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【田園日記~農と人の物語~ Vol.32】志は高く、養鶏を生業に地域と歩む

  • 2026.2.3

農にまつわるリアルを伝えるドキュメンタリー連載。情熱をもって地元で「農」を盛り上げる「人」にスポットを当て、いま起こっているコトをお届けします。今回は高知県大月町で、肉用鶏を飼育する井上孝秀さん(48)を訪ねました。養鶏場設立のため県外から移住し、現在では四国一の出荷羽数を誇るまでに成長。その恩返しにと、地域と養鶏の未来のために奮闘する日々に密着します。



養鶏場の規模拡大のため、移住を決意

高知県南西部に位置する大月町。その山間地に、近代的な建物が整然と並んでいます。窓のない平屋の建物は、工場にも見えますが、じつは「システム鶏舎」と呼ばれる最先端の養鶏場。経営しているのは、肉用鶏を生産する「株式会社ヤマニファーム」代表の井上孝秀さんです。

「この一棟だけで、広さは四百三十坪。二万五千羽が飼育されています」
と孝秀さん。驚くのはその規模だけではありません。

「鶏の飼育でいちばん重要なのは、温度管理です。このシステム鶏舎なら、室温を〇・三度刻みで設定できます。鶏が一時間ごとに飲んだ水の量や、食べた餌の量もわかるんですよ。気になる変化があれば、その原因を探して対処することができます」



孝秀さんは平成二十年に、四国で初めてこのシステム鶏舎を導入。以来、飛躍的な規模拡大をしてきました。年間の出荷羽数は約百五十万羽で、令和二年に四国で一位になり、「令和六年度全国優良畜産経営管理技術発表会」では、最優秀賞に輝きました。

でも、ここまでの道のりは、平たんではありませんでした。孝秀さんは、県外から移住してきた一人でした。

孝秀さんの出身は、愛媛県宇和島市。二十二歳のときに、家業の養鶏を手伝い始めました。転機が訪れたのは一年後。父の明さん(76)から「大月町に、高齢で廃業を考えている養鶏場がある」と聞いたのです。当時、結婚して、子どもが生まれていた孝秀さん。

「家族を養うためには、規模の拡大をするしかない」

そう考えて、移住と独立を決断しました。しかし、一人で養鶏業を営むのは初めて。失敗も多く、寝る間を惜しんで働いても、収益はなかなか上がりませんでした。





地域からの信頼なしに養鶏は続けられない…

そんな苦しい生活のなかでも孝秀さんは、たいせつにしてきたことがありました。
「自分たちは移住者です。地域からの信用がだいじ。でないと養鶏は続けられない」

鶏舎の衛生管理や排水対策に力を入れ、地域の行事にも積極的に参加しました。愛媛県立宇和島東高等学校時代、硬式野球部で甲子園に四度出場した経験がある孝秀さん。地域のソフトボール大会では“引っぱりだこ“となり、たくさんの仲間ができていきました。

平成十三年の高知県西南豪雨と二十四年の台風一一号では、養鶏場が深刻な被害に遭いました。しかし、そのときに助けてくれたのも、地域の人たちだったと振り返ります。

「地域のみなさんが、片づけを徹夜で手伝ってくれたり、水を運んでくれたり、ほんとうに助けられました」
地域の人たちに恩返しをしたい。孝秀さんはいつしか、そんな思いを強く抱くようになりました。



鶏ふんを使った堆肥づくりで、農家仲間を助けたい

そして、その思いは意外なことをきっかけに、実行されることになります。

システム鶏舎を導入して以降、順調に規模拡大をしてきた孝秀さんでしたが、新たな悩みも生まれていました。増え続ける鶏ふんの処理に、大きな費用がかかるようになっていたのです。そこで思いついたのが、鶏ふんを使った堆肥づくり。地域の農家仲間が、肥料の高騰で頭を抱えていることも知っていました。

「みんな困っとるなら、みんなでつながって、みんなでよくしよう!」

令和二年、孝秀さんの発案で「大月町畜産クラスター協議会」が発足しました。その仕組みは、こうです。孝秀さんがつくった良質な鶏ふん堆肥を、農家にほぼ無償で提供。農家のコストダウンや野菜出荷量の増加に貢献すると同時に、生産された飼料米をJAの飼料会社で配合飼料にします。

その飼料を、孝秀さんの養鶏場で使用します。生産された鶏肉をブランド化して「よさこい尾鶏」と命名。町の新たな特産品として、道の駅などで販売します。そんな循環が、地元農家やJA、町役場、飼料会社などを巻き込みながら育まれています。



さらに令和三年からは、レモン栽培への挑戦も始めました。

かつては町の主要産業の一つだった葉タバコ栽培。しかし近年は、やめる農家が続出していました。孝秀さんはそんな農家と交渉し、七ヘクタールの農地を取得して栽培を始めたのです。

「レモンに目をつけたのは、鶏肉と相性がいいから。いっしょに販売できると考えました。堆肥もバンバン使えるし、ゆくゆくはレモンを餌に混ぜてみたいですね。うちにしかできない“循環型農業“をやってみたいです」
孝秀さんは目を輝かせます。

その視線は、出荷羽数が四国一の規模になった後も満足することなく、つねに未来へと向けられています。
現在、孝秀さんはシステム養鶏のバージョンアップに取り組んでいます。養鶏業界の後継者不足が深刻だからです。
「だれでも、どこでも、同じように養鶏ができる技術を確立し、次の世代につなぎたい」

同時に、人口が減り続けている町の未来のために、自分にできることを探し続けています。

「だれかを当てにせんと、まずは自分で動くこと、つながっていくことがだいじやと思っています。つながれば一プラス一が二じゃなくて、何倍にもなるんですから」

養鶏を生業とする自分を育ててくれた、第二のふるさと“大月町“のために。
「これからも、いろいろな人を巻き込みながら、大月町を盛り上げていきたい!」
孝秀さんは燃えています。

※当記事は、JAグループの月刊誌『家の光』2025年6月号に掲載されたものです。

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