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松山千春「お前、今なんて言った?」“2度のケンカ”で疎遠になっていた【映画界の巨匠】とは?「寂しい」と後悔も

  • 2026.10.21
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2016年撮影:40周年記念の弾き語りライブに臨む松山千春 (C)SANKEI

長く親しかった相手ほど、ちょっとした一言で大きくぶつかってしまうことがありますよね。シンガー・ソングライターの松山千春さんがFM NACK5『松山千春 ON THE RADIO』で明かしたのは、北海道への思いや映画出演をめぐる“2度の大ゲンカ”。それでも「凄い仲良かった」と振り返った大物脚本家とは?クイズ形式でご紹介します!

松山千春さんが2度衝突した大物脚本家とは?

北海道足寄町出身の松山千春さんは、全国ツアーで各地を回りながらも、地元への強い思いを持ち続けてきた人物です。番組では、札幌・ススキノの飲食店での大物脚本家との口ゲンカを振り返りました。その人物とは、交友が4~5年続いているなかで口ゲンカが勃発したというのです。一体、松山千春さんが“2度の大ゲンカ”をした大物脚本家とは誰なのでしょうか?

ヒント…

  1. 脚本家・劇作家として活躍
  2. 1977年に北海道・富良野へ移住

「北海道の人間じゃなくなったな」に松山千春さんが反論

答えは……故・倉本聰さんです!

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2022年撮影:脚本家・倉本聰氏】脚本家・倉本聰 (C)SANKEI

2026年10月4日、松山千春さんはFM NACK5『松山千春 ON THE RADIO』に出演し、9月18日に多臓器不全のため91歳で亡くなった倉本聰さんをしのびました。リスナーからのメールをきっかけに、「俺と倉本さんって凄い仲良かったんだ」と切り出した松山千春さん。1977年、倉本聰さんが富良野へ移住し、松山千春さんが『旅立ち』でメジャーデビューした頃から交流が始まったといいます。

しかし交友が4〜5年続いたあと、ススキノの店で倉本聰さんから「千春も北海道の人間じゃなくなったなあ」と言われたといいます。コンサートで全国を回り、北海道にいる機会が少なかった松山千春さんはカチンときたそうです。「おい倉本、お前、今なんて言った?バカ言うんじゃないよ、この野郎。俺には200年の北海道の人間の血が流れているんだ」と言い返し、これが1回目の衝突に。その後、再会した際に、映画を制作するという倉本聰さんから「お前を出演させる気はないよ」と言われます。松山千春さんは再びカチンときて言い返し、これが2回目の衝突に。それ以来、関係は疎遠になっていったと明かしました。

強い思いがぶつかった関係

松山千春さんと倉本聰さんの関係は、単なる不仲というより、それぞれに強い思いを持つ者同士だからこそぶつかったのかもしれません。松山千春さんは、倉本聰さんが手がけた『2丁目3番地』『青春とはなんだ』『うちのホンカン』シリーズ、『前略おふくろ様』などの作品を「大好きだった」とも語っています。

近年も札幌のそば店で顔を合わせることがあったものの、ケンカ別れした状態は続いていたそうです。それだけに訃報を聞いたとき、「寂しい、残念だっていう思いがこみあげてきた」と悼んだ松山千春さん。2度の大ゲンカの奥に、深い敬意と友情がにじむエピソードでした。

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