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ヤマザキマリ「今日ばったり死んでもいい」。老いに抗わず自然体で生きるヒントが詰まった新刊『ゆっくり急げ』《インタビュー》

  • 2026.11.3

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漫画家・文筆家・画家・そして大学教授などさまざまな肩書きを持つヤマザキマリさんは、現在「ヤマザキマリの世界 今この瞬間を生きる」(世田谷文学館)を開催中。折しも『婦人公論』でのエッセイ連載をまとめた著書『ゆっくり急げ-Festina Lente(中公新書ラクレ)』(中央公論新社)も刊行され、〈地球サイズの世界観〉を持つヤマザキさんの人となりを知るまたとないチャンスだ。新刊にはどんな思いを込めたのか、お話をうかがった。

表裏なく思ったことを全部出す

――全体を通じて、ヤマザキさんの「達観」ともいえるものの見方がすごく印象的でした。

ヤマザキマリさん(以下、ヤマザキ):元は連載で、その時に感じていることをそのまま実直に書き綴ってきたので、自分が読み返すと愚痴にしか思えないのですが(笑)。普段から表や裏なんていうものを意識して生きているわけではないですし、どんな経験も人間の生態記録としてネタにはなりますから、なんでも表現に昇華してしまう。おかげでメンタルは常に新陳代謝しているので風通しがいいです(笑)。

――書籍の『ゆっくり急げ』というタイトルも気になります。

ヤマザキ:「良い結果により早く至るためには、焦らず着実に行動するのが良い」という意味の、ラテン語の格言です。私はせっかちなので、例えば歩いていても後ろの人との距離が、気がつくと20メートルぐらい自然に離れていたりします。そのくせ何かに気になると立ち止まっていつまでも考えてしまう。私のことを知っている同級生からは、どんな些細なことでも気になるととことん考える『テルマエ・ロマエ』のルシウスはまさにあなただよ、と言われました。「そういうものなんだからこだわるな」などと頭ごなしに言われることで、いつも懐疑心や猜疑心が湧いてくる。ただ、懐疑心や猜疑心というのは、言い換えれば好奇心であり、探究心なわけですから、自分のこういう性格をおかしいとは思っていません。

――そういうニュアンスだったとは。私はてっきり「人間は歳を取っていつ死ぬかわからないから、自分のペースを守りつつ急げ」的なことをイメージしていました。

ヤマザキ:意味については、みなさんの受け取りたいように受け取ってくださっていいのです。なぜこの格言がローマから3000年も長持ちしているのかと言えば、いろんな捉え方がなされてきた証拠です。ですからこの本に書いてあることも、私が思ったことをそのまま受け取ってもらうより、読者の方の心当たりとマッチングしていろいろ考えるきっかけにしてもらえたらと思っています。

――なるほど。近い世代の作家さんのエッセイでは「加齢」がテーマになることも多いので。ちなみに「歳を取る」ことをどう思っていますか?

ヤマザキ:全然普通に受け入れています。もう何年も前から「今日死んでも悔いなし」と思って生きていますから。加齢で体力も記憶力も若い頃に比べて落ちてますけど、生物なのだから当然のなりゆきでしょう。動物を飼ってると、みんなきちんと生まれて若々しく頑張って、劣化してヨレヨレになって死んでいく有様を目の当たりにします。なのに人間だけがその流れにどうにか抗おうとしてるのは、なんともみっともないなと。他の生物のような命のあり方に対する潔さがなさすぎる。人間はなんでこんなに若さにしがみつくんでしょうね。

――確かに抗ったところで…本書でもヤマザキさんの「抗わない姿勢」がすごく印象的でした。

ヤマザキ:私は、そもそも小さい頃からこんな人になりたい、こうありたい、といった自分に対する理想がありません。強烈な個性の母に翻弄されるがままに耐えながら生きていくことがとにかく大事だったので。イタリア留学にしても母から「行ってきなさい」と言われたら、それに抗おうと思わない。そんなもんなんだ、とその顛末を受け入れる。よく「ヤマザキさんは意志を持って好きな生き方をしてうらやましい」とか言われるんですけど、考えてみたら自分の意志なんてそれほど持っていなかった。

確かに世間体にとらわれない自由な生き方をしてきているかもしれませんが、自由な生き方の方がよほどハードルが高いですし、辛いことも多い。ただ、それも気がついたらそうなっていた、という結果です。表現という職業もやりたいからやったわけではなく、気がついたら自分の考えていることや思っていることがなんらかの形になっていた。それが結果として皆さんに評価していただけているだけのこと。私の特異な出自というか、幼少期の経験が大きいと思うんですが、「自分はこうありたいから頑張ってやった」結果ではないんです。

強烈な母に教えてもらった「毅然と生きる」こと

――本著にもお母様のことはいろいろ出てきます。音楽家で、女手一つで北海道に家を建て、娘さんたちを育てられた。お仕事で留守がちだったそうですね。

ヤマザキ:コンサートやら演奏旅行で私と妹はいつも留守番ばかりしていました。母親らしいことがなかなか板につかない人でしたが、子どもの目から見ても母は母親というより、一人の音楽家でしたから、あまり「お母さんらしくしてほしい」とは思いませんでした。無理やり母を演じるより、表現を生業として生き生きしている母を見ているほうが安心だったというのはあります。

母が隣近所の主婦から「子ども達に留守番ばかりさせて、何かあったらどうするんですか、音楽家なんてやめて近所でパートでもしたらいいじゃないですか」と怒鳴り散らかされている現場を目撃したことがありましたが、母は毅然としていました。私たちには「放っておけばいい。あんな人たちに音楽なんかわからない」って、全然打たれてない。戦争や夫の死など、百戦錬磨の人生を送ってきた人は、強いなあと今でも思います。

――娘さんに対する信頼もあったんでしょうね。

ヤマザキ:そうですね。私も母をとても信頼していました。夜が遅い時は毎回手紙が置いてあるのだけれど、そこに彼女なりの深い愛情が感じられました。そして、フォーマットとして決められていることを、やはり彼女も立ち止まって、深く考える人だったので、学校の教育もあるがままを受け入れているわけではなかった。オーケストラで素晴らしい楽曲の演奏会がある時は学校を休ませて娘たちを演奏会に連れて行ったり、「早くこの本が読めるようになって」と自分の愛読している本を差し出してきたり。信頼というか、一緒の時間を生きていることをすごく敬われている感じがする育てられ方だったと思っています。

母は昭和一桁の戦中派で、戦争の恐ろしさを体験してしまった人なので、もとより世の中を信じていませんでした。自分の経験値と、身につけた教養によって判断力を養っていた。長いものには巻かれず、気になることは熟考する。そんな母を私も頼りがいがあるたくましい存在と思って見ていました。

14歳のときに進路指導の教師に将来の志望を聞かれて「自分は絵を描くしかないと思っています」と言ったら「飢え死にするぞ」と返されたことがあり、それを母に告げたらその年の冬にフランスとドイツへ1カ月も一人で旅に出されました。最後はルーヴル美術館に行ってこい、というのが条件で「ルーヴル美術館に3日間行けば、なぜ表現がこの世で必要とされているかがわかるから」と言われ、確かに実際美術館を訪れて私は愕然としました。立派な王宮で手厚い保護の下に美術品が守られていて、しかもその作品を見るために世界中の人がチケット代を払って見に来ている。芸術は、社会的貢献度もあれば、経済生産性もある。フランスにとって大事な財政を支えている表現という手段を笑われる筋合いはない、とその時確信しました。

予定調和は求めない

――そして「抗わない」ヤマザキさんが生まれたわけですね。

ヤマザキ:抗わないのはもっと子どもの頃からですけど、そもそも母も私も予定調和を求めていません。生きているというのはこうでなければいけない、家族とはこう、教育とはこう、という既成概念をことごとく崩してきた人に育てられ、気がついたら私もそうなっていた。本著でも触れましたけど、理想や期待に縛られると、その通りにならないとわかった途端にそれが苦悩や苦しみになる。だったら、最初から理想や期待に縛られず、この世の中何があってもおかしくない、と覚悟を決めていた方が人生は楽になります。

――「なりたい自分になる」とか、そういう目的化した何かに向かって走らされるような風潮もありますよね。そこが生きづらさの原因にもなっている気がします。

ヤマザキ:日本の教育は、生まれてきた時から何者かにならなきゃいけないみたいなことをなんとなく示唆されますよね。生まれてきた結果を出せ、みたいな負荷を子どもの頃から負わされる。生きることの意味なんて、生まれてきた、という事実だけでもう完結しているように思います。

あとは、地球が長い時間とともに作り上げてきた、生物が存続するためのルールを守っていけばそれでいい。人間という生物は厄介ですから、他の動植物のように簡潔な生き方はなかなか難しいですが、だからこそ、健全な生き方を毎日まっとうすることこそ、社会的に認知されたり賞賛されたりすることよりも、ずっと大事なことなのではないかと思います。

――なりたい姿と違うと言っても、人生というのは結局「自分の選択」の結果ですよね。そこがあまり多くの人に受け止められていないようにも思います。

ヤマザキ:たとえば「自由」を選択すると、いろいろなリスクがあるわけです。自由は開放、と捉えられがちですが、実は逆です。社会は自由な人間を快く受け入れませんし、自由は素晴らしいことだと提唱しつつ、しっかり人間は何かに拘束され、依存されなければ生きていけない構造に仕組まれています。だけど、自由さえ選ばなければ、命は保証される。自由の道は舗装されてもいなければ、思いがけないところに穴もあり、崖っぷちで行き止まりになるかもしれない。それでも良い、という人は自由を選択してもいいですが、自由という言葉の罠には気をつけなければなりません。

『イージー・ライダー』(1969年・アメリカ)っていう映画のラストでジャック・ニコルソンが「人間は自由について語るのは好きだけれど、自由に生きてる人間を見るのを嫌う」と言うシーンがあるのですが、まさにそういうことだなと思います。私の母は音楽の道という自由を選択したことで家族からは勘当状態になりましたが、それでも困難な生き方を選択したことに全く後悔はしていませんでした。自分の自由に対してしっかり責任を持って向き合っていたからでしょう。そして、やはり周りと足並みを揃えられない私にも、自由という困難を選択させた。それは間違いじゃなかったと思います。私はもとより、孤独に慣れた子どもだったので。

――結局、お母様はすごくよくヤマザキさんを見ていたわけですよね。

ヤマザキ:そうですね。でも母はほとんど私を褒めたことがありません。たとえば絵を描いても「下手くそねえ」とか、100点取ってきても「私のテストじゃないから別に」というそっけなさ。そのくせ他所では私のことを褒めていたらしい。でもそのやたらと褒めない教育、つまり私の人生は母の満足感の一部、と思わせない教育が自分にはすごく良かった。「努力をしたから、絶対に結果を生む」という短絡的な考え方にもなりません。今でも周囲の評価は自分の努力とは関係ないし、価値観は共有できないものだと思っています。

先日、母の遺品を整理していたら、私が子どもの頃留守番の寂しさ紛れにチラシの裏に描きまくっていた膨大な数の絵を、全部取ってあったのが見つかったんです。ダンボールに3箱くらいですかね。ひとつひとつに「マリ●歳」って書いてある。言葉で褒めなくても私が寂しさを絵や物語を生み出すことで必死に乗り越えようとしているのを、母はしっかり見ていたのです。今度の展覧会(ヤマザキマリの世界/世田谷文学館・開催中)にはその当時の、留守番の寂しさ回避に描いたチラシの絵や創作物語も展示されています。

――ちなみにそういうお母様には憧れたりしますか?

ヤマザキ:憧れはないですが、リスペクトはしています。自分が持っているあらゆる感受性やあらゆる行動力を、自分のためだけではなく、多くの人のためにも発揮している姿は本当に良いお手本でした。

私からしてみると、母は人間として託された機能を惜しむことなく全て完全燃焼した人なので、亡くなった時も悲しくない。自分でもびっくりしましたが、ただただ「人生、お疲れ様でした」としか思わなかった。「最後までがっちり生き抜きましたね」というあっぱれな感覚しかない。母の追悼コンサートで100人近く集まった過去のお弟子さんや音楽家たちが母のために贈った曲は「威風堂々」ですよ(笑)。彼女の完全燃焼については私も憧れましたよ、自分ももらった命を何年だろうと完全燃焼させ、人を元気にして死にたい。親族には「人生お疲れ様でした!」と送ってもらいたいです。

取材・文=荒井理恵 撮影=後藤利江

ヘア&メイク=田光一恵(TRUE)

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