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【豊臣兄弟!】秀吉(池松壮亮)は「羽柴」から「豊臣」に改姓していない? 関白就任で変わった氏(姓)と名字の話

  • 2026.10.2

【豊臣兄弟!】秀吉(池松壮亮)は「羽柴」から「豊臣」に改姓していない? 関白就任で変わった氏(姓)と名字の話

2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を月1回お届けします。今回のテーマは、秀吉の関白就任と「豊臣」姓です。

第36回「姫若子(ひめわこ)と鬼若子(おにわこ)」では、池松壮亮さんが演じている羽柴秀吉がついに関白にまで昇りつめました。今回は、この関白就任と「豊臣」姓について、取り上げたいと思います。

豊臣は名字ではない

まず、氏(姓)と名字(苗字)の違いからはじめます。一般に、秀吉は「羽柴」から「豊臣」へと「改姓」し、豊臣秀吉となったといわれますが、これは正しくありません。羽柴は「名字」で、豊臣は「氏」だからです。

氏と名字は、江戸時代の終わり頃から区別がつかなくなっていき、明治時代に同一化されましたが、戦国時代にははっきりと区別されていました(黒田基樹『羽柴を名乗った人々』)。

氏は、氏族集団の呼称です。「藤原」、「源」、「平」などがよく知られています。小栗旬さんが演じた織田信長と秀吉は「平」の氏姓を称していました。

名字とは

名字は氏よりも、限定的な「家」の呼称となります。名字が見られはじめたのは、平安後期~鎌倉初期からだといわれます。武士が所有する土地の名を称するようになりました。室町幕府の将軍家の「足利」も、「織田」、「徳川」、「毛利」、「島津」、「武田」、「伊達」なども名字です。

名字が発生してからは、武家は通常、名字を冠して呼ばれました(堀越祐一「「羽柴」「豊臣」には、どのような意味があるのか」 河内将芳編 日本史史料研究会監修『秀吉と豊臣一族研究の最前線』所収)。

ただし、秀吉は関白に就任した後は、あまりに身分が高くなったため、実際に名字を名乗る場面はなくなったといいます。山田涼介さんが演じる秀吉の甥・秀次(ひでつぐ)や、秀吉の子・秀頼(ひでより)も同様です(黒田基樹『羽柴を名乗った人々』)。

関白職を巡る争い

天正13年(1585)5月末、関白・二条昭実(にじょうあきざね)と左大臣・近衛信輔(このえのぶすけ/のちの信尹)との間で、争いが起こりました。二人の争いの発端は、秀吉にあったといわれます。

秀吉は同年3月に、内大臣に叙任しました。秀吉の内大臣任官のために、内大臣であった近衛信輔は右大臣を経て左大臣に、右大臣であった二条昭実は関白に転じるという、いわゆる「玉突き人事」が行なわれました。

朝廷は秀吉に、空席となった右大臣への昇進を勧めたといいます。ですが、右大臣は、本能寺の変で討たれた信長の極官でした。そのため、秀吉は信長の凶例がある右大臣を避け、左大臣への昇進を望みます。

左大臣・近衛信輔は、秀吉の左大臣転任により、散位となることを厭いました。近衛信輔は、関白の次期就任が約束されていたといいます。そこで近衛信輔は、同年2月に関白に就任したばかりの二条昭実に、当官のうちに関白職に就きたいと、内々に関白職を譲るように申し入れました。関白職は、天皇に次ぐ公家・武家の最高位です。

当然のことながら、二条昭実は「就任後、一年も経たないうちに関白を辞官した例は、二条家にはない」と断わりました。こうして、二条昭実と近衛信輔の間で争いとなったのです。

秀吉、異例の奇策で関白に

二条昭実と近衛信輔の争いは決着がつかず、両者は秀吉に調停を求めました。秀吉は自ら関白になるという異例の奇策で、この争いを解決に導きます。

関白職は、五摂家(天皇の補佐役である摂政・関白を務める五つの家)」と呼ばれる、藤原一族の名門「近衛・九条・二条・一条・鷹司(たかつかさ)」から選ばれるのが慣わしでした。もちろん、秀吉は五摂家の人間ではありません。

そこで秀吉は、近衛信輔の父で前関白の、前野朋哉さんが演じる近衛龍山(りゅうざん)の猶子となって関白に任官し、後に関白職を信輔に譲与することとしたのです。こうして、同年(天正13年)7月11日、秀吉は関白に任官しました。

藤原一族の近衛家の猶子となった秀吉は、「平」から「藤原」に改姓し、藤原秀吉の名で関白の座についています。ですが、秀吉が「藤原」でいた期間は短く、すぐに「豊臣」に改姓することとなります。

豊臣の氏姓

関白に任官した秀吉は、関白職を藤原一族ではなく、天下人羽柴家の独占した称号とするために(柴裕之『羽柴秀長 秀吉の天下を支えた弟』)、同年(天正13年)9月9日、朝廷に氏を「藤原」から「豊臣」に改めることを求め、その日のうちに認められました。これにより、秀吉の氏は「豊臣」に代わりましたが、「羽柴」の名字はそのままです。仲野太賀さんが演じる秀長など、一門の人間も同様です。

秀吉は秀吉の甥・秀次に関白職を譲りますが、いわゆる「武家関白」は、秀吉と秀次の二代で終わりました。

豊臣に代わって天下人となった、松下洸平さんが演じる徳川家康は、関白への道は選びませんでした。周知の通り、家康は征夷大将軍の宣下を受け、江戸幕府を開きます。

以後、摂政・関白は慶応3年(1867)の王政復古により廃止されるまで、五摂家が独占することとなります。

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