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最後は許せるかどうか、それが恋愛

  • 2018.4.9
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今月はわりとPOPなことをたくさん書いてきたので、少しはマジメな話をしよう、ということで、今回は、恋愛における「許すこと」について、一緒に見ていきたいと思います。


人を好きになるのって、ある意味では簡単です。誰かのことを愛するのも簡単かもしれない。
たとえば片思いって、そういうことだろうと思います。自分の都合で、と書くと言い方が悪いかもしれませんが、でもいわば自分の都合で相手のことを好きになるのが片思いですよね。

■仕方のないことでもあると思うわけですが

そんなふうにして結ばれた二人であっても、彼とつきあったとき、彼のイヤなところを見てしまって、そこを許してあげないと二人の関係が前に進まないときが出てくるはずです。
彼にイヤなことを言われた(された)ときに、そういう彼のことを許すのか、「絶対に許せない」と思って別れてしまうのか。


べつに許せなくて別れてもいいと思うんです。とくに若いときって、自分で自分のイヤなところを許せないことが多々あるように、相手のことも、どう考えてもどう頑張っても許せなくっても、それはそれで仕方ないことでしょう。若いというのは、許すということを学習している途中ということですから。


あるいはひどい別れ方をした元カレのことを許せないと思って、ずっとネガティブな方向に元カレのことを引きずっている人もいると思います。

■愛にもいろんな種類があって・・・

好きな人や愛する人(好きだった人や愛していた人)を許すことって、誰にとってもしばしばむずかしいことです。
今の彼のそっけない態度が許せないとか、わたしのことを振った元カレのことが許せないとか、そう思っていて、ふつうといえばふつうかもしれません。
でも、そういう人のことをふつうにしれっと許せる人もいて、そういう人って人間ができているというか、すごく豊かな心の持ち主だなあと思います。





恋にしろ愛にしろ、最後は相手のことを許す(=自分のことを自分で許してあげる)ということができないと、どこかに無理がきて、先々あなた自身がつらくなってくることがよくあります。


たとえば・・・・・・と、なにかわかりやすい例を挙げようと思って、恋愛映画をいくつか思い返してみましたが、キラキラした愛のストーリーの映画はたくさんあっても(『タイタニック』とか、そういう愛の映画)、愛がもつ「許し」の側面を精緻に描いている映画って、数が少なくて、むかしの『ニューシネマパラダイス』しか思いつきませんでした。


この映画の冒頭に、編みかけの毛糸のセーターだかマフラーだかがほどけていくシーンがありますが、これがひとつの「許し」の隠喩かもしれません。


愛にもいろいろ種類があるけど、好きだからこそ、距離が近いからこそ感じる「許せない」という気持ちと、少しずつでいいから向き合ってみると、恋愛から得られるものも変わってくるように思います。(ひとみしょう/文筆家)


(ハウコレ編集部)



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