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娘「パパが清掃員なんて恥ずかしい」妻も同調→大切な私物まで売られた40代の父が家を出た結果

  • 2026.10.25

40代の私は、清掃会社で働いています。妻は短時間のパートをしていましたが、家計の大部分は私の収入で支えていました。それでも妻は私の仕事や収入を周囲と比べ、高校生の娘まで「パパが清掃員なんて恥ずかしい」と言うように。そんな扱いが積み重なるうちに我慢は限界に達し、私は家族との関係そのものを見直すことになりました。

私を見下す妻と娘

私は清掃会社に勤めています。自分も清掃の現場に入りながら、スタッフをまとめる現場責任者として働いてきました。派手な暮らしができるほどの収入ではありませんでしたが、日々の生活費を賄い、娘の進学に備えて貯蓄できる程度の余裕はありました。

しかし妻は、いつからか友人や知人の暮らしぶりとわが家を比べるようになりました。

「友だちの家族、また海外旅行に行くんだって」

「旦那さんは商社勤めらしいよ」

そんな話の後には決まって、「清掃員って、人に言うのちょっと恥ずかしいのよね」と言われました。

私も「うちも家族で旅行しよう」と何度か提案しましたが、妻や娘のA子からは「家族旅行は気が乗らない」と断られていました。それなのに、ほかの家庭が旅行に行ったと聞くと、今度は私の仕事や収入を理由に不満を言われることには、納得できませんでした。

そうした妻の言葉を何度も聞くうちに、A子まで似たようなことを口にするようになりました。

ある休日、自宅で過ごしていると、A子から「友だちが来るから、お父さんは部屋にいて」と言われました。私が「なるべく部屋にいるようにするけれど、飲み物を取りに行くときぐらい、キッチンに行ってもいいか?」と返すと、A子は嫌そうな顔をしました。

「だって、友だちにパパを会わせたくない。清掃員なんて恥ずかしいから」

思いがけない言葉に、私は返事ができませんでした。ところが妻まで、「A子だって年ごろなんだから、少しくらい気をつかってあげたら?」と娘に同調したのです。

私は清掃の仕事を恥ずかしいと思ったことなどありません。それだけに、仕事の中身ではなく、職種だけで見下されたように感じたことがこたえました。

それでも当時の私は、家族だから多少の不満はあるものだと自分に言い聞かせていました。

「今までと同じ生活はもう無理だ」

そんなある日、仕事から帰ると、私が大切にしていたゲーム機がなくなっていることに気付きました。自分の小遣いで購入し、仕事を終えた後の息抜きとして使っていた物です。

妻に尋ねると、友人と行くライブのチケット代が足りずゲーム機本体とソフトをリサイクルショップに持ち込み、売ったというのです。妻は「最近あんまり使っていないみたいだったし、別にいいでしょ?」と言い、悪びれる様子もありませんでした。

私はゲーム機を失ったこと以上に、自分の持ち物を勝手に処分されても当然だと思われるほど、家族から見下されていることにショックを受けました。これまでにも、仕事を見下されたり、休日の過ごし方にまで気をつかうよう求められたりするたびに、違和感を覚えていました。

それでも、家族なのだから簡単に関係を投げ出したくないと思い、私はこれまで通り生活を続けていました。

しかしある日、仕事を終えて帰宅しようとしたとき、ふと足が重くなりました。「また家に帰るのがつらい」と感じている自分に気付いたのです。

そのとき、私は改めてこれまで我慢してきた出来事を振り返りました。一つひとつは耐えられても、それが積み重なった今、以前と同じように暮らし続けることは難しいと感じました。

荷物をまとめた私に妻と娘が

私は必要最低限の荷物をバッグに詰め、家を出る準備をしました。それまで妻とA子は、私が不満を口にしても、本当に家を出るとは思っていなかったのかもしれません。荷物を持って玄関へ向かう私を見て、2人は驚いたような表情を浮かべました。

妻は「そんなに嫌だったなんて思ってなかった。ごめん。もう一度やり直せない?」と言い、A子も「パパ、ごめん。行かないで」と私を引き止めました。

その言葉を聞いて、私も何も感じなかったわけではありません。しかし、これまで積み重なってきた出来事を、すぐになかったことにすることはできませんでした。

「今は少し離れて考えたい」

そう伝え、私はそのまま家を出ました。

会社に通いやすい場所にマンスリーマンションを借り、そこで暮らすことにしました。二重生活で出費は増えましたが、今後のことを落ち着いて考えるために必要な費用だと割り切りました。

もちろん、家を出たからといって生活費の負担までやめるつもりはありませんでした。別居後の生活費については妻と話し合いながら必要な分を負担し、A子の生活や進学にかかる費用についても、親として責任を持つつもりでした。

離れて暮らしながら今後のことを考えるうちに、私は妻との生活に戻ることはできないという思いが強くなっていきました。妻から謝罪されたことは受け止めていましたが、仕事を繰り返し見下されたことや、大切にしていた物を勝手に売られたことで失った信頼は、簡単には元に戻らなかったのです。

そして私は、別居を続けるのではなく、離婚に向けて話を進めることを決めました。

私は弁護士にも相談しながら妻と話し合いを続け、別居中の生活費や財産、A子の今後の暮らしや進学費用、離婚後の父娘としての関わり方について一つずつ整理しました。娘に言われた言葉で傷ついたことは事実でしたが、親としての責任まで手放すつもりはありませんでした。そうして話し合いを重ねた末、最終的に私たちは離婚することになりました。

自分の居場所を取り戻して

離婚後、新しく借りた部屋で暮らすようになると、仕事から帰宅しても「自分がここにいてもいいのだろうか」と考えずに済むようになりました。

清掃の仕事への思いも変わりませんでした。清掃の仕事は、誰かが快適に過ごすために必要な仕事です。現場をきれいにし、スタッフと協力しながら毎日の仕事を終えたときには、今でも達成感があります。買い直したゲーム機で遊んだり、自分で料理をしたりする時間も少しずつ取り戻していきました。

振り返ると私は、家族との関係を壊したくない一心で、不快な言葉を受け流すことが「家庭を守ること」だと思い込んでいたのかもしれません。けれど、関係を守ろうとして我慢を重ねることと、自分の気持ちや大切な物まで軽く扱われることを受け入れるのは、別のことだったのだと思います。

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家族の間では、何げなく口にした言葉や態度が、その場では大きな問題にならないこともあります。しかし、相手の仕事を否定したり、大切にしている物を軽く扱ったりすることが重なれば、少しずつ信頼関係にも影響していくのでしょう。今回の体験談は、身近な相手だからこそ、互いを尊重することの大切さを改めて考えさせられる出来事でした。

※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

※AI生成画像を使用しています

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著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

ベビーカレンダー/ウーマンカレンダー編集室

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