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『ゴジラ−1.0』映画評:忖度なしガチレビュー。ゴジラの放射熱線が意味するものとは…? なぜ戦後が舞台? 徹底考察&評価

  • 2026.11.1
©2023 TOHO CO., LTD.
©2023 TOHO CO., LTD.
©2023 TOHO CO., LTD.

本作の舞台は、戦後間もない日本である。

戦争により日本の各都市は、空襲や原子爆弾投下により壊滅状態となっており、ポツダム宣言による無条件降伏を行なっているため、つまり日本は全てを失ったゼロの状態なわけである。

また戦後の日本は、敗戦国としてアメリカにより武装解除されている、つまり日本には戦闘力がないという状態でもある。

そして本来頼れる存在であるはずのアメリカはソ連と冷戦中であり、アメリカ軍はゴジラ討伐のために武力参戦出来ない、つまり援軍が一切期待出来ないという絶望的な状況なのである。

こんな絶望的で戦う手段も限られている中、人類はいかにして巨大な敵であるゴジラに立ち向かうのか、それが本作の見所となっている。

これが物質および精神的に豊かな現代社会が舞台だったら、ゴジラがもたらす悲惨さや、それに立ち向かう人類の姿勢が薄れてしまうだろう。

戦後間もない日本、そして絶望的な状況だからこそ、人類が生き抜くための意思がより際立ち、本作に深みをもたらしている。

言い換えるのであれば「火事場の馬鹿力」というやつである。

人類が追い詰められ、「火事場の馬鹿力」でゴジラに立ち向かうとき、想像する以上の奇跡と感動が生まれるのである。

©2023 TOHO CO., LTD.
©2023 TOHO CO., LTD.

またゴジラの放つ放射熱線は、明らかに原子爆弾を彷彿させている。

特に爆発によるキノコ雲は、露骨なほどに広島と長崎に投下された原子爆弾を思い出させる。この演出も、戦争により全てを失った日本人を更なる絶望と恐怖へと誘う、という残酷な仕打ちを表現している。

また本作は、1954年に公開された初代ゴジラへのリスペクトを感じられるポイントがいくつかある。

まずはゴジラの生息地である大戸島(架空の島)という点だろう。本作でも大戸島(架空の島)の伝承に由来する怪物として、ゴジラの名前が島民の口から伝えられている。

また戦争に対する反省と恐怖を表している点もリスペクトを感じられる。

初代ゴジラが公開されたのは、1945年の原子爆弾投下からわずか9年後。日本社会に、未だ戦争や核への恐怖が生々しく残っていたことは言うまでもない。

当時の日本人は、少なからずゴジラに戦争の面影を感じていたはずである。しかし時代の流れと共に戦争に対する反省と恐怖は薄れていってしまったのも事実である。

そんな中、ゴジラ70周年記念作品である本作は、戦争の記憶が失われつつある2023年現在に公開されることで、戦争がもたらす恐怖と二度と繰り返してはならないという反省を促す役割を果たしていると言えるだろう。

その象徴的なシーンが、ゴジラが放った放射熱線により銀座の街が壊滅的な被害を受けるシーンである。

このときにゴジラが放った放射熱線は、明らかに原子力爆弾によるキノコ雲を意識していた、いや敢えて意識させるような絵面にしていたことが窺える。ゴジラによる放射熱線の衝撃は、スクリーンの外側にいる観客にも十分過ぎる恐怖と絶望を味合わわせてくれた。

あのシーンで観客は再認識したはずである、「戦争は絶対に繰り返してはならない」と。つまり本作は、1954年の初代ゴジラ同様に反戦映画として、人類に戦争の悲惨さを訴えかけているのである。

映画『ゴジラ-1.0』浜辺美波(東京国際映画祭)【Getty Images】
映画『ゴジラ-1.0』浜辺美波(東京国際映画祭)【Getty Images】

本作は山崎監督が得意とするドラマパートが、かなり濃厚に描かれているのも特徴である。山崎監督の代表作である「ALWAYS 三丁目の夕日」は、人間ドラマが繊細タッチで描かれており、実に見事であった。

本作で描かれるドラマパートには、敷島と典子が出会い、そして助け合いながら生きていく姿が描かれているが、その根底にあるのは戦争やゴジラに対する憎しみ、復讐心である。

戦争がなければ、ゴジラがいなければ、もっと幸せな人生を歩めたはずだ。だからこそ戦争が憎い、ゴジラが憎い、出来ることなら復讐してやりたい、と心の底から願っていたはずである。

そんな負の感情が観客側にも伝わり、人類とゴジラの対決を心が震えるようなシーンに仕上げているのである。

もしドラマパートが入念に描かれることなく、ゴジラによる破壊や殺戮シーンだけに焦点を当ててしまったとしたら、それはあまりにも深みがなく、子供向けの映画に仕上がってしまったのではないだろうか?

人間とゴジラ、その2つの存在を融合させることにより、ゴジラによる破壊や殺戮シーンが際立ち、本作に深みを持たせていると考えられる。

映画『ゴジラ-1.0』主演の神木隆之介(東京国際映画祭)
映画『ゴジラ-1.0』主演の神木隆之介(東京国際映画祭)【Getty Images】

神木隆之介演じる主人公敷島は、「生きていていいのか」と自問自答を繰り返しながら生きている人物である。敷島は特攻隊として死ぬ運命だったが、「生きたい」という強い欲求により、死ぬ運命を免れた男である。

しかし戦時中であれば、敷島を臆病呼ばわりした橘や澄子のように生きることを「恥知らず」として考える人物もいる。

また敷島はゴジラを機銃で撃てなかったことにより、橘の仲間である整備士たちを見殺しにしてしまったという罪を背負っている。整備士たちには帰る場所があり、そして家族もいた。

しかし敷島の決断が彼らの幸せや人生を奪い去ってしまったのである。もちろん敷島が悪いわけではなく、人間であれば「生きたい」と願うことは当然のことであり、同時に権利でもある。

しかし敷島は「生きていていいのか」と自問自答し、苦しい日々を過ごしている。そんな敷島の人生に一筋の光を差したのが典子やアキコの存在である。

彼女たちと一緒に人生を過ごすことにより、敷島は人間らしい生活、つまり幸せに満ちた生活を送ることが出来たのである。しかしそんな幸せもゴジラの登場により、脆くも崩れ去っていく。

そんなゴジラに対する憎しみや復讐心を糧に、ゴジラに立ち向かう敷島だが、その根底にあるのは贖罪である。

ゴジラを倒すことで、生き残ってしまった罪悪感を拭い去ることが出来る、そして見殺しにしてしまった整備士たちへ顔向けが出来ると考えたのであろう。そしてゴジラを倒すことにより、敷島の中での戦争を終わらせ、典子やアキコと共に幸せな人生を歩むことが出来る、と考えたのである。

(文・にゃんこ)

【作品概要】
監督・脚本・VFX:山崎貴
神木隆之介 浜辺美波
青木崇高、山田裕貴、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介
配給:東宝
©2023 TOHO CO., LTD.
2023年製作/125分/G/日本

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