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まるで「借り物競争のような人生」を楽しむ、50代多毛作女優【みょんふぁ】を支える言葉

  • 2026.2.9

まるで「借り物競争のような人生」を楽しむ、50代多毛作女優【みょんふぁ】を支える言葉

TBSの朝のバラエティ番組「ラヴィット!」で、韓国人俳優の通訳として出演し、そのチャーミングな人柄で一躍その名を知られるようになった、みょんふぁさん。女優や司会、通訳として活躍するみょんふぁさんに、意外なこれまでの歩みや、自身を支える言葉をインタビュー。第2回は「能力の差はない。すべてはやる気の差」という両親からの教えを体現し、道を切り開いてきたその原動力などを伺います。

プロフィール
みょんふぁさん 女優、通訳、司会

みょんふぁ●大阪府生まれ。
女優として映画、舞台などで活躍。韓国語・英語通訳、司会、翻訳の他、芸能事務所SORIFA代表も務める。
2015年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて、韓国国立劇団へ俳優留学。17年第9回小田島雄志・翻訳戯曲賞受賞。
Instagram、TikTok(@myonkodive)「みょんふぁのカンタン韓国語」が人気。
TBSドラマ「Dream stage」では、みょんふぁ&team SORIFAとして通訳や台本翻訳、日韓両語のセリフ指導などを行っている。

40代で韓国国立劇団へ俳優留学。まるでそこは軍隊!? 厳しい日々を乗り越えて

女優だけでなく、司会も通訳も翻訳も、どれもやる「多毛作女優」を極め、全ての仕事に堂々と、意欲的に向き合う––––。その結果、みょんふぁさんのもとには数々の出会いとチャンスが舞い込んでくるようになる。通訳の現場で知り合ったことをきっかけに韓国国立劇団の芸術監督の招へいもあって、40代になってすぐの頃、2015年文化庁新進芸術家海外研修制度で俳優留学することになる。

「何千人に一人しか選ばれないものに、まさか自分が選ばれるなんてと、最初は本当に驚きました。通訳もそうなのですが、芝居もきちんとした訓練を受けたことがなく、何となくやっているということがずっとコンプレックスでした。一度本格的な訓練を受けてみたいと思っていましたから、私にとっては大チャンス。でも行ってみたら、韓国国立劇団はまるで軍隊のよう! 毎日の筋トレは本当にツラくて『これが何の役に立つんだ』と思いながら過ごした1年間でした。根性はものすごく身に着いたと思いますよ!」

「生涯を自分一人のためだけでは頑張れない」。悩んだ末、所属事務所を独立

帰国後も積極的に活動を続け、2017年第9回小田島雄志翻訳戯曲賞受賞。夢に向かって走り続ける人生だが、40代になり「一生、自分一人のためだけでは頑張り切れない。もう続けられないかもしれない」と思ったことがあったという。

「20代で一度結婚をしたけれど離婚をして、子どもはいない。そんな私にとって、原動力になるのは両親の存在。親が亡くなる瞬間まで、ずっと楽しく面白がらせてあげたい。そう思って日々頑張っているのですが、とはいえ、両親もいつまでも元気でいられるわけじゃない。この先も一人でこの仕事を続けていくためには、どうしたらいいか……と考えて、50代になるときに『失敗するなら今だ』と、所属事務所を辞めて独立しました」

みょんふぁさんの生きる原動力でもある両親が、幼い頃から伝えてきた言葉が、「能力の差はない。すべてはやる気の差」だという。この言葉を体現するかのように、みょんふぁさんは幾度となく「やる気」で道を切り拓いてきた。

「本当は一人で事務所をやっていくつもりだったんですけど、若い子が一緒についていきたいと言ってくれて。マネージャーなんてやったことないし、『自分一人でもいっぱいいっぱいなのに、どうしよう』と最初は悩みました。だけど、やっぱり一人よりは誰かがいてくれたほうが頑張れる。私自身は打たれ弱くて、すぐに泣いてしまうタイプ。守らなければいけない存在がいたほうが、強くなれるだろうと思って。この歳になってこれほど多くのことを学ぶとは思わなかったけれど、充実していて今がとても楽しいですね」

どんなときも全力で、仕事も遊びも楽しむ自分の生き方を「借り物競争をしているよう」と表現するみょんふぁさん。

「何かを探して、走りながら考えて、見つけたらまた次のものを探すために走り出す。そんな借り物競争のような人生が、コンプレックスでもあったけれど、翻訳の仕事の経験や出会いが女優業に生きて、通訳の仕事にも反映されるように、全てのことに無駄はないのだと今は思っています」

どんな苦難に直面しても––––。心でつぶやく「もういいや。明日考えよう」

幼い頃からずっと「女優になりたい」という夢を抱き続けてきた。でも、みょんふぁさん自身も忘れていた、将来の夢がもう一つあった。

「私がラヴィット!に出て話題になった直後に、母から『これ覚えてる?』と見せられた小学生の頃の作文に、『将来の夢は通訳者になること』と書いてあったんです。その作文が賞を取って、記念の置時計が今も実家にあるんですけど、私自身はそんなことをすっかり忘れていてびっくり! しかも書いてある内容が、今の自分と同じ気持ちだったんですよ。『通訳は言葉だけ正しく訳してもだめ。その人の向こう側を見なくちゃいけない。何よりも思いやりがないとできない仕事だ』って。大人になった自分が読むと、随分ませた小学生だなぁと思いますけど、通訳だけでなく芝居も、司会もどんな仕事も同じで、大切なのは思いやりだと思っています」

どんな困難も「やる気」とポジティブさで乗り越えてきた。でも、「落ち込んで『もう何もしたくない!』と布団にこもるときもあるんですよ」と言う。そんなとき、つぶやく言葉があるという。『風と共に去りぬ』の主人公スカーレット・オハラのセリフ「After all, tomorrow is another day」––––「明日は明日の風が吹く。とりあえず明日考えよう」。この言葉を胸に、どんな苦難も乗り越えてきた。

「周囲になじめず悩んでいた中学生の頃、『風と共に去りぬ』を読んで、深く考え込んでも仕方ない、『もういいや。明日考えよう』と思えるようになったんです。しんどいときは一度苦悩を横に置いて眠りにつく。そうすると翌日、心が少し軽くなってたった1ミリかもしれないけれど、昨日よりちょっとだけマシになっていると思えるんです」

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