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「あんたはいいよね」飛行機で2時間、がんの父の看病に通う41歳娘。母がかけたのは労いの言葉ではなかった

  • 2026.10.4

離れて暮らす親が病気になったとき、子どもにできることはどこまであるのか――。今回は、九州の実家でがんと闘う父のもとへ、関東から通って看病を続ける41歳女性のエピソードを紹介します。実家で父を看ているのは、幼いころから何かと厳しかった母。少しでも力になろうと帰省を重ねる娘に、母はある言葉を投げつけたのでした。

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「自分の考えが絶対」な母の言うなりだった私

物心ついたころから、うちの母はよその家と比べて厳しいなぁ、と思っていました。

母は小さなことで激昂し、一度お説教が始まると、1時間でも2時間でも私を立たせたまま叱ります。口を挟んだり反論したりすれば、そのぶん長くなるだけ。ひたすら怒鳴られながら時が過ぎるのを待つ、そんな苦痛な時間をたくさん過ごしてきました。

根っからの性悪ではないと思うのですが、母はとにかく「自分の考えが絶対」の人で、周りの意見に耳を傾けません。いつのころからか、家族の中で母に逆らう人はいなくなり、母の怒りが静まるのを待つか、自分の意見を曲げてでも母に従うか。家族みんなが、そんな暮らしをするようになりました。

特に私は、同性だからか怒りの矛先を向けられることが多く、「自分の思い」よりも「母に叱られること」のほうが嫌で、母の言うなりになっていました。やりたい習い事があっても口に出さず、友達に買い物に誘われても「行くな」と言われるのがわかっているので最初から断り、彼氏ができても反対されれば別れる……。進学も就職も、挙げ句の果てには結婚相手も、母が気に入るとおりに選んできました。

結婚した夫は転勤族で、全国を転々としていますが、おかげで母と距離を置いて付き合えるので、これはこれでホッとしていました。

父の病気がわかり、関東から九州へ

でも今年の春、心からショックなことが起こりました。父ががんを患っていることがわかったのです。わかったときにはもう手術ができない状態で、今は抗がん剤で治療を続けています。

父には昔から、こっそり本音を話したり、電話で「お母さんには内緒ね」とちょっぴり愚痴をこぼし合ったりしてきました。母へのモヤモヤを分かち合える、仲間のような存在だったのです。

そんな父を、なんとか近くで看病したい。でも私が住んでいるのは関東、実家は九州です。9歳と5歳の子どもがいて、本来なら簡単に帰省できる状況ではありません。それでも居ても立ってもいられず、夫に頼み込み、時間を見つけては数日でも実家に帰るようになりました。父の治療に付き添い、母の代わりに家事を済ませ、主治医の先生に今後の治療方針を相談する。できる限りのことをしてきました。

看病に通う私に、母が言ったこと

ですが、こんな状況でも母は母でした。病床で治療に耐える父に、相変わらずささいなことで腹を立てて怒鳴ったり、「もう離婚するから」と捨て台詞を吐いたり……。口を挟めばよけいに怒るのがわかっているので、私は「お母さんも毎日看病で疲れてるよね。あまり手伝えなくてごめんね」と声をかけ、とにかく母を穏やかにしておくことしかできませんでした。

先日も、少しでも母を明るい気分にしたくて、「さっきお父さん、治療を頑張る、前向きな気持ちになってきたって言ってたよ。良かったね」と話しかけました。返ってきたのは、予想もしない言葉でした。

「あんたはいいよね、お父さんの気分の浮き沈みに付き合わなくていいから。家に戻れば看病もない普通の生活でしょ。こっちはそうはいかないんだから」

さすがにショックでした。「もういい加減にして! 私だって毎日看病したいのに、家族にお願いして何とか帰ってきてるんだよ? もっと人の気持ちを考えて!」。そう言い返したくなりましたが、母をまた怒らせれば、その矛先は父に向かってしまう。いつものように、その感情を飲み込みました。

これからも父の闘病は続きます。少しでもストレスなく、ゆったりした気持ちで過ごしてほしい。そのために私にできることを探しているところです。

でも、この母へのストレスをどう消化したらいいのかはわかりません。こんな母でも、心底嫌いにはなれないのがつらいところです。幼いころからのモヤモヤを、私はいつまで抱えていくのか......終わりが見えません。

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