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おっぱいがライフルになった日【新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記 第9話】

  • 2017.1.17
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モーも夢見も、完全に母乳で育った。といっても、別に熱心な母乳信仰を持っていたわけでもない。母乳で育った子の方がIQが高くなるとかいう謎言説を信じていたわけでもない。ただ単に、その方が楽だったからだ。

おぎゃーっと泣いたら、ベロンと服をめくって、おっぱいを咥えさせればそれでいい。母乳は赤ちゃんのファストフードである。

ところが、ミルクだと決してそうはいかない。湯冷ましを作ったり、粉を溶かしたり、哺乳瓶を消毒したりと、かなりの手間がかかる。私のものぐさ加減というのは天井知らずであったので、そのうち自分の服をベロンとやるのすら億劫になって、出産後1、2ヶ月は、上半身ほぼ裸、おっぱい丸出しのアマゾネススタイルで過ごしていた。思えばそういうだらしない生活が離婚を招いた一因かもしれないが、楽でいることには抗えなかったので仕方がない。

授乳で楽を極める上で、裸族であることともう一つ、避けて通れないのが、添い乳である。添い乳というのは、赤ちゃんを布団に寝かせたまま、かつ母親も寝たままの姿勢で授乳することであって、赤ちゃんの首が据わるまではなかなか難しいのだけれども、ある程度しっかりしてくると、夜中の授乳にこれ以上楽なことはない。

そうやって楽を極め、二人の子どもに合計で約5年間、授乳し続けた結果、私のおっぱいは、伸びた。乳首も、伸びた。幼き日のモーは「パパ」「ママ」という単語の次に「でんち」という言葉を覚えたのだが(なぜなら子どものおもちゃには大抵単三か単四の電池が必須だから)、あるとき私の乳首をまじまじと見つめながら、おもむろに「でんち」と言った。言われてみれば確かに似ていた。

あれから10年以上経ち、さすがに乳首はやや短縮されたものの、伸びたおっぱいは伸びたままである。むしろ、母乳が生成されていた当時は長いなりにもハリがあった分だけまだよかった。完全に生産を停止した母乳工場は、今や悲壮感を漂わせる廃墟と化してしまったのだ。散々楽をしたツケを、日々ひしひしと感じている。

もし今後、私がまかり間違ってTEDでスピーチなんかをすることにでもなれば、キラキラした目で「しかし、私はこの伸びたおっぱいを、二人の子を立派に育てた証として誇りに思います」とでも言うだろうけれど、現実には離婚をし、独身に戻り、もしかすると今後、私のおっぱいは授乳とは別の用途で、再び活用されるべきときが訪れるかもしれないのである。

そんなとき、まあおっぱいの一つや二つ、もともと持ち弾の少ない私のせめてものウェポンとなってもらわねば困るのである。危機感に駆られた私は、あるときついに、東京でも有名なとある病院の、乳房外来の門を叩いた。

「おっぱいが長いんです」

診察室に入るやいなや胸もあらわに相談すると、男性のドクターは、手にした定規で私の鎖骨の中心から右の乳首まで、そして同様に鎖骨の中心から左の乳首までの長さをそれぞれ測り、おもむろに言った。

「平均より、5センチ長いです」

「ご、5センチ……?!」

わかっていたことではあったが、数値化されたインパクトは絶大で、私は絶句した。

「大きいし、重いし、これじゃ肩も凝るでしょ」

ドクターは私の乳房を抱えながら、さも気の毒と言わんばかりの顔で私に言うと、おっぱいを吊り上げ、かつ、小さくし、ついでに乳輪も一回り小さくするという手術を勧めてくれた。(……え、乳輪?)乳輪については全く気にも留めていなかったのでそのとき初めて乳輪が大きいという事実に直面したが、ドクター曰く、おっぱいが吊りあがり、小さくなると、乳輪の大きさが気になるようになるので、ということであった。

言われた一通りの手術を受ければ、私のおっぱいは再び夢と希望と美しさを取り戻し、ひまわりのように上を向くことがあるのだろう。手術は日帰り、傷はしばらくは残るが次第に薄くなる、といった説明を一通り聞いた後で、私は万を持して核心に迫った。

「それで、費用はおいくらです?」

そこでドクターの提示したその額、なんと120万円。私、その日2度目の絶句。
検討します、といって病院を後にしたものの、当然ながらそんな費用はどこにもなく、結果、今日に至るまで私のおっぱいは手付かず、平均より5センチ長いままである。

起き上がるのも、服を着るも怠り、おっぱいの力に頼りきった育児で楽をした結果、時を巻き戻す費用は120万円。TEDでスピーチしなくたって、私はこの長いおっぱいを誇りに思いながら生きて行こうと思うのであった。

……長いウェポン、ライフルだと思えばかっこいいし。

イラスト:ハイジ
(紫原明子)

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