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【女子のばんそうこう】「それ」を凝視してはいけない。

  • 2018.4.5
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Eテレ「ねほりんぱほりん」で以前「整形にハマッた女」が登場していました。

子供の頃から自分の顔がイヤでイヤで、顔と全身を350万円かけて整形した彼女はそれでも満足していませんでした。動画で自分の顔を撮り、横から見た顔のラインを気にしたり、変えた箇所とバランスが合わなくなった他の箇所を直したいと言う。整形によって変われたのはいいけど、キリがないということを自覚もしていました。

その後再び登場した彼女は学生から社会人になっていました。「もう整形していない」という彼女に「あれだけ外見にこだわっていたのになぜ?」とMCが問うと、こんな答えが。「社会に出て気づいたんだけど、目頭がキレイに開いてたり鼻がツンと高かったりアゴがシャープな人っていないんだなと…。大学生の頃は時間があったのでヒマさえあれば整形した女の子の画像ばかり見ていた。基準がそれだけになっていた」

彼女はさらに続けます。

「性格の良さが顔に出るなんて都市伝説だと思ってた。でも会社で素敵な女性を見てると、誰とでも笑顔で話している人だったり、生き生きと仕事している人だったり…それがほんとに可愛く見えるんだと気づいた」

私はテレビを観ながら「それだよそれ!」と膝をバシバシ叩きました。

私も小さい胸がコンプレックスで、かつて豊胸手術を真剣に考えたこともあります(笑)そういう時は関連情報にずっととらわれていたし、女性の胸自体とそれについての男性の意見にばかり目がいっていたので、彼女のハマッた沼にも共感できる部分があったりします。

…いや、今回は別に整形やその是非についてのおはなしではありません。

「ものごとを凝視しすぎてはいけない」というおはなしです。

電車に乗ろうが道を歩こうが、周りを一切見ずに手元の四角い画面を見つめている人。しかしスマホがなくても人は「そればかりをひたすら見つめ、その世界だけに没入する」ことがあります。自分の外見に限らず、人間関係、仕事、好きなものや人…。

凝視は、細部への執拗なこだわりを生みます。

それが活きる道も世の中にはあるけど、日常生活においては大抵、そのこだわりは自分を縛る枷(かせ)にしかなりません。

特に恋愛においての凝視は、大体ろくなことにならない。

「大好きだから彼のことを考えてしまう」くらいなら誰にだってありますが、度が過ぎると「私と彼」の間をつなぐ一本線だけを凝視するようになります。そうすると「LINEを送ったのになぜ30分も既読にならないの」と細部が気になり過ぎ、「どうしたら彼(または男)の気に入る女になれるかな」と目的が単一化先鋭化しすぎ、「恋人がいない自分は価値がないのでは」「彼を逃したら後がないからヤバい」と価値観のオンリーワンが過ぎたりします。

「落ち着け、世界は目の前にもっと広がってんぞ!」そう叫んで肩を揺すぶりたくなる女子、結構多いです。

「男脳・女脳」というのは実際にはないそうなので根拠にはできませんが、それでも全体感で物事をとらえるのが得意な男性よりも、細部に目が行き届きやすい女性の方が、凝視グセがつきがちです。

「いま自分がヒリヒリしすぎててマズい…」そう思ったら何かを凝視しすぎてる可能性大。なるべく俯瞰で見られるようにスッ…とスウェーバックしましょう。

私たちがのぞいて一喜一憂しているのは、時にとても小さくて限定的な世界です。たったの一本線です。その中だけで細部にこだわったり優劣つけようとしたり不安になったりするのは、バカみたいです。

ちょっと目を離して周りを見てみれば、あなたからは何十本何百本もの「誰かとつながってる線」が出ているし、何ならそんな線すらなくて世界のどこにでも新たにつながれる。価値観は人の数だけある。死にたくなるほど深刻な悩みは実はむちゃくちゃ大したことないってことにも、気づいたりします。

女が大人になるということは、近い近いところからなるべく目を離し、一歩引いて物事と周りのあれこれをまるっと眺められることなのかもしれません。

ヒリヒリ、イライラしたら、俯瞰。鳥瞰。

唐突ですが、氣志團(10年以上ファンです…)のギタリスト西園寺瞳さんはその長身ゆえに「バードビューからアイラブユー」というキャッチフレーズを持っています。「女は鳥目線を手にいれよう!」と思う私としては、女子のみなさんにもおんなじフレーズで自分と世界と男を愛して欲しいな…と思ったりするのでした。

Written by こんどうあゆみ

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