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世間を象徴する問題! 生理的に受け付けない上司への対処法

  • 2018.1.15

ぼくは組織の中で、イヤな上司を相手に仕事をする才能に恵まれていないと自分でイヤというほど思い知ったので、ひとりでできる文筆業という職業を選択しました。
文筆業って、いいですよ。朝は何時まで寝ていようと誰にも文句を言われないし、満員電車に乗ってドM的にすし詰め状態を我慢する必要もないし、当然、わがままでアホでブラックな上司の言うことを聞かなくちゃならないこともない。
毎日締め切りに追われて、ときに生きている心地がしないという心的状況や、文章が書けなくなったらコンビニでバイトするしかないかもしれないという崖っぷち感や、勉強を続けるしんどさに耐えることができれば、これほどいい職業はないと思っています(わりとよく、耐えられなくなるが)。

生理的に受け付けない上司をどうしたものか?

さて、生理的に受け付けない上司をどうしたものか?
この問題って、日本の世間を象徴する問題ではないかと思います。
日本って、昔より少しはマシになりましたが「誰と仕事をするのか」よりも、「どこの組織で仕事をするのか」を重視する傾向がありますよね。
だからたとえば、三井物産という超優良企業で、超イヤな上司と仕事をするのか、明日にも倒産しそうな会社で、超好きな上司と仕事をするのか、という二択の問題なんて、すぐに作れてしまう。

誰と仕事をするのか、つまり「人」にこだわったら、この国では「安定した高いお給料をもらい損ねるかもしれない」という心配事がついてまわります。
人にこだわる、つまり上司の性格を知ってOKしたうえで就職できれば1番いいですよね、ということではありません。そんなこと、できるはずがないから。

じゃあ、どうすればいいのか?

じゃあどうすればいいのか、と言えば、人にこだわればいい。ここで言う人というのは他人のことではなく、自分のことです。
今ではすでに死語になった感が強い「学問」とは本来、人格形成のための、すごく重要なことでした。
17世紀のデカルトさんやパスカルさんやアルノーさんという哲学者たちは(とくにパスカルは、理系の顔も持っている。台風のときによく聞く「ヘクトパスカル」は、パスカルさんのお名前からつけられた気圧の単位です)、人としてより良く生きるためにはどうすべきか?というテーマを果てしなく追及してきたのです。

彼らの書物は、20世紀の初頭くらいまで、「真の教養人」たるには、いかなる生き方をすべきか、という授業の教材として使われていました。
「いかにして人間性を高めるか」を教えている授業が、昔はあったのです。
それが今では、お勉強といえば偏差値のことであり、他人を蹴落として受験戦争に勝つためにいかに効率よく暗記するか、ということになっているのは、みなさんもよくご存知のとおり。

徹底的に人にこだわること!

自分が"ひとりの人"として「どのように生きるべきか」を考えるというのは、つまりいかに「人格を(心を)磨くべきか?」を考えることです。
これが「人にこだわる」ということ。

イヤな上司に運悪く遭遇してしまったら「いかにして自分の人格を磨くべきか?をわたしはこれまであまり考えてこなかった」と、反省してみては?
自分の手で自分の人格を高めようとしている人のもとからは、やがてダメな人は去って行きます。
相手がしつこく去って行かないのであれば、あなたに転職の転機が訪れます。
訪れる前に「こんなイヤなヤツのために毎日が楽しくないなんて、時間の無駄だ」と思えてくるかもしれません。
そうなればラッキーです。
人格を高めるためには、どう生きるべきか? という、生涯を賭すべき、かけがえのないテーマのもとに生きていける人は、もうそれだけでしあわせ者なのだから。(ひとみしょう/文筆家)

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