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朝ドラ「ブラッサム」クズ父でありながらも奥底には娘への愛が…清治(渡部篤郎)のインパクト

  • 2026.10.5

朝ドラ「ブラッサム」クズ父でありながらも奥底には娘への愛が…清治(渡部篤郎)のインパクト

1日の楽しみは、朝ドラから! 数々のドラマコラム執筆を手がけている、エンタメライター田幸和歌子さんに、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラの楽しみ方を毎週、語っていたきます。作家・宇野千代をモデルに、明治・大正・昭和を生き抜いた葉野珠の人生を描く「ブラッサム」のレビューです。

朝ドラでおなじみの「クズ父」

NHK連続テレビ小説「ブラッサム」の放送がスタートした。

この作品は<激動の明治・大正・昭和を駆け抜けた作家・宇野千代さんをモデルとした葉野珠の物語。苦難の中でも「幸せのかけら」を見つけ、常に前に進むことで人々の背中を押し続けた生涯を描きます。>(NHK公式HPより)

主人公・珠のモデルである宇野千代は、『色ざんげ』『おはん』などさまざまな名作や自伝的小説『生きていく私』を送り出し、現代も読み継がれたり映像化されたりしてきた日本を代表する女性作家のひとりである。1996年に98歳でこの世を去るまで精力的に執筆活動を続け、「私何だか死なないような気がするんですよ」という名言も残し同名の著書も残している。

尾崎士郎、東郷青児、北原武夫らとさまざまな恋愛をしたこともよく知られるが、冒頭にいきなり登場した珠の晩年を演じる加賀まりこが「モテたのよ」と、秘書役の松たか子に微笑むこともそれを感じさせる場面であるとともに、昭和の文壇を駆け抜けた宇野とその周辺の錚々(そうそう)たる顔ぶれがどのようなかたちで登場し、珠の人生にどのように関わってくるのか、物語が本格的にスタートする前からそのあたりも期待が膨らむ。この感覚は、コシノ三姉妹とその母の綾子、そして高田賢三や沢田研二らを彷彿させるような登場人物に彩られた朝ドラ「カーネーション」に感じたワクワク感に通ずるものがある。

舞台は冒頭の加賀まりこのパートから宇野の故郷と同じ岩国へ、そして明治後期へとひとっ飛びし、本格的に幕を開ける。

第1週のサブタイトルは「私の父、私の母」。まず〝母〟であるが、実母は珠が2歳のときに亡くなっている。母・リョウ(国仲涼子)は珠の実母でないが珠、そしてその弟や妹を優しく包み込むような雰囲気を持つ存在だ。その一方で父の清治(渡部篤郎)がなかなかの難物だ。家業の酒蔵を継がずろくに働かない。そしてリョウや子供たちにも厳しくあたり、珠に対しても雨の中裸足でお使いに行かせるなど現代では「虐待」ともとられかねないような態度をとる。ある意味で朝ドラでおなじみの「クズ父」としてインパクトを与えてくれる。

しかしそんな環境において、少女時代の珠を演じる村上蘭の溌剌とした表情、そしてポジティブな感覚はとても印象的だ。しつけとして蔵に閉じ込められても、そこに置かれたさまざまな書物が気兼ねなく読めてラッキーととらえる姿は、宇野千代とは生涯このような感覚の女性だったんだろうなと思わせてくれるような描写である(薄暗い中で本を読むことで目が心配になるとともに、トレードマークの黒縁眼鏡が思い浮かんできたりもするのだが)。

このように本好きであると同時に、少女時代から「書く」才能の片鱗も十分に感じさせてくれる場面も1週目から早くも見せてくれる。

「そこに、放蕩無頼の徒は見当たりませんでした」

ある日、学校で作文の宿題が出される。テーマは父についてだ。もともと綴り方は得意ではあるが、お題がお題だけにどう書いたらいいものか悩む珠に母のリョウは言った。
「そのまま書いてみたら? 正直に」

何をどう書こうか悩んでいる作家やライターに的確なアドバイスをする編集者のようでもある。

そんな珠が書き上げた父についての作品を、当の本人も訪れた授業参加の場で読み上げる。“放蕩無頼”と周りで言われている父のことを包み隠さず書いた内容は、瞬時に逆鱗に触れるかとハラハラしたが、そこから自分が見る父の姿は、周囲にそう噂されるものの時には物悲しく見えたりもしたと、清治が抱える孤独のようなものを見抜いたかのような見事な展開をみせた。

珠が感じた父の孤独を感じた瞬間とは、飼っていた籠の中のカナリアを月明かりのもとで眺めている父の姿である。籠の中のカナリアは、モラハラの父に閉じ込められる珠自身のようであり、家督を継がなかったのは実は足が悪い弟のためでもあり、勝手気ままな振る舞いをみせているようでありながら家に縛られるような運命を背負っていたりもする。清治もまた、鳥籠の中のカナリアそのもののようでもある。

「そこに、放蕩無頼の徒は見当たりませんでした」
珠の作文に記されたこの一文が、清治の本質を見抜いているといっていい。作文を読み終えた珠に、清治は満面の笑顔で手を叩いて大喜び、「お前、変わっちょるのぉ」という言い回しをしながら珠の頭をなでた。クズのようでありながらも奥底には娘への愛が存在する、そんな場面でもあった。

清治こそ、籠の中のカナリア。だからこそ、このカナリアをリョウが逃がしてしまったときに激しく取り乱したその姿は、自分と重ね合わせていたからこそさまざまな感情が爆発したものである。清治がずっと抱えてきた孤独や不安がカナリアを失ったことでどう影響していくのか、気になるところである。

サブタイトルの通り、その父と母のありかたを描きながら、のちの大作家への道の片鱗を垣間見せてくれた第1週。第5話のラスト、5年の時が流れ、大正2(1913)年。珠は石橋静河が演じる高等女学校の4年生となっていた。

岩国を代表する錦帯橋の上に立ち、川を眺めながら、
「綺麗じゃ」
そうつぶやく珠は少女時代と同じ雰囲気を持つ笑顔だった。ここから本格的に「ブラッサム」の世界が開いていく。

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