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まもなく開催、『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展。

  • 2017.6.29
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1947年2月12日、クリスチャン・ディオールが初のクチュール・コレクションを発表した。第二次大戦後の重い空気を一気に晴らすような、ニュールックがこの日に誕生。ジャン・コクトーは、“ディオールという名前には、神(Dieu)と黄金(or)が宿っている”と語ったが、この神々しく輝く名前を、メゾンの創業70周年を祝う今年、さまざまな分野で耳にすることになるだろう。

クリスチャン・ディオール。すでにエッフェル塔やフレンチカンカンと並んでパリを代表する名前となっていた1950年ごろ。16区の自宅にて。©Christian Dior

祝祭年のメインとなるのは、なんといっても パリ装飾芸術美術館で7月5日に幕を開ける『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展だ。普通のモード展とちょっと違って、これにはふたりのキュレーターが関わっている。ひとりはモード展に不可欠なモード史家のフロランス・ミュラー。そしてもうひとりは美術館の館長であるオリヴィエ・ギャベ。クリスチャン・ディオール(1905〜1957)の創造性を培った“芸術”との関わりも重要なパートを占めている展覧会ゆえに、ギャベ館長とフロランスの二人三脚となったのだ。合計3,000平米を使ったこれまでで最大のモード展を準備中のふたりに、話を聞くことにした。

“夢の”という形容は、さまざまな分野であまり意味もなく気軽に使われることが多いが、この展覧会のサブタイトル“夢のクチュリエ”はそれとは一線を画していて、大きな意味がある。

「夢の、とつけた理由はいろいろあります。まず、展示する約300点のほとんどがオートクチュール・ピースなんですね。類い稀なるクチュールの作品を前にする、というのはルーヴル美術館でフェルメールの絵画を前にするような貴重な瞬間となります。素晴らしい世界的な遺産を見ることになる、ということから、“夢の”ということばが浮かびました」というギャベ館長の説明に、フロランスが以下のように続けた。「夢というのはディオールにおいて、とても基本的なことなのです。クリスチャン・ディオールはニュールックを発表して、戦後の暗い世の中に、新しい夢を打ち出し、新しい世界を開幕しました。それに彼は、自分のオフィスを“夢想の仕事部屋”と呼んでいたんですよ。彼から生まれた夢を現実の形にするのが、お針子たちが作業をするアトリエだったのですね。夢想の仕事部屋。この表現はサブタイトルには不向きですが、私は大好きです」

1947年春夏クチュール・コレクションで発表されたクリスチャン・ディオールによるバー・スーツ。強調されたバストとたっぷりのスカート、その中間のウエストがほっそりと花の茎のよう。第二次大戦後、ディオールは女性たちに失われたフェミニニティを取り戻した。 ©photo Les Arts Décoratifs/ Nicolas Alan Cope

≫ ふたりのキュレーターが、展示の構成を詳しく解説!

展示は、クリスチャン・ディオールのバイオグラフィ空間からスタート。彼の幼少期から52歳で亡くなるまでを時代を追って紹介する。ノルマンディーの幼少期、パリの政治学院(シアンス・ポ)時代があり、クチュリエになる前は友人と画廊経営……ということについては、過去のディオール展などの折に取り上げられているが、今回は学業を終え、画廊経営に乗り出すまでの1925〜1928年についてもスポットがあてられる。この期間、彼は何をしていたのだろう……。ギャベ館長によると、「今の時代には理解しにくいかもしれないけれど、たいそうなブルジョワ家庭に生まれた彼は仕事をする必要がなかったんです。この当時の教養ある若者たちらしく、さまざまなことに興味をもっていて、読書をしたり、展覧会に行ったり、あるいは蚤の市に出かけ、そして夜になると芸術家たちが集まるクラブ『屋根の上の牝牛』で時間を過ごし、と、20年代のパリライフを満喫していました」。この時期に6歳上のジャン・コクトーや詩人で評論家のマックス・ジャコブといった、この時代の文化面を牽引していた人物と関わって……。フロランスがこう補足する。「裕福な階層や貴族たちにおいて、生産業はいいのですが、販売活動というのはノブレスを貶める行為だといって、禁じられてたのですよ。物を売って稼ぐのは、タブーという時代。友人のジャック・ボンジャンと画廊経営を始めたときにディオールという名前が表にでないことを母親が望んだ、というのはこうした背景からなんですね」

絵画、彫刻、建築、装飾芸術、演劇、バレエ……クリスチャン・ディオールがあらゆるタイプの芸術に接し、感性を研ぎ澄まし、こうした世界の人々と友情を築いた、このいささか“プー太郎”の時代、親にいわせると“あまり真面目ではない”時代は、彼のクチュリエ創作の基礎となる大きな役割を果たしているのである。同時代のクチュリエの誰ひとりとして、彼のような豊かな芸術経験はしていないはずだ。1956年に出版した本『クリスチャン ディオールと私』の中で、「私の生活のすべてがドレスになる。自分が見聞きし、自分の中に蓄えているもののからドレスが生まれる」と彼自身語っていることが思い出される。

ディオール(左)は画廊時代にサルヴァドール・ダリ(右)の作品をいちはやく取り扱い、その後もこのように交友関係が続いた。D.R

写真、絵画、家具なども含めて、展示で紹介する最初の部屋は、その次に続く部屋で見る要素の一種のレジュメ。ギャベ館長によると、展覧会の目次のような存在だという。それに続く部屋はテーマ制となり、クリスチャン・ディオールだけでなく6名の後継者の作品と合わせて構成される。

「クリスチャン・ディオールだけの展覧会には、したくなかったんです。彼が築いたエスプリは後継者によって、護られています。彼らはクリスチャン・ディオールのクリエイションと視線、会話を交わし、彼が築いた夢を継続しています。庭や自然、異国への憧れ、18世紀などの強いテーマをクリスチャン・ディオールはどう表現し、そして、どのように各後継者にインスピレーションを与えたか……。こういった展示なので、モードに留まらず絵画や装飾美術品の展示も必要となるのです。テーマによる展示なので、時代はミックスです」

6名の後継者、つまりイヴ・サンローラン(1958年から1960年)、マルク・ボアン(1960年から1988年)、ジャンフランコ・フェレ(1989年から1996年)、ジョン・ガリアーノ(1997年から2011年)、ラフ・シモンズ(2012年から2015年)、マリア・グラツィア・キウリ(2016年から)。第2パートではこれら各アーティスティック ディレクターについて、各人約15点くらいの作品を紹介する。これはクリスチャン・ディオールというひとつの物語の中で、次々と新しい章が開いていく、といったイメージだそうだ。

トラペーズ・ラインはイヴ・サンローランによる1958年春夏クチュール・コレクション。マルク・ボアンによるツイードのスーツは1962年秋冬クチュール・コレクションから。

1992年春夏クチュール・コレクションから、ジャンフランコ・フェレによるプリーツと刺繍が施された細身のドレス。豪華絢爛のアンサンブルはその名もシェーラザード。ジョン・ガリアーノによる1998年春夏クチュール・コレクションより。

2012年秋冬クチュール・コレクションでラフ・シモンズはスターリング・ルビーの絵画をシルクに再現した。マリア・グラツィア・キウリによる初の2017年春夏クチュール・コレクションは押し花がテーマ。
©Photo Les Arts Décoratifs/ Nicolas Alan Cope

「マリア・グラツィアについては、1月に発表した初回のオートクチュールだけしかなかったので、展示する点数は他のアーティスティック ディレクターに比べると少し少ないですね。彼女が面白いのは、クリスチャン・ディオール自身による10年間のヘリテージだけでなく、その後の後継者も含めた70年の歴史に挑戦していることなんですよ。彼女はすべてのアーティスティック ディレクターに興味をもっています。彼女、サヴォワールフェールという点でこの初回コレクションで驚くべき刺繍をしてみせましたね。その創作過程は驚くばかり。花弁の1枚ずつを手染めしたシルクのたいそう繊細な花を作り、押し花の印象を求めた彼女は、そうした花をアイロンで押しつぶして……。これには新しいテクニックの発明が必要となりました。クチュリエの求める創作を可能にするテクニックを、アトリエが見つけるんです」

ギャベ館長は彼女のこの言葉に次のように反応した。「すべてが可能なのが、オートクチュールの世界。とりわけディオールでは、こうして不可能なしにアーティスティック ディレクターの夢に応えているのです。真のリュクスがここにあります」

1953年のコレクションから。Mayと命名されたドレスを着るモデルのアラ。©Henri Cartier-Bresson / Magnum Photos

1949年秋冬コレクションより、ドレスJunon。スパンコールが刺繍されたチュールの重なりが見事なイヴニングだ。©Photo Les Arts Décoratifs/ Nicolas Alan Cope

サヴォワールフェールやアトリエの仕事を紹介する部屋、またラインの変遷を時代を追って見せる部屋もあって、と、見どころ満載の展覧会。ギャベ館長はこう語る。「展覧会は来場者に大いに夢を見せるものとなります。でも、同時に豊富な内容でとっても教育的な展覧会でもあります。モード関係の狭い世界だけが対象ではありません。アーティスティック ディレクターとは何か、あるいはそういった存在も知らない……という大勢の来場者を対象にした展覧会なんです」

≫ 展示の締めくくりは、ヴェルサイユ宮殿での舞踏会!?

締めくくりは舞踏会!! これは美術館の吹き抜けの中央広間を使っての展示となる。どのような舞踏会に来場者は招き入れられるのだろうか? ギャベ館長は「会場構成? ヴェルサイユ宮殿の鏡の間を想起させる……という程度しか、今は明かせません」と だけ語って、期待を抱かせる。「舞踏会というのはディオールのメゾンにおいて、大きなテーマのひとつですね。20〜30年代にパリの社交界で催された大舞踏会において、また戦後1951年の シャルル・ド・ベイステギの有名な舞踏会などでもそうですが、クリスチャン・ディオールはとても重要な人物でした。舞踏会というのはオートクチュールの仕事が、最高に輝けるシーンです。プリンセスやスターのドレス……まるで舞踏会場に紛れ込んだかのような錯覚を味わえることでしょう。展覧会は一種のショーのようなものですから、こうして最後に素晴らしい盛り上がりを用意しました」

舞踏会とディオールというテーマに欠かせないのは、セシル・ビートンが撮影したこの写真。ヴェニスのパラスで1951年にシャルル・ド・ベイステギが開催した有名な舞踏会で、ディオールのクチュールドレスを着た当時のトレンドセッターとして名高い富豪のデイジー・フェローズ。©Cecile Beaton

2013年度のオスカー最優秀女優賞を受賞したジェニファー・ローレンス。セレモニーにはディオールのクチュールで。©Getty Image/ Christopher Polk

この広間では、ゴージャスなイヴニング・ドレスが50点近く展示され、それらの中にはクチュール顧客のためにクリエイトされた珍しいドレスも見られる。また、例えばSoirée Brillante(ソワレ・ブリアント)と命名されたドレスのように、珍しいエピソードを持つ一着も。

「1955年11月にパリ装飾芸術美術館は18世紀の高級家具職人の仕事を紹介する展覧会を企画しました。クリスチャン・ディオールを含め、彼の知り合いや友人たちが持つ家具がこの展覧会に貸し出されたのですが、そのオープニングに際して、ディオールは展示会場内でクチュールドレスを着たモデルたちを歩かせてショーを催したんです。その時の写真がみつかって……、今回、その時にモデルが着たドレスのなかからソワレ・ブリアントともう1点を展示します。このオープニングは、クチュールドレスと装飾芸術が一体化し、ディオールの美意識が確認できる素晴らしい機会となったのです」

1955年11月30日、18世紀の高級家具職人展のオープニングにて。モデルがきているのは1955年秋冬のコレクションで発表されたドレス“ソワレ・ブリアント”©Roger Viollet

『Christian Dior, couturier du rêve』展
2017年7月5日〜2018年1月7日
Musée des Arts Décoratifs
107, rue de Rivoli
75001 Paris
tel:01 44 55 57 50
開)11:00~18:00(木〜21:00)
休)月
料金:11ユーロ

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