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ジェンダーフリーの制服導入?男の子と女の子を考えてみた

  • 2018.3.8

こんにちは。ママライターのマエジマシホです。

前回は、千葉県柏市の公立中学校でジェンダーフリーの制服が導入された件から「男女の差別と区別の違い」について述べました。男女の違いは確かにあります。
それは見た目の違い、体力の違いなどがそれに該当するでしょう。しかし、個人としての嗜好性や興味に男女差はないのではないか、とおもいます。

今回は、男女それぞれの「こうあるべき」という思い込みの危うさについて、考えていきます。

●「こうあるべき」がなぜ危ういのか

なぜ、男女それぞれが「こうあるべき」という考え方が危ういのか、というと、集団の中で「あるべき」枠に入ることができなかった存在を、集団が排除しようとする動きが出る可能性があるからです。

筆者が小学生のころ、同じクラスに男の子向けの服を着て、男子と一緒にサッカーをする女の子がいました。

彼女はとても勝気でケンカも男子よりつよかったため、いじめにあうことはありませんでしたが、もし彼女が精神的にそれほど強い人間でなかったなら、おそらくいじめの対象になっていたのではないかと思うのです。

一緒に遊びたい男子からは弾かれ、女子からも煙たがられていたのではないでしょうか。

彼女はサッカークラブに入りたいと先生に強く希望しました。しかし、当時、男子しか入ることはできない、という今考えると謎のルールがありました。
結果的に押しの強い彼女に先生方が折れる形で、初の女子サッカークラブ員が誕生したのでした。

ただ、「枠」に入ることができなかった人みんなが、彼女のように強い意志を持って自分の道を切り開いていける人ばかりとは限りませんよね。
良好な人間関係にわざわざ波風を立て、差別やいじめにつながる原因ともなりえる「こうあるべき」という考え方こそ、排除していくべきではないでしょうか。

●「枠の中」=「枠」の外を排除する権利ではない

「こうあるべき」という考え方にもメリットはあるとおもいます。それは「あるべき」枠の中に入ることができる人にとっては、居心地のいい空間を作り出せるという点です。

誰からも糾弾されたり排除される恐怖を味わったりすることはありません。ただ、「枠」の中にいるだけで。確かに「枠」の中にいられる人にとっては「こうあるべき」という考え方は尊重すべきものかもしれません。

ただ、それは「枠」に入ることができなかった人を攻撃したり排除したりする権利を得ているわけではないことを認識しておく必要があります。
選ばれて「枠」の中に入っているわけではありません。たまたま、「枠」の中の居心地が良かった 。それだけのことだからです。

●保護者の声を汲んでジェンダーフリーの制服を導入した英断

千葉県柏市の公立中学校において、ジェンダーフリーの制服が導入された際、筆者が素晴らしいと感じたのは、保護者と一緒に制服を考えたという点です。

まずは保護者に制服が必要かどうかをアンケートしました。9割が制服やジャージを必要と回答したそうです。それに加えて特筆すべきなのは、保護者の側からあがった「LGBTの生徒に配慮した制服にすべきではないか」という声を真摯に受け止め、検討し、結果を出したことです。

そして、ネクタイやスラックスは女子用も用意されることになりました。
この制服を着ることになる生徒さんたちは、変わる時代の先頭を走ることになるのですね。現在4歳になる息子が制服を着る年齢になるころには、ジェンダーフリーの制服が当たり前になっていることを願わずにはいられません。

●結論

「こうあるべき」という考え方は諸刃の刃です。

「枠」にとどまっていられる限りは安心できる場所を得たことになります。
しかし、ひとたび「枠」から外れることになればいわれのない中傷をうけたり排除されたりする可能性を秘めています。

また、「こうあるべき」という考え方は、集団を管理する側にとっては便利な考え方です。画一的で、単純な価値観を共有するだけで済みますよね。
しかしその考え方にいつまでも固執していては多様化する時代に取り残されてしまわないでしょうか。ジェンダーフリーの制服は「こうあるべき」という考え方にも一石を投じたと感じました。

【参考リンク】
・千葉・柏の公立中、性別問わず自由に選べる制服を導入 子供も協議に参加、どんな経緯で決まった?
http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/08/kashiwa-no-ha_a_23356039/

●ライター/マエジマシホ
●モデル/赤松侑里

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