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ネガティブな自分を悪にすると、ネガティブな自分に傷つけられる

  • 2018.2.19
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恋愛コラムはその特性上、特に人気のあるライターの書く記事の主張は強めである傾向が強いために、読む時には少し注意が必要です。


例えば「彼氏にこんなコミュニケーションしてない?そうすると嫌われちゃうから気をつけてね」というメッセージ性を持った記事を読んだ時に、「あ、そうか!そういうコミュニケーションの取り方をすればいいんだ!」と思う人と「なんで私はそういうコミュニケーションができないんだろう」と思う人がいるんですね。


前者はポジティブにその記事を読んでいますが、後者はネガティブに読んでいることがわかりますでしょうか。


これは別に恋愛コラムに限った話ではなく、恋愛の至る局面で起こっています。あなたもどこかで「なぜ私は〇〇ができないんだろう」と自分を責めたことはありませんか?


実はこの一種の反省は、考えるだけ無駄な全く意味のない思考なんです。(ほら、主張が強いでしょう。話半分ぐらいに聞いておくといいですよ)

ポジティブであらねばならない、なんて誰が決めたんですか?

一般的な認識として「ネガティブはダメ」「ポジティブこそ最強」という認識があるように思います。が、果たしてそれは本当に真理なのでしょうか?


少し哲学的な話になりますが、私たちが光を光と認識するためにはその裏に確実に闇の存在が必要です。


太陽の光が強い時には、星や月が発する光は見えません。星や月が美しく輝くには、そこに闇がある必要があります。


東洋哲学的に言うと、この世の全てのありとあらゆるものは「陰陽」の二つのエネルギーがあって初めて形成されているのであって、どちらか欠けるだけで存在すらできなくなります、


つまり誰かがポジティブであるとき、その裏には必ずネガティブなエネルギーが存在しているのです。


そう考えるとポジティブが善でありネガティブが悪である、と考えてしまう二元論は非常に危険な発想と言えるのです。

ポジティブとネガティブは常に同居している

あなたがポジティブなあなたでいるためにはネガティブなあなたが必要であり、あなたがネガティブになる時には必ずポジティブなあなたが隠れているのです。


もう少し噛み砕いてみましょうか。


例えば、恋人に振られてしまった時、あなたはとても悲しい気持ちになるでしょう。それはその恋人と一緒に共有した時間・思い出などがポジティブなものであったために、その光の照り返しで「振られた」という事実にネガティブな影を落としているわけです。


ところが同じことが起きても、そもそも恋人に対してポジティブな感情(光)がなければ、ネガティブな気持ち(闇)も存在しないのです。逆に、恋人にネガティブな感情を抱いていたなら、別れを切り出された時に「やったー!」と言うポジティブな気持ちになるはずです。

ポジティブとネガティブを合わせてあなたである

そう考えるとネガティブを悪だとする考え方は、ポジティブを悪にしている考え方だと言えるでしょう。


またポジティブを善とすることも、翻ってネガティブな感情を否定していることになり、本来二つで一つであるあなたという人間を半分否定しているということになります。


できないのもあなただし、これからできるようにするのも、二つで一つのあなたを形成しているのです。できない自分を懲らしめて、できる自分だけ褒めていると、できない事実を見せつけられた時に、できない自分から「ほらあなたはこんなにできない子なのよ!」という説教を喰らうのです。


そうではなく、できない自分が見つかったら感謝しなくてはいけません。なぜならできない私の存在が見つかった瞬間に、その裏側にできる私が隠れているからです。できない私の存在無くしてできる私の存在がありえないのです。


だからこそ「私はなんてダメなんだろう」というネガティブな自分を傷つける思考性は、全く意味のない考えるだけ無駄な思考だと言いたいのです。


いいですか、ここまで読んだあなたがもし「ネガティブな自分を大切にしてなかった」ことに気づいたなら、この瞬間に「ネガティブな自分にも感謝できる自分」が生まれたということなのです。


そこに善悪はありません。そしてそれをただ受け入れる。それだけなんですよ。(川口美樹/ライター)


【恋愛アップデート計画】
(ハウコレ編集部)

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