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『ラムネモンキー』人生に行き詰った51歳を“再起動”! マチルダの名言が心に刺さる

  • 2026.2.11
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(左から)大森南朋、反町隆史、津田健次郎 クランクイン!

反町隆史、大森南朋、津田健次郎をトリプル主演に据え、『コンフィデンスマンJP』、『リーガルハイ』、『デート〜恋とはどんなものかしら~』(いずれもフジテレビ系)の古沢良太が脚本を手掛ける連続ドラマ『ラムネモンキー』(フジテレビ系)。人生に行き詰まった主人公たちの「再起動」を見つめる本作の放送が、第4話まで進んだ。描かれたメッセージやキャストの好演に毎話心を動かされてきたが、中盤~後半へと突入していく前に、ここでは主人公たちの恩師である臨時の中学教師、マチルダこと宮下先生(木竜麻生)のセリフを中心に振り返りたい。

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■“中二病”のベールに包まれた記憶――その事実を追う3人

ユンこと吉井雄太(現在の反町)、チェンこと藤巻肇(大森)、キンポーこと菊原紀介(津田)の中学時代から幕を開けた本作。彼らの前に、『未知との遭遇』ばりの大仰なUFOが登場し、「SFモノ!?」と面食らった。しかしこれは中二病の主人公たちの脳内にある「書き換えた記憶」によるものだった。第2話以降も、彼らが脳内で書き換えた、まるで映画のごとき記憶を最初に提示し、そこから事実を見せていく。

贈賄容疑と家庭の危機(ユン)、失職(チェン)、母の介護(キンポー)と、それぞれ現実的な問題にぶつかった状態で再会した3人。きっかけを作ったのはキンポーだ。彼らはずっと仲の良かった3人組ではなく、ある短い時期に時を過ごした仲間にすぎない。それでもキンポーは、(マチルダ失踪にまつわる真相を)「調べなきゃ、そうしなきゃいけない気がする」と、ユンとチェンに連絡を取った。1話には、彼が放射線科に通っているらしき描写があった。彼がマチルダとの写真やチラシを見つけたのは、病の自分を前にして、自宅の整理を行っていたからかもしれない。

そうして物語は、マチルダ失踪のなぞと、自分たちの不確かな記憶が覆う事実に、カフェで働く白馬(福本莉子)の手を借りながら迫っていく。だがミステリーの答え以上に、重要なのは彼女が3人に残した「言葉」と、いまの彼らの「これから」なのではないかと感じる。

■「傷ついて泥だらけになっても……」“今”の背中を押す、あの頃の言葉

かつてのマドンナ的存在だったミンメイ(西田尚美)に会いに行った第2話は、ユンの物語が軸だった。中学時代のユンは、当初、映画研究部への入部を迷っていた。しかしマチルダの言葉により入部を決める。「バカにされても、恥かいても、傷ついて泥だらけになっても、平気な顔して前を向いて生きる。そういう人がかっこいいんじゃない?」という投げかけだ。この言葉は、人生の成功者から転落した現代のユンの背中を、再び強く押す言葉になるはず。

第3話は情熱を失っていたチェンを見つめた。ジェイソンこと、元体育教師の江藤(須田邦裕/石倉三郎)と再会した3人は、「品性下劣な面になった」(ユン)「今も影の薄い人生を送ってるんだろう」(キンポー)「みじめな人生を送ってるんだろう」(チェン)と、それぞれに酷い言葉を投げられる。過去も現在も、江藤の言動を肯定はできないが、彼らを焚きつけ、チェンの「俺らまだ50だ。まだまだこれからだ!」の言葉を引き出したのも事実。もう体の利かない江藤に、自ら頬を差し出す3人に泣いた。

そしてチェンはマチルダの言葉を思い出す。「創作をするってことは、批判も批評もされるってことだよ。それでも作らずにいられない人が創作者になる。君は批評する側になりたい? される側になりたい?」。直前まで「オタクなんてものは人が作ったものに、いちゃもんつけてるうちが幸せなんだよ」と口にしていたチェンが、自分は創作者側だと再認識し、作らずにはいられない情熱を取り戻し始めた。

第4話は、介護(さらに自身の病のこともあるかもしれない)によって追い詰められながら、内に閉じ込めていたキンポーの回。かつての不良に放った叫びが胸の奥にまで突き刺さった。キンポーは、漫画家になりたいという夢を家のために捨て、家に押し込められて生きてきたと感じていた。しかしユン、チェンとともにカンフーポーズを決めて笑顔を取り戻したキンポーにマチルダの言葉がよぎる。「アドバイスするよ。本当に漫画家になりたいならね。あなたの人生はあなたのものだから。本当にやりたいことをやったほうがいい」。理容師になったのは、母の姿に憧れた自分自身が選んだ道だった。

■3人は何を書き換えたのか? 物語は「現在進行形」の再構築へ

マチルダが蒔いた「泥だらけでも前を向く」「本当の創作者たれ」「自分の人生を」という種が、51歳のいま、再び芽吹くときが来たのかもしれない。

改めて、第1話を思い出したい。1話のラスト、丘の上でのマチルダとの別れの場面で、彼女は3人の頭を優しくなでたあと、去り際に「じゃあね。約束、守りなさいよ」と口にした。ここでの“約束”とは何を指すのか。上記の種で十分といえば十分だが、過去を書き換えた3人は、ほかにも重大な何かを封印し、肝心の“約束”も忘れてしまっている可能性がある。

映画研究部の発足には部員4名が必要だった。彼らは、あと1人を「当時、登校拒否だったある生徒に、ハンコだけ貸してもらった」とし、さらに「あの火事で焼けちゃった家の子な」と振り返っていた。“火事”の画は、彼らの記憶の断片としてたびたび映り込むが、3人と何か関係があるのだろうか。そしてマチルダの失踪にも。マチルダのボールペンを見つけた際の「俺たちのせいだ」の言葉が気になる。

マチルダを付け回していたという男の存在や、銃を持った魔女(前田美波里)とその孫など、まだいくつもなぞはあるが、抜けているベータビデオの12巻に大きなヒントがありそうだ。

第2話の白馬のモノローグに「記憶は記憶であって事実ではない。誰もみな思い思いのベールに包んで物語にしている。そのベールを剥いだとき、私たちは果たしてそれを、直視できるのだろうか」とあった。おそらくこれから、ベールが剥がれていく。マチルダは、彼女のオリジナルキャラのとんちゃんにも「上を向いてガンバレ!」と託していたが、さらに大事な“約束”が、彼らを乗り越えさせてくれるかもしれない。

古沢良太の脚本は、ともすれば陰鬱とした気持ちに落ちそうな題材を、さわやかなエンターテインメントとして昇華させる。加えて、エンディング曲「Everyday」(Bialystocks)がいい。特に第2話からは物語が収束した「結」ではなく、さらに一歩深いテーマへと踏み込んでいく「転」の瞬間に曲がかかる。このタイミングの秀逸さにも痺れる。

重要なのは、彼らの再スタートが、更地からではなく、過去の自分たちの光も影も抱いた“再構築”になるだろうこと。本作は単なる懐古ではなく、現在進行形。そこに込められた普遍的な思いは、時代や年齢を超えて響くはずだ。(文:望月ふみ)

ドラマ『ラムネモンキー』はフジテレビ系にて毎週水曜22時放送。

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