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美しい景色を見た脳は、実は体を動かす準備をゆるめていた

  • 2026.11.3
美しい景色を見た脳は、実は体を動かす準備をゆるめていた
美しい景色を見た脳は、実は体を動かす準備をゆるめていた / 岩の上に座り、日の光に包まれた山並みを眺めている人です。 Credit: Photo by StockSnap on Pixabay(Pixabay のライセンス)

山並みや心を打つ絵を前にすると、人は一瞬、その場で動けなくなることがあります。

心理学では、こうした景色や作品を味わい、心の中で評価する働きを「美的な鑑賞」と呼びます。

100年ほど前から、美しいものに浸る時間は、日々の用事を脇に置いて対象に没頭する瞬間だと語られてきました。

では、美しい景色に心を奪われているとき、体を動かす脳の仕組みには何が起きているのでしょうか?

その答えを確かめるため、研究者たちは風景写真とキー押し、そして脳の電気信号を使った実験に取り組みました。

研究の詳細は、イタリアのトリノ大学らにより、2026年10月7日付で学術誌『Social Cognitive and Affective Neuroscience』に掲載されました。

醜い絵で動く脳、美しさで止まる脳?

ルーブル美術館で、イタリアの絵画を見ている来館者たちです(フランス・パリ、2019年)。絵を前にした人の脳で体の動きの回路がどう働くのかは、早くから研究者の関心を集めてきました。
ルーブル美術館で、イタリアの絵画を見ている来館者たちです(フランス・パリ、2019年)。絵を前にした人の脳で体の動きの回路がどう働くのかは、早くから研究者の関心を集めてきました。 / Credit: Sandra Soster / Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

美しさと体の動きの関係は、脳の働きを画像で調べる初期の研究から注目されてきました。

2004年の研究では、絵を「美しい」と評価したときと「醜い」と評価したときの脳の働きを比べました。

すると、醜い絵を見たときの方が、体の動きを受け持つ脳の領域(運動野)が強く働いていたのです。

一部の研究者はこれを、不快な絵から離れたいという衝動の表れだと解釈しました。

一方、2007年に出た理論の論文は、別の角度から「作品を味わうと、むしろ動きの回路が働く」と論じました。

見る人は、絵に描かれた身ぶりや筆づかいを、頭の中でなぞっているのではないかというのです。

では、美しさは「見ること」と「動くこと」の釣り合いを、結局どう変えるのでしょうか。

2020年の総説で、研究者たちは「知るための停止(Stopping for Knowledge)」という仮説を打ち出しました。

夕日が沈む地平線を前に、かばんを手に立ち止まっている人のシルエットです。
夕日が沈む地平線を前に、かばんを手に立ち止まっている人のシルエットです。 / Credit: Photo by M.R. Fathur on Pexels(Pexels のライセンス)

美しいという感覚は、「いったん動きを止めよ」という脳への合図だという考えです。

動きを止めることで浮いた、限られた処理の力を、周りから新しい情報を取り込むことに回すというわけです。

音楽の和音を使った実験では、心地よい音がボタン押しを遅くするらしいという手がかりも得られていました。

しかし、好きな画像を見たときに、体を動かす準備そのものが抑えられるのかは、まだ直接確かめられていませんでした。

好きな風景写真が消えた瞬間、キーを押す指はどうなる?

イタリアのトレンティーノ=アルト・アディジェ州にある、ドロミテの山々を写した白黒の風景写真です。実験でも、こうした白黒の自然の風景写真が使われました。
イタリアのトレンティーノ=アルト・アディジェ州にある、ドロミテの山々を写した白黒の風景写真です。実験でも、こうした白黒の自然の風景写真が使われました。 / Credit: Giuseppe Milo / Wikimedia Commons(CC BY 3.0)

この空白を埋めるため、トリノ大学心理学部のパオロ・バルビエリさんとイレーネ・ロンガさんらは、2つの実験を行いました。

チームには、「知るための停止」仮説を唱えた研究者のうち2人も加わっていました。

バルビエリさんは「行動しようとする傾向を一時的に抑えることで、刺激にもっと集中できるのかもしれません」と語っています。

そうして生まれた時間と余力で、情報をより深く処理できるのではないか、という考えです。

実験に使われたのは、山や海辺などを写した白黒の自然の風景写真180枚です。

明るさやコントラスト、解像度、大きさ、色の成分はすべてそろえ、見た目の違いが結果を左右しないようにしました。

1つ目の実験には、平均年齢およそ25歳の右利きの若い大人30人が参加しました。

参加者は画面から80センチ離れて座り、ランダムに選ばれた100枚の風景を1枚ずつ見ていきます。

スペイン・バスク地方アラバ県のエンツィア山地で、もやの中にブナの木が立つ風景です。参加者は画面に映る風景を、1枚ずつ見ていきました。
スペイン・バスク地方アラバ県のエンツィア山地で、もやの中にブナの木が立つ風景です。参加者は画面に映る風景を、1枚ずつ見ていきました。 / Credit: Basotxerri / Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

画面にはまず中央に小さな十字が映り、続いて風景写真が表示されます。

写真が映る時間は5〜6秒の間で毎回ばらばらにされ、いつ消えるかは予想できないようになっていました。

参加者の役目は、写真が消えた瞬間に、できるだけ速くスペースキーを押すことです。

押した後は、その写真をどれだけ気に入ったかを、9段階で採点します。

また全体の5%では、風景の代わりに砂嵐のような白いノイズ画像が現れました。

これは、参加者が画面をきちんと見て、指示どおりに押すのを控えられているかを確かめる仕掛けです。

分析の前には、押し忘れや100ミリ秒より速い押し、極端に遅い押しなど、全体の約8%の試行を除きました。

そのうえで一人ひとりについて、評価が高かった約25枚と低かった約25枚で、写真が消えた後の反応の速さを比べました。

日の光が差し込む湖のほとりに、葉を落とした木々が立つ風景です。実験では、一人ひとりが高く採点した写真と低く採点した写真に分けて、反応の速さが比べられました。
日の光が差し込む湖のほとりに、葉を落とした木々が立つ風景です。実験では、一人ひとりが高く採点した写真と低く採点した写真に分けて、反応の速さが比べられました。 / Credit: ohefin / Flickr(CC BY-SA 2.0)

高い方の写真の平均点は7.76点、低い方は3.06点です。

「かなり好き」と「あまり好きではない」に、はっきり分かれた2組といえます。

その結果、気に入った写真の後は、キーを押すまでに平均297ミリ秒かかりました。

気に入らなかった写真の後は平均288ミリ秒で、好きな写真の後の方が約9ミリ秒遅かったのです。

9ミリ秒は、1秒の100分の1にも満たない、ごくわずかな遅れです。

それでも反応時間にすると約3.1%の伸びで、同じ人の中で比べた差としては、統計的に中くらいの大きさとされます。

気に入った風景の後の方が、キーを押すまでの時間が少しだけ長かったのです。

好きな景色を見る脳で「動く準備」が弱まっていた

脳波を測る神経科学の実験に参加している人です。2つ目の実験では、このように頭皮に付けた電極で脳波が記録されました。
脳波を測る神経科学の実験に参加している人です。2つ目の実験では、このように頭皮に付けた電極で脳波が記録されました。 / Credit: Flexagoon / Wikimedia Commons(CC0)

では、このわずかな遅れの裏で、脳では何が起きていたのでしょうか。

2つ目の実験では、参加者が自然の風景を見ている間、頭皮に付けた電極で脳の電気信号(脳波)を記録しました。

注目したのは、体が動き出す直前に高まっていく、運動の準備と実行に関わる信号です。

すると、好みの画像の試行では、好みでない画像の試行と比べて、この信号が統計的に意味のある差で弱まっていました。

脳のリズムを速さごとに分けて調べると、さらに2つの変化も見つかりました。

脳波を記録する間、電極がずれないように頭に留めておくキャップです。こうして記録した信号を速さごとに分けると、アルファ波やベータ波といったリズムの変化が読み取れます。
脳波を記録する間、電極がずれないように頭に留めておくキャップです。こうして記録した信号を速さごとに分けると、アルファ波やベータ波といったリズムの変化が読み取れます。 / Credit: Chris Hope / Wikimedia Commons(CC BY 2.0)

1つは、アルファ波と呼ばれるリズムが弱まっていたことです。

アルファ波の低下は、目から入る情報に注意が向いていることと結びつくとされます。

もう1つは、ベータ波と呼ばれるリズムが強まっていたことです。

こちらは、体を動かす準備が抑えられていることと結びつくとされます。

つまり好きな景色を見ている脳では、目からの情報には注意が向き、動く準備にはブレーキがかかっていたように見えるのです。

研究チームはこの結果を、美しさを味わうことと動きを抑えることの間に関係があるという新しい証拠だと位置づけています。

美しさを感じたとき、脳は体を動かす方へ回していた力を、いったん引き上げているのかもしれません。

そして、その分を景色の細部を取り込むことに振り向けている可能性が示されています。

チームは、美の体験が「見る」と「動く」の連携を探る、よい題材になるとも述べています。

夕焼けに染まる空と、影になった山の稜線です。
夕焼けに染まる空と、影になった山の稜線です。 / Credit: Photo by Mysara Hassan on Pexels(Pexels のライセンス)

ただし1つ目の実験は、白黒の自然の風景写真を、右利きの若い大人30人が見るという条件で行われたものです。

また写真の好みは参加者自身が採点したもので、結果は好みと反応の遅れが一緒に起きていたことを示しています。

本物の景色や絵画、音楽でも同じブレーキが働くのかは、今回の実験では確かめられていません。

好きな山や海の写真が消えた後、気に入らなかった写真の後より、キーを押すまでの時間が平均で約9ミリ秒長かったのは、脳がまだ「見る」側にいたからなのかもしれません。

写真で見る山と海辺の風景

草原の向こうに山が見え、空に雲が浮かぶ風景です。こうした景色に心を奪われている時、体を動かす脳の仕組みに何が起きているのかが、今回の研究の出発点でした。
海沿いの道の先に、砂浜と青い海、切り立った岬が広がる風景です。こうした景色を前にすると、人は一瞬その場で動けなくなることがあります。
海辺の草地と青い海、雲の浮かぶ空を写した風景です。写真ではなく本物の景色を前にした時にも同じブレーキが働くのかは、今回の実験では確かめられていません。
2024年2月の寒い日に撮られた、ベンチのある風景です。美しい景色に浸る時間は、日々の用事を脇に置いて没頭する時だと昔から語られてきました。

参考文献

Beautiful landscapes may briefly put the brakes on the brain’s movement system (PsyPost)
https://www.psypost.org/beautiful-landscapes-may-briefly-put-the-brakes-on-the-brains-movement-system/

元論文

The gentle grip of beauty: Neural bases of motor inhibition during aesthetic appreciation
https://doi.org/10.1093/scan/nsag084

ライター

山下 浩介: むずかしい研究を、なるべく分かりやすく伝えたい。専門の言葉はふだんの言葉に置きかえて、身近な例で例える。それで「わかった」「楽しかった」と言ってもらえたら嬉しいです。 好きなのは、通学路や台所や日常の中にある科学。眠っているあいだに記憶が整理される話や、虫の鳴き方に意味がある話のように、読み終わったあとに誰かへ話したくなる研究を探しています。

編集者

ナゾロジー 編集部

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