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「苦しいやら、憎いやら…」実は【連載企画会議】で3回も落ちていた!今や大人気の“国民的漫画”といえば?

  • 2025.2.11
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出典:photoAC(※画像はイメージです)

漫画の連載が決まるまでには、さまざまな壁が立ちはだかります。どれほど才能ある漫画家であっても、編集部の会議で認められなければ連載には至りません。そんな厳しい世界で、3回も連載会議に落ちたにもかかわらず、最終的に認められ、国民的な大ヒット作となった漫画が存在します。
現在では世界的に知られ、ギネス記録にも認定されたこの作品。意外にも、スタート地点では編集部から懐疑的な目で見られていたのです。

この大人気漫画とは、一体何でしょうか?

実は連載企画会議で3回も落ちていた、今や大人気の国民的漫画といえば?

さてここでクイズです!

実は連載企画会議で3回も落ちていた、今や大人気の国民的漫画といえば?

ヒント…

①1997年に『週刊少年ジャンプ』で連載がスタート

②"最も多く発行された単一作者によるコミックシリーズ"としてギネス記録を持つ

「会議で3回落ちた時は、悔しいやら、憎いやら…」

答えは…『ONE PIECE』です!

1997年に『週刊少年ジャンプ』で連載がスタートした『ONE PIECE』(作者:尾田栄一郎さん)。海賊王を目指す少年・ルフィと仲間たちの冒険を描くこの作品は、世界中で絶大な人気を誇る大ヒット作です。

しかし、実はこの『ONE PIECE』、ジャンプの連載会議で3回もボツになっていたという意外な過去を持っています。

『ONE PIECE』の初代担当編集者である浅田貴典さんは、TBSラジオ『サンドウィッチマンの週刊ラジオジャンプ』に出演した際、この驚きのエピソードを明かしました。

当時の連載会議では、編集者たちが漫画の企画を持ち寄り、その作品が連載にふさわしいかどうかを審議します。浅田さんは「『ONE PIECE』は連載会議で3回落ちました。悔しいやら、苦しいやら、憎いやら……でした」と振り返っています。

最初に提案された企画は、"股旅もの"という設定で、ルフィがさすらいの旅をするという内容でした。しかし、この案は通らず、試行錯誤を重ねることに。

結果的に、ルフィの旅立ちの物語として構成し直し、ついに連載が決定。浅田さんも、「最終的に一番おもしろい形になったので、結果的には良かった」と語っています。

「ギャフン!」

この連載会議で『ONE PIECE』に対して懐疑的だった人物の一人が、当時の『ジャンプ』編集部の大物、鳥嶋和彦さんでした。

鳥嶋さんといえば、『DRAGON BALL』の作者・鳥山明さんを見出した名編集者であり、『Dr.スランプ』に登場するDr.マシリトのモデルにもなった人物。

鳥嶋さんが『ONE PIECE』の企画に対して乗り気ではなかったこともあり、連載決定までには時間がかかったのです。しかし、連載がスタートすると『ONE PIECE』は爆発的な人気を獲得。その後、鳥嶋さんと再会した際、尾田さんは「もしこの作品が売れたら、ギャフンといってください」とお願いしました。

そして新年会で再び対面した際、鳥嶋さんは「ギャフン!」と本当に口にしたそうです。まるで漫画のような展開ですが、それだけ『ONE PIECE』が圧倒的な成功を収めたという証拠ですね。

エピソードを知るとより好きになるかも

『ONE PIECE』は、現在では世界的に有名な大ヒット作品ですが、その誕生までには3回の連載会議でのボツという苦難がありました。こうした経緯を知ると、『ONE PIECE』の偉大さがより実感できますね!

漫画の世界では、どんな名作も最初からスムーズに世に出るわけではなく、試行錯誤の末に誕生するもの。尾田栄一郎さんの“諦めない姿勢”があったからこそ、『ONE PIECE』はこれほどの成功を収めることができたのでしょう。

今後もルフィたちの冒険は続いていきます。これからの展開にも、ますます期待が高まりますね!