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Vol.4 息子が発達障害の診断を受けたとき

  • 2016.7.15

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息子を、発達障害専門クリニックである司馬クリニックで診てもらうことにした私。クリニックを受診するための問診票を書いて、診断日当日を迎えた。診察を受けて、いよいよ診断を「宣告」されると思っていたが…。

■診断を受けたときの様子(私の場合)

軽度の発達障害専門クリニックである司馬クリニックで、わが家は以下のような流れで診断を受けた。(クリニックによって違いがあると思うので、参考程度に)

・臨床心理士の親への聞き取り:約30分

・子どもの認知力検査:約1時間~1時間半

・医師と子どもの面談、診察(親が同席):約20分

・親への話:約30分

すべての診察が終わって、親への話の時に、司馬先生は、こんなふうにおっしゃった。「湧太くんをフォローする方法は、いろいろありますよ。クリニックに通って、少しその方法をお勉強してみますか?」

いよいよ診断名を宣告されると思っていた私は拍子抜けして、思わず聞いた。

「あの、先生、うちの子は発達障害なんでしょうか?」

「まぁ、そういうことではありますね」

と、サラリと先生はおっしゃった。

■診断は、対処法を知るためのもの

後になって、司馬先生に聞いてみたことがある。

「最初の診断時、先生は私が聞かなければ診断名をおっしゃいませんでしたよね? あれはなぜですか?」と。

先生曰く、「診断名を親御さんにお伝えするかどうかは、ケースバイケース」なのだそうだ。

発達障害をフォローする方法論は、かなり確立されている。診断があることで「これから何をするのか?」「どんな方法があるのか?」が見えてきやすくなる。

司馬先生は言う。「診断名をお伝えするということは、たとえるならば、“ここにいけば、便利な道具がたくさん売っているよ”という○○商店というお店屋さんの名前を紹介するような感じです」

けれども、診断がついた(お店の名前を教えてもらった)ということに、とてもショックを受けるお母さんも、もちろんたくさんいる。

「いろいろなお母さんがいらっしゃいますから、とくに診断名をお伝えしないのが私のスタイルなんですよ」と、先生は優しく教えてくれた。

■いちばん最初に抱いた感情は「安堵」

私自身は、診断を受けてどう思ったか? それを思い出そうとすると、ある情景が思い浮かぶ。それは、診察(診断)を受ける日の朝の景色だ。

司馬クリニックは、ビルの4階にある。4階分の階段を上るので、私はちょっと息切れしていた。階段を上り切って、クリニックの扉が見えた。季節柄だったのだろうか、クリニックのドアが少し、風が入るような感じで開いていた。

もし、あのとき、クリニックのドアがピッチリ閉じていたら、私は扉を開く気力があっただろうか? 多分、そんな気力はなかったと思う。深い森の淵にひとりでいるような、そんな心細さがあった。

「できうる限りの方法で、湧太をフォローしたい」という気持ちは芽生えていたものの、それは余りにも頼りなく柔らかい“芽”でしかなかった。 それでも、私は自分から息子の診断名を聞くことを選んだ。「思わず聞いてしまった」という方が正しかったのかもしれない。

私が息子の診断を聞いたときの気持ちを、的確に表現している文章があったので、引用しておこう。

人間は、大人も子どもも、自分自身の欠陥について知ると、なぜか安心する。なぜなら、生まれて初めて、自分が学校や上司などの欲求に対応できずに苦しんでいた理由と、その問題を克服するにはどうすればよいかがわかるからだ。彼らは自分を許せるようになり、(中略)自分を罪人視しなくなった。正しい自己認識は開放であり、許しなのだ。

メル・レヴィーン・著/『ひとり ひとり こころを 育てる』より

正しい自己認識は開放であり、許し。まさに、そんな感じだった。ずっと、ずっと、「どうして、(この子の子育ては)上手にいかないのだろう?」と思っていた理由がわかったとき、一番、最初に感じた感情は「ああ、だから、そうだったんだ」という安堵感だった。

この経験を通じて、私は正しい自己認識を持っておくこと。つまり、発達障害についての基本的な知識を持っておくことは、当事者(母や子ども)の気持ちを落ち着かせるためにとても重要だと思うようになった。

次回以降は、司馬先生の協力を得て「発達障害の基礎知識」について書いてみる。

(楢戸ひかる)

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