~木曜よる10時45分放送
NHKプラスで見逃し配信中
※記事は執筆時点の情報です
ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_