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斎藤司「ありが頭皮」 トレンディエンジェル怒涛の1年を振り返る

  • 2016.12.28
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斎藤司「ありが頭皮」 トレンディエンジェル怒涛の1年を振り返る

右・斎藤司さん、‘79年生まれ。左・たかしさん、‘86年生まれ。‘14年にTHE MANZAI準優勝、‘15年M-1グランプリで優勝し、ブレイク。

富士山を制覇したと思ったら、先にはエベレストがありました

――‘15年にM-1を獲って以来、まさに一夜にして世界が変わった一年でしたよね。
斎藤:長かったです。前は仕事が1日1本くらいだったのが、平均4~5本、多いときは13本入ってた日もありました。だから一日が長くて。振り返ると、5年くらいに感じます。
たかし:いや~一瞬でしたよね。瞬きしたら、もう一年過ぎてた、くらいな感じ。
――あら、時空が違いますね。なんだかだいぶ開きが…。
斎藤:ホント。『君の名は。』かよって感じですね…。
たかし:三葉です。
斎藤:どこがだよ(笑)。
たかし:でも楽しかったですよ。知名度が上がったし。それまでは、20代、30代の人には多少は知られてたと思うんですが、M-1以降は、ジジイ、ババア、ガキが声をかけてくるように。ありがたいですよね。
斎藤:ちょっと! あぁ、すいません、こいついいやつなんですよ、ホントすいません…(笑)。
たかし:フフフ(笑)。
斎藤:でも僕は楽しさ7割、苦しさ3割っていうのが、本音のところでしょうか。今年、僕にとってテレビ出演はすべてがチャンスだと思ってたんですけれど、その全てで結果を出せたわけではなかったな、と。最初のうちは、求められるがままにペッペペッペやってましたけど、4月、5月くらいに、「本当にこれでいいんだろうか…」って、悩みましたし。もちろんありがたいことですが、今年はとても忙しくてインプットの時間がなく、新しいネタ作りもままならなかった。来年はそういう時間をきちんととって、より自分たちを活かせる番組に出演したいと思います。
――M-1を獲って、ある意味1つ頂点を極めたわけですが、その勝者として過ごした一年、どんな景色が見えましたか?
斎藤:改めて、お笑いって難しいと思いました。富士山を制覇して、お山の大将気分で周りを見回したら、またエベレストが見えちゃった。しかも、富士山はリュックだけで登れたけど、エベレストはザイルが必要。来年以降、そのザイルを探しつつ、果たして自分たちはエベレストに登るのがベストなのか、考えていきたいです。
たかし:僕は高尾山でいいです。ジャージーで登れるし。天狗に会いに行く感じで。
斎藤:お山の大将と天狗って…。
たかし:(ニコニコ)
――では、‘16年、ありがとうと言いたい人は誰ですか?
斎藤:真面目に答えると、たかしとマネージャーですね。今年僕は一人の仕事が多かったんですが、改めて、やっぱり二人だと脳みそが2つになるし、強いんだな、と思いました。一人のひな壇と、二人のそれは全然違う。あとマネージャーも、たくさん建設的な提案をしてくれて。頑張ってくれて嬉しかったです。
たかし:僕もマネージャーと、あと母親に感謝を。
斎藤:なんだよ! 俺じゃないのかよ! 今の流れからいったら俺だろ!(笑)
――相方から感謝されていないというのは…。
斎藤:そうですね、来年はもっといろいろ改めなきゃいけないってことですね(笑)。で、なんで母親に感謝なんだよ?
たかし:僕が夜中の2時、3時に帰ったときでも、「明日6時に起こして」って言うと、ちゃんと起こしてくれるんです。
――ありがたいですね。
斎藤:でもまあ、お金渡してるんじゃないの?
たかし:そうです。起こすだけの簡単なバイト。1起こし、30万円くらいで。
斎藤:高い! でも『逃げ恥』の原点だな。
たかし:でも、斎藤さんにも感謝してますよ。そもそも斎藤さんがいなかったら、M-1獲れなかったですしね。
斎藤:よかった。ありが頭皮!
右・斎藤司さん、‘79年生まれ。左・たかしさん、‘86年生まれ。‘14年にTHE MANZAI準優勝、‘15年M-1グランプリで優勝し、ブレイク。
※『anan』2016年12月28日-2017年1月4日合併号より。写真・小笠原真紀
(by anan編集部)

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