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「彼がくれたアクセサリーがダサい」とグチりたくなったときに考えたいこと

  • 2018.2.4
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今の彼に満足することができていますか?
世の中には、自分の恋人に対して不満を持っているという人は少なくないと思います。


「なんでもっと大人になってくれないんだろう」や「なんでもっと優しくしてくれないんだろう」といった数々の不満を、まるで自分が被害者のように感じてしまっているとすれば、それはとても寂しい考え方なのかもしれません。

■全てが「ブーメラン」

この間、電車の中で「彼氏からもらったアクセサリーがダサい」と友達に文句を言っている女性を見かけました。


男子はたしかにファッション面でのセンスがどうかしてるんじゃないかと思うことは少なくないので、それはきっとある意味事実なのかもしれませんが、もしこの女性が、それを単なるネタとか笑い話とかではなく、本気で心から彼氏に対する不平不満として言ってしまっているのだとしたら、それはもう笑えません。


この女性にとってその彼氏は、自分自身が恋人として選んだ異性に他なりません。もしもそのダサいアクセサリーをくれたのが、働いているお店の常連で、ただの独占欲の強くて孤独な小金持ちのおっさんというのだったらいくらでもこき下ろしてもいいのかもしれませんけど。


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いうまでもなく、自分の恋人のことを不満に思うのは、その人を恋人として選んだ自分自身に対する不満です。もっと具体的に言うなら、「素敵なアクセサリーをくれる彼氏」と付き合えなかった自分の実力不足に対する不満になるはずです(別に素敵なアクセサリーをあげる/もらうことが「実力」とは思いませんが)。


親と違い、好きな人は、恋人は、必ず自分で選ぶもの。もしもこの女性が、その彼氏の幼い頃からの「いいなづけ」だったのなら、ごめんなさいですが。


人がどう生きようが、それは間違いなくその人自身の自由ですが、そうであっても、自分の選択の結果を、自分が選んで作ったはずの環境を、まるで自分は被害者だというように語っている人というのは魅力的なはずがないし、いわゆる「他力本願」とか「心の貧しい人」とかいうレッテルを貼られてしまうタイプの人なのではないでしょうか。

■「見過ぎ」理論

自分が見たアダルトビデオでお気に入りのプレイを要求してくる男子は、よく女子から「AVの見過ぎだろ(笑)」と馬鹿にされてしまっていますが、こういった現象をまとめて私は「見過ぎ」理論と呼んでいます。


ドラマや友達から聞いた自慢話(得てして、かなり「盛られている」ものです)に触れて、「いいなぁ。こうなりたい」と夢見ることは楽しいけれど、それをそのまま現実に落とし込もうとすると、うまくいかないことはすごく多いのです。


そもそもそういったものは、リアリティがないからこそ楽しいわけで、それがリアルなのだとしたら、誰も面白がりませんからね。


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だいいち、自分にとっての「幸せ」を、どこかで見聞きしただけの世界観に委ねるということは、すごく悲しい生き方です。


残念ながら男子は、センスも悪くて、子供で、悲しいほどにイケてなく、あんまりお金もないし、自分に自信もないし、それこそ自分もドラマの中で目にしたことがあるような「イケメン彼氏」のイメージとは程遠いような情けないありさまですが、できる限りで、彼女にかっこよく思われようと死ぬ気で(涼しい顔をしながらも、水中では必死にバタ足をしているアヒルのように、その必死さは見えませんが)頑張っています。


きっと「ダサいアクセサリー」も、彼氏がネットで「彼女 誕生日 アクセサリー 喜ぶ」と検索したり、店員さんに「かわいいやつ。でもあんまり高くないやつ・・・・・・」とか聞いたりしながら選んでくれたものでしょう。


「男子頑張ってるし、みんな、もっと認めてあげようよ!」ということではありません。


ただ、どこかから借りてきた「幸せ」の価値観を、自分のものとして単純に置き換えて、それをものさしにしながら「そのアクセサリーは、女子から見たらダサいね、どんまい」とか「予約してくれたお店はいい感じなのに、なんでその服着てきちゃう? こういうときは、ジャケパンでしょ」とか、そういう態度で恋愛をしている人が(女性だけでなく、男性もですが)、本当に幸せになったのを今まで一度も見たことがないというだけです。


「どこかにあるかもしれない幸せ」よりも、紛れもなく自分が自分で選んだ幸せは、たとえそれが周りに羨ましがられるようなものではないとしても、きっと大きな価値があるものなのではないかと思います。(遣水あかり/ライター)


(ハウコレ編集部)

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