1. トップ
  2. お仕事
  3. 【追悼】コンデナスト社名誉会長、サミュエル・I・ニューハウス・ジュニアが死去。彼が愛した雑誌への想い。

【追悼】コンデナスト社名誉会長、サミュエル・I・ニューハウス・ジュニアが死去。彼が愛した雑誌への想い。

  • 2017.10.2

87歳で会長になるまで、約50年以上にわたり雑誌ビジネスにたずさわった。 Photo: Getty Images
【さらに写真を見る】【追悼】コンデナスト社名誉会長、サミュエル・I・ニューハウス・ジュニアが死去。彼が愛した雑誌への想い。
コンデナスト社の名誉会長であるサミュエル・I・ニューハウス・ジュニアが、NYで2017年10月1日、89歳の生涯を終えた。ほんの数タイトルの雑誌を扱うだけの小さな出版社から、現在では世界27カ国に128の出版社を所有する国際的なメディアへと成長させた偉大なる人物だ。哀悼の意をこめて、これまでに彼が成し遂げた功績と雑誌への愛を、アナ・ウィンターらのコメントとともに振り返る。

生涯、雑誌をこよなく愛したSi(サイ)。

"Si(サイ)"の愛称で知られていた彼は、1975年にコンデナストの社長に就任。2015年に引退して名誉会長になるまで勢力的に仕事に取り組み続けた。コンデナストでは、Siは情熱的で精力的な仕事ぶりで賞賛され、数々の逸話を持つ。毎朝4時には会社に到着し、雑誌の各号を最初から最後まで全部読み通し、読者からの質問にもできるかぎり目を通していたという。

また、彼のデスクはコンデナストの雑誌と競合誌で埋め尽くされ、30cmもの高さまで積み重ねられていたそうだ。そして付箋を沢山つけたページを見ながら、広告の数を手でコツコツと数えていた。「私たちがどんなに朝早く来ても、彼はすでに新聞や売り上げ報告にまで目を通してしまっているんだ」と『VANITY FAIR』の発行人だったデビッド・オブラスキーは振り返る。

ダイアナ・ヴリーランドやアナ・ウィンターを輩出。

彼はとにかく雑誌を愛し、そして多くの才能を育てた。『VOGUE』においては、今では伝説的な存在でもある元編集長のダイアナ・ヴリーランド、そして現編集長のアナ・ウィンターまで。フォトグラファーのリチャード・アヴェドンも彼が見つけ出した。

「私は編集者ではない。あなたならどうする? と聞かれたときでももがいているだけだ」。"Si"は1989年ニューヨークタイムズ誌のインタビューでこう述べている。

「私は常にスマートでエネルギーを持った人材を雇おうとしているんだ。そして彼らの編集力が周囲に大きな驚きを与えることに誇りを持っている。アナが初めて『VOGUE』を手がけた時、クリスチャン・ラクロワのクロスモチーフのトップにブルーデニムを合わせたモデルをカバーに起用し、とても驚いたことを今でも覚えている。しかし、我々はどんな道でも進んでいけると信じているから、どの道をたどってもなんとかなる。馬鹿げたことをしない限りは、雑誌というのは編集者の舵を切った方向に進んでいくんだよ」

 「彼はもっとも傑出したリーダーでした」と、アナ・ウィンターは語る。「彼が仕事をリードしているときはいつも、なんの疑問も持たずに単純に彼についていったわ。なぜなら彼は私たちに最高の信頼を置いてくれていたから。データや統計を見ているところはこれまで一度も見たことがない。けれど、とても勘に優れた人物で、私たちにもそんな仕事ぶりを求めていたの。リスクを厭わない勇気を持つことを教えてくれ、プロジェクトがうまくいったときにはとても褒めてくれたわ」

コンデナスト・インターナショナルの社長兼CEOで、彼のいとこであるジョナサン・ニューハウスも追悼のメッセージを寄せた。「"Si"は生涯一途に最高のジャーナリズムを生み出すことに献身した人物だ。たとえ人々が自分の手にしている輝かしい雑誌の世界を誰が支えているかということを知らなくても、コンデナストを業界の指導的立場に押し上げ、編集者やライター、そしてフォトグラファーたちの賞賛、そして多くの読者の関心を集めたのは、彼のビジネス感覚と根気、勇気とあいまって形作られた先見の明によるものなのだ」
参照元:VOGUE JAPAN

の記事をもっとみる