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アイドルを“リアルな人間”として描くことに成功した深田晃司監督『恋愛裁判』。その映画的思考と人生観【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

  • 2026.1.28

シンプルな漢字四文字のタイトル(いきなり余談だが、『関心領域』や『教皇選挙』が日本でヒットした要因の一つに、自分は作品内容を端的に表した漢字四文字タイトルの伝わりやすさがあったと話してきた)。法廷の証言台から真正面にこちらを見つめる齊藤京子の真摯な眼差しを捉えた宣伝ビジュアル。日本独自のアイドルカルチャーの中で当たり前とされてきた“恋愛禁止”というドメスティックな題材に、海外の映画祭の常連であり、これまで映画界における人権問題についても率先して行動してきた深田晃司監督がどのようにアプローチをしているのか? 公開中の『恋愛裁判』は、まず企画として非常にシャープな作品だ。

【写真を見る】齊藤京子の”声”のトーンに惹かれたという深田監督。土砂降りのシーンの芝居も光る

また、これまでの深田晃司作品に親しんできた観客はもちろんのこと、そうでなくても驚かされるのは、劇中で描かれているアイドルグループや、その活動を取り巻く事務所やファンの描写、そして一般人とも地続きの彼女たちの生活描写や会話の精度の高さだろう。名手四宮秀俊のさり気なくも研ぎ澄まされた撮影も相まって、リアリティを損なうようなノイズがなく作品の世界に没入できるからこそ、法廷で『恋愛裁判』が展開していく作品後半での問いかけが、観客に忘れ難い余韻を残すことになる。

撮影は、本作が深田監督と初タッグとなる四宮秀俊が務めている [c]2025「恋愛裁判」製作委員会
撮影は、本作が深田監督と初タッグとなる四宮秀俊が務めている [c]2025「恋愛裁判」製作委員会

この取材では、『恋愛裁判』という作品を特徴づけていたと自分が考える「映画におけるリアリズム」と「人の善性」という2つのポイントに絞って深田晃司監督に詳しく話を訊いた。インタビュアーとしては、思いもよらなかった深田晃司監督の本音を聞くことができて、これまでの深田晃司観が覆される体験となった。

「ターゲットはアイドルカルチャーに関わっている人たち。ファンまで広げたら、それはもう“アジア”なんですよね」(深田)

公開中の『恋愛裁判』海外の反響から、人生観までを明かしてくれた 撮影/湯浅 亨
公開中の『恋愛裁判』海外の反響から、人生観までを明かしてくれた 撮影/湯浅 亨

――まずは、これまで深田監督の作品を観てきた一人の観客として、今回の『恋愛裁判』は、きっと誰が観ても問答無用におもしろいエンターテインメント作品として成立していることが新鮮でした。

深田「ありがとうございます」

――東京国際映画祭での上映やマスコミ試写で観た知り合いも一様に興奮していて、これまでの深田作品とはちょっと違うところに熱を生じてるような実感があるんですよね。

深田「もともと、今回の作品はスタートラインからこれまでとちょっと違うところがあって。きっかけは、 2015年に小さな新聞記事を見て、『あ、これ映画になるんじゃないか』っていうところからスタートしました。 大体いつも映画を作る時は、自分が最初の観客だっていうつもりで、自分がおもしろいものを作れば、他の人もおもしろがってくれるだろうと信じて作るしかないというスタンスなんですけど。 今回は、自分もそうですけど、きっとプロデューサーやスタッフも、作品を作っていくなかで、はっきりと“ここに向けて観せたい”というイメージする最初の観客層がはっきりしていって。 それは、アイドルカルチャーに関わっている人たち、アイドル本人かもしれないし、あるいは業界の中でアイドルの仕事をしている人たち、さらにアイドルファンの人たちで。ファンっていうところまで広げたら、実は狭めているようで全然狭まってなくて。広く言ったら、それはもう“アジア”なんですよね」

――確かに、いまやアイドルカルチャーって日本だけのものじゃないですよね。

深田「2015年の段階で、自分自身は一般の日本人の平均以下のアイドル知識しかなくて。 でもそこから関心を持って取材をやったり、アイドルのライブに行ったりしていって、脚本にやたら時間がかかってしまったんですけど。学んでいけば学んでいくほど、自分が知らないと思っていたアイドルカルチャーというのは、もう映画にも音楽にもドラマにもCMにも深く根付いていて。アイドルと一緒に生きていくっていうこと、生活していくのがもう日常であるっていうような感覚は、逆に当たり前すぎてこれまで自分が意識していなかっただけなんじゃないかって。で、 やっぱりその感覚は、欧米の感覚とはまったく違うんですよね。なので、まずこの映画を届けるべき対象は、アイドルカルチャーの中で生きている人たちだっていう意識が結構芽生えるようになって。それは、もしかしたらいままでの作品とはちょっと違うところかもしれないです」

勢いのあるアイドルグループの一つとして描かれている「ハッピー☆ファンファーレ」 [c]2025「恋愛裁判」製作委員会
勢いのあるアイドルグループの一つとして描かれている「ハッピー☆ファンファーレ」 [c]2025「恋愛裁判」製作委員会

――構想してからこの10年で、深田監督自身もアイドルカルチャーとの距離感が変わっていきましたか?具体名は挙げなくてもいいですけど、特定のグループに入れ込んだりとか、いわゆるこれがみんなの言っている“推し”ってやつか!みたいな目覚めがあったとか。

深田「いや、もう喜んで具体名挙げちゃうんですけど(笑)。まあ、これはミイラ取りがミイラになったっていうそういう経歴でして。Tomato n' Pineというアイドルグループなんですけど。もう10年以上前前に解散してしまって」

――ああ、そうなんですか。

深田 「楽曲派って呼ばれていて、すごくいわゆるメジャーな人気があったわけじゃないと思うんですけど、一部からは“音楽がとにかくいい”っていうことで知られていたみたいで、自分自身が知ったのは映画を作る過程で。 なんで知ったかというと、やっぱりこの(劇中のアイドルグループの)ハッピー☆ファンファーレの音楽をどういった方向性にするかっていうのは、この脚本を立ち上げてからずーっと頭にあって、悩みの種だったんですね。あまりにもアイドルカルチャーど真ん中の、日本の典型的なアイドルソングにしてしまうと、それはアイドルとファンが長年をかけて築き上げた個性であって、アイドルカルチャーに馴染んでない人、特に海外の方になると、ちょっと拒否反応が出そうだなっていう。でもここで急にK-POPのような楽曲にするのも、それは日本のアイドル文化を描くという文脈からは外れてしまうし。ちゃんとアイドルソングらしさを残しながら、でも音楽として一般の人も聴きやすいものを探していてたどり着いたのがトマパイで。まあ、とにかく曲がいいっていう」

――じゃあ、完全に解散してからの後追いということですか?

深田 「おかげで推し活でお金を落とさずに済んだ、みたいな感じです(笑)。曲自体は、いまでもほぼ毎日のように聴いてますね」

――へえ!

深田 「今回のハッピー☆ファンファーレの楽曲も、トマパイのプロデュースにagehaspringsさんが関わっていたので、それでagehaspringsさんにお願いして、『このイメージで行きたいんです』っていうことを伝えました」

――なるほど。それでいろいろ謎が解けました。作品を観ながら『あれれれ? 深田監督、これは相当アイドルカルチャーに入れ込んでるんじゃないか?』っていうくらい、アイドル周りの描写の解像度が高かったので。

深田 「そう言ってもらえるのはうれしいです。 ただ、映画って総合芸術なので、それは自分の力だけではまったくなくて。今回、共同脚本で入ってくださってる三谷伸太朗さんという方が、もともとあるアイドルグループ周りで作家みたいなこともされていて、本人もすごくアイドル好きで詳しいっていうのと、そもそもこの企画をやりたいと言った時に背中を押してくれた戸山剛さんという、自分より年上のプロデューサーの方なんですけど、その方がもう昔から何十年来のアイドルファンであるとか。あとは現場で実際に作る過程ですごく力になったのは、助監督が4人いたんですけど、そのうちサードとフォースの若い女性2人、鳥居(みなほ)さんと柏原(音生)さんという方で、まだ20代半ばなんですが、めちゃくちゃアイドル好きで、作りながらもいろんな意見をもらいながら作っていきました。そうした前提がありつつ、今回の作品のためにハッピー☆ファンファーレというグループを作るにあたって、竹中夏海さんとか、相澤樹さんとか、アイドルの振り付けや衣装をやられている最前線の方たちの力も借りることができて。だから、そういった方たちの総合力ですね」

――カンヌ国際映画祭に出品した際に受けられた海外のジャーナリストとの会見を読んだんですけど、「やっぱり日本のアイドルというのは、こういう歳上の世代の男性がファンの中心なのか」と訊かれて、そこで深田監督が「いや、最近は若い女性のファンも増えてる」みたいなことを言っていて。なんの因果か、深田監督が日本のアイドルカルチャーのスポークスマン的な役割を担わされているのがおもしろかったんですけど(笑)。

深田「あはは。そうですね。 取材をするなかで女性アイドルグループのライブをいくつか見に行ったりもしましたけど、観客の男女比に関してはグループによってかなり違うんですよね。ただ、例えばK-POPの人気アイドルグループの映像とか見るとすごく女性が多いっていう印象もあるんですけど、日本だと比率的に女性が50%以上というグループはまずないので。今回、ハッピー☆ファンファーレのファンの男女比率をどうしようかと思った時に、自分のイメージとしては8割男性、2割女性ぐらいの感覚で。 まあ女性がまったくいないのも現代的ではないし、当初のイメージよりも目立つところに女性のファンが映ったなと思ってたんですけど、それでも海外で上映すると、男しかいないっていう印象みたいで(笑)。『なんでこんなに男ばっかりなんだ』みたいな。そこに対する嫌悪感みたいなものが欧米はすごく強いんだと思います」

「ハッピー☆ファンファーレ」のライブを訪れるファンの年代、男女比率も試行錯誤したという [c]2025「恋愛裁判」製作委員会
「ハッピー☆ファンファーレ」のライブを訪れるファンの年代、男女比率も試行錯誤したという [c]2025「恋愛裁判」製作委員会

――なるほど。欧米では男女のグループ問わず、アイドルの消費者は女性客が中心というイメージですからね。

深田「そうなんです。だから、年齢層の高い男性たちが、まだティーンエイジャーの女性たちを愛でているように見える文化に対する、生理的な嫌悪感みたいなものがすごく強いんだろうなっていう」

——だからこそ、日本のアイドルカルチャーを題材に、深田監督のように海外の映画祭の常連と言える立場の監督がちゃんと解像度高く作ったということは、すごく意味があることだと思うんですよね。その上で、自分はこの作品を観たときに二つのキーワードが浮かびました。一つは“リアリズムの度合い”。もう一つは“人の善性”。この二つを中心に、今日は話を訊かせてください。

深田「はい」

『恋愛裁判』は第78回カンヌ国際映画祭カンヌ・プレミア部門に正式出品された [c]Kazuko Wakayama
『恋愛裁判』は第78回カンヌ国際映画祭カンヌ・プレミア部門に正式出品された [c]Kazuko Wakayama

「リアリティラインに観客が引っかかりを覚えるような作品だと、どうしても動員にも天井があるんじゃないかって」(宇野)

――最初に自分が「誰が観ても問答無用におもしろい」と『恋愛裁判』を評した理由の一つは、これまでの深田作品の中でも、特にリアリズム度が高い、そこを重視している作品だと思ったからなんです。それはアイドルの描写だけじゃなくて、その背景に映っている社会であったり、登場人物たちの心の動きであったりも、もちろん含めてのことですけど。特に日本の実写映画って、エンターテインメント性とリアリズムの度合いが密接に結びついていると自分は常々思っていて。

深田「ああ、はいはい」

――あからさまにファンタジー的な世界を描いたジャンル映画は別として、そこで観客が引っかかりを覚えるような作品だと、どうしても動員にも天井があるんじゃないかって。だから、多くのインディー映画やそれに類する予算規模の作品が不利なのも、キャスティングや宣伝の問題だけじゃなくて、ある程度のリアリティを担保した上で描ける範囲が限られているからなんじゃないかって。

深田「製作費とか製作期間とかの制約ですね」

【写真を見る】齊藤京子の”声”のトーンに惹かれたという深田監督。土砂降りのシーンの芝居も光る [c]2025「恋愛裁判」製作委員会
【写真を見る】齊藤京子の”声”のトーンに惹かれたという深田監督。土砂降りのシーンの芝居も光る [c]2025「恋愛裁判」製作委員会

――はい。今回の『恋愛裁判』はその問題をクリアしているわけですが、それによってリアリズムに近づきたくても近づけてない作品も少なくないじゃないですか。なので、深田監督が考える映画におけるリアリズムというのを、本作を糸口にちょっと広げてお伺いしたいなと。

深田「映画にとってのリアルってすごくおもしろいテーマだと思っていて。例えば、俳優の演技で“リアルな演技”って言い方をすることがありますけど、自分はある種のナチュラルさみたいなものを、まず前提として俳優の演技に求めているんですね」

――わかります。

深田「でも、ナチュラルだったらリアルであるかっていうと実は違ったりしていて。ドキュメンタリー映画のようにナチュラルな芝居が、映画的にリアルであるか、映画的におもしろいかっていうと、そこは必ずしもイコールではなかったりする。一方、例えばアキ・カウリスマキ作品の俳優の芝居なんて、ナチュラルかといったらまったくナチュラルじゃない。 あんなにしゃべらなくて、あんなに能面みたいで。でも、リアルじゃないかといったら、あれがすごくリアルに感じるっていうところが、映画のリアリズムのおもしろさだと思っていて」

――なるほど。

深田「つまり、現実っぽいからといって、必ずしもリアルっぽくはならないってところなんですよね。それに、作品が描いてるテーマとか扱ってる題材とか全体のトーンとかによって、何がリアルかというのも変わっていく。――あの、自分、宮崎駿信者なんで、宮崎駿について語り始めたら一晩でも語れちゃうんですけど(笑)。『天空の城ラピュタ』のリアリティラインはどこにあるのかという話を、宮崎駿がしていたのをよく思い出すんですけど。 『天空の城ラピュタ』なんて、まあ荒唐無稽な冒険活劇で、フラップターとか飛行石とか、ああいう科学と魔法が入り混じった、まったくファンタジーの世界なんだけど、でも私たちはあの作品にリアルを感じる。 一つは、ちゃんと宮崎駿が重力を描いてるってところなんですよね。 アニメーションだけど、シータが降りてきて、パズーが受け止めた時にグッと体重が戻って落ちそうになる。そうやってちゃんと重力を描いてるところが、あの映画のリアリティラインの根幹になってると思うんですけど、まあ、それは自分が勝手に思っただけで」

宮崎駿について語り始めたら、一晩でも語れちゃう…とつぶやく深田監督 撮影/湯浅 亨
宮崎駿について語り始めたら、一晩でも語れちゃう…とつぶやく深田監督 撮影/湯浅 亨

――あ、それは深田監督の考えなんですね(笑)。

深田「はい(笑)。宮崎駿があの作品のリアリティラインとして語っていたのが、あの世界にはフラップターもあるし、飛行石も出てくるけど、パズーが自分の家で飛行船を自分で作っていましたよね。あんな少年一人が、本来は作れるわけがないっていう。だから、もしラストシーンであれを飛ばしてしまったら、途端にあの映画のリアリティラインってのは崩壊するんだっていう。だから、飛行石とかフラップターがあるからリアルじゃないっていうことじゃなくて、あそこで少年一人が作った飛行機を飛ばすか飛ばさないかっていうところで、あの作品のリアリティラインが決まってくるんだ、みたいな話をしていて」

――うんうん。

深田「多分それと同じように、作品によってリアリティラインをどこに持ってくるかっていうのは、作り手の考え方次第で。『恋愛裁判』の場合、倉悠貴さんが演じてくれた敬というキャラクター、彼が映画史的にいろんな歴史を背負ってきた大道芸人であるということが、一つの重要なポイントになっていて。彼がいることで、特に前半は、恋愛ドラマとして主観と客観がある程度入り混じった表現が許されているんですね」

真衣と再会し、恋に落ちる大道芸人の間山敬。倉悠貴がマジックを披露する [c]2025「恋愛裁判」製作委員会
真衣と再会し、恋に落ちる大道芸人の間山敬。倉悠貴がマジックを披露する [c]2025「恋愛裁判」製作委員会

――ああ、なるほど!確かに前半と後半で作品のトーンが変化しますが。ただ、大道芸のシーン以外は前半からすごくリアルだなって思って見てましたけど。真衣と敬の感情の動きとかも含めて。

深田「そう感じていただけたのはありがたいんですけど、『恋愛裁判』では前半と後半で、ちょっとリアリティラインが変動しているんですよ。前半で、敬の大道芸のシーンを筆頭に比較的リアリティラインを下げつつ、でも後半の法廷劇になってからはグッとそのラインを上げていくという」

――リアリズムの度合いは、一つの作品の中でも、作り手のコントロール次第で変動可能だということですね。

深田「そうです。多分、そこの落差がこの作品においては大事だったのかなと思っています。どんなにリアリズムを突き詰めても、現実と映画はイコールでは結べないので。やっぱり映画の世界というのは、何もないところから、映画的な文法の中でリアルなものを再構築しているわけです。映画的な文法の中で許されるか許されないかというのが、自分にとっては大事なところで。前半のファンタジー的な演出のシーンは、あそこまでのものを自分もこれまでやったことがなかったから、多少ドキドキしながら『これ大丈夫かな』って思いながら手探りでやっていった感じではあるんですけど」

アイドル活動の中で起きた事件をきっかけに、真衣は間山敬と急接近することに [c]2025「恋愛裁判」製作委員会
アイドル活動の中で起きた事件をきっかけに、真衣は間山敬と急接近することに [c]2025「恋愛裁判」製作委員会

――いや、あのシーンで一気に作品に引き込まれましたし、あれこそがこの作品が映画である意味だったなって、改めて思いました。たまたま宮崎駿の話も出ましたけど、まさにあそこも重力に関する演出ですしね。

深田「観客としては、基本雑食性なんで、どんなものでも観るんですけど、いわゆる“クソリアリズム”的な作品はあんまり好きじゃないですね。 なんかもう、現実をそのまま生き写したみたいな感じのものよりは、やっぱり映画の文法の中でリアルを再構築してくれてるような作品のほうが、楽しんで観る傾向はあります。それこそで自分がよく一番好きだって挙げてるエリック・ロメールの作品でさえ、単純なリアリズムとは遠いと思っていて、本当に何も起きない現実的な会話劇であっても、やっぱりそこはものすごいレベルで、映画の文法の中で再構築された現実世界であるっていう感じがあって。多分、それが作家の視点であると思ってます。ものすごく緻密に描かれた写実主義の絵画って、驚きはするけど、それだけではあまり感動はしないっていう。 それよりも、全然写実的なリアリズムじゃないゴッホの絵になんで人が感動してしまうのか?みたいなところで、もちろん写実主義っていうのも一つの技術だし、それも表現ではあるんですけど、ただそこを突き詰めるだけだと、驚きがあってもなかなか感動は生まれないのかなという気がします」

――それはすごくわかるんですけど、映画の文法というところを離れて物語的なところでいうと、やはり日本の観客、特に実写日本映画の観客は、いわゆるリアリズムが好きだよなあという思いはあります。

深田「でも、恋人や奥さんが病気になって死んでしまって悲しくみんなが泣けるような映画は、リアルだけど、リアルなのかな?と思っちゃうけど(笑)」

――確かに。自分がここで言いたいのは、『恋愛裁判』はリアリズムの度合いが高いこともあって、これまで深田作品を観たことがなかった新しい観客を獲得できるんじゃないかという話なので、特に意見の対立点はないんですけど(笑)。ただ、ずっと自分がよく思っているのは、いわゆるシネフィルと言われる人たちは、そこをあんまり気にしなすぎだよねっていう。

深田 「ああ、それはわかります。確かに、それは問題としてあると思っていて、自分自身が多分シネフィルとして生きてきた人間なんです。特に十代の時に」

初対面ながら、じっくりトークを交わした 撮影/湯浅 亨
初対面ながら、じっくりトークを交わした 撮影/湯浅 亨

――雑食、でもベースはシネフィルってことですよね。

深田「そうです。山田宏一さんの本とかに出てくる映画を片っ端から観るみたいな感じで、基本観ている映画の8割は自分の生まれる前の映画、みたいな人生を歩んできたので。で、そこがシネフィルの危ういところで。映画の歴史的な蓄積とか、いわゆる映画的な文法——“映画的”っていう言葉自体がある種の危うさを持っているんですが——その映画的と呼ばれるのは、ややもすると過去の“記号”でもあるわけで。 あの映画でこういうふうに描かれたとか、こういうふうに車が走ったとか、そういうことの組み合わせで自分の中に“いい映画”の価値観を作り出してしまうわけですけど、それが表象主義と言われたりもして、画面に映っているものだけを観るようになっていく」

――はい。

深田「そうすると、映画の見方がどんどん記号的になっていくというか、運動とかショットとかばかりを観てしまうんだけど、そこだけで映画を語ったり作ったりすることの閉塞感みたいなものを自分自身がどうしようもなく感じるようになってきてしまって。シネフィルでありながら、そこに自己嫌悪も覚えるみたいな感じですね。だから、なるべくそこから逆のほうに離れていこう、みたいな意識も同時に結構強くあった20代、30代だったっていう感じです」

”映画の中のリアリズム”はどうやって成立するのか? 撮影/湯浅 亨
”映画の中のリアリズム”はどうやって成立するのか? 撮影/湯浅 亨

――自分としてはわりとシンプルに「でも、そういう映画は当たらないじゃん」っていう思いもあり、別に監督本人にとっては撮りたいように作品を撮れればいいのかもしれないですが、それでコンスタントに映画を撮り続けることって、海外の映画祭での評価を頼りにするなどしながら、よほどうまくやらないとできないじゃないですか。

深田「いやあ、興行と作品性の話になってくると、これは本当にもう複雑ですね。 基本的に、普段から多様性こそが大事みたいなことを言ってる立場としては、商業性の高いものと商業性の低いものが共存できるのが多様性のある社会だとは思ってはいるんですけど。日本の場合、そこがすごく中途半端になってると思っています」

――というと?

深田「商業性の高い作品と、作家性の強い作品、結局はどっちつかずになってしまいがちなんで。助成金が充実しているフランスとかだと、商業性の低い作品でも助成金が下りて、そういう作品でも2億円とか3億円で撮れるみたいな環境があるわけです。そういった環境だと、例えば…極端な例で言うと、リュック・ベッソンはリュック・ベッソンのまま映画を撮れて、(ジャン=リュック・)ゴダールはゴダールのまま映画を撮ることができる。別にゴダールはリュック・ベッソン的なる商業映画に歩み寄る必要はないわけです。もちろん、これはあくまで例えですし、ヨーロッパでも資金集めの苦労はありますが、日本の場合はよりそれが厳しい。だから、収益性がより強く重視されがちで、キャステイングの選択肢も狭まるし、人気のある原作が求められたり、脚本もある程度わかりやすく間口を広くしなくちゃいけないとか、仮に作家性やアート性の強いタイプの監督だったとしても、そういったこととのせめぎ合いの中で作らざるを得ないので。もちろんそこからおもしろい作品が生まれるケースもあるんですけど。でも、そういう環境だと作家性も商業性もどっちつかずみたいなものにもなりがちで。一方で、日本から海外の映画祭に出やすいのはそういうせめぎ合いの外にある、極端に低予算な作品が多かったりする」

――わかります。

深田「例えば、是枝(裕和)さんとかは天才的にそこのバランスを取るのが上手い方だと思うんですけど、多くの監督はキャリアを重ねるにつれて商業性と作家性の間で中途半端なことになっていきがちで」

「人間とは中途半端なものだし、関係性によって善悪が変わってくるというスタンスで映画を作っている」(深田)

――『恋愛裁判』もそのバランスが見事にとれてる作品だと思うんですよね。もう一つ、深田監督は人の善性みたいなものを信じられている方なんだなというのを、これまでの作品からも感じてきたし、特に今回の『恋愛裁判』では強く感じたんです。アイドルを題材にすると、いわゆる芸能界の強さとか、メンバー同士の足の引っ張り合いとか、そういうことを描きがちですけど、『恋愛裁判』では事務所側の人間も完全な悪役としては描いていないし、なによりもハッピー☆ファンファーレのメンバー全員が基本いい子で。

深田「そうですね」

センター争いのライバル関係にあるメンバー間だが、“女の敵は女”という構図では描かれない [c]2025「恋愛裁判」製作委員会
センター争いのライバル関係にあるメンバー間だが、“女の敵は女”という構図では描かれない [c]2025「恋愛裁判」製作委員会

――これはストーリーテリングの手法としても非常に新しいなと思って。

深田「人間に対しての向き合い方は、今回の『恋愛裁判』もこれまでの作品とそんなに変わってないと思っていて。 基本的に、自分はわかりやすい善人もわかりやすい悪人も描かない、人間とは中途半端なものだし、関係性によって善悪が変わってくるというスタンスで映画を作っているので。特に今回の作品では、アイドル同士の足の引っ張り合いみたいなものは、さすがにちょっと卑小すぎてやりたくないっていうのは強くありました。 まず、こういうドラマで描きがちになってしまう“女の敵は女”っていう、そういう構造に近づきたくなかった。それは唐田(えりか)さん演じるマネージャーとの関係においてもそうで、口論のようなものがあったとしても、それぞれの役割や立場から話しているだけで、決してどっちかが“悪”ではないという。社長を女性にするという案もありました。現実ではそういうことだってあるかもしれませんが、今回の映画でそこをやってしまうと、現実には芸能界に限らず依然として強い男性社会である現状を隠す表象になってしまうと思っていたのと、やっぱり“女の敵は女”っていう構造を一番喜ぶのは実は男であるっていうところがあると思っていて。今回、男性の自分が監督をして、脚本も共同で担当しているわけで、物語の作り手の主体である男性が“女の敵は女”っていう構造を作るのは、女性監督がそれをやるのとはまた意味合いが違ってくると思っているので、避けたかったというのはあります」

――なるほど。

深田「あと、事務所をどこまで暴力的な存在で描くかについては脚本の段階ですごく議論をしました。もうちょっと暴力的な存在にするという選択肢はあって、実際にアイドル業界を取材していくなかで、もっとひどいケースというのもあったんですけど。今回アイドル業界を題材にして一番描くべきことは何かと考えた時に、アイドル本人が恋愛をできるかできないかという、つまり人間の主体性を奪っているんじゃないかという問いかけだったんですね。仮に、ひどいパワハラとかセクハラとかがこの業界にはあるよね、ということを描いても――正直、映画業界だってどこの業界にだってあることですし、そうすると『じゃあうちは恋愛禁止はしてるけど、セクハラ、パワハラはしてないからOK だよね』っていうような逃げ道を作ることにもなるんじゃないかって。自分がすごく意識していたのは、『ソウル市民』という演劇で」

唐田えりかがハッピー☆ファンファーレのマネージャー役を務めている [c]2025「恋愛裁判」製作委員会
唐田えりかがハッピー☆ファンファーレのマネージャー役を務めている [c]2025「恋愛裁判」製作委員会

――平田オリザさんの作品ですね。

深田「はい。劇団青年団という、まあ自分がお世話になっているところなんですけど、平田オリザさんの代表作で。 『ソウル市民』は、日本統治下のソウルを舞台にして、文房具屋を営む日本人一家の話で。そこでの韓国人に対する抑圧や差別が描かれているんですけど、その作品の非常にクレバーなところは、結局、ある種植民地支配の抑圧を描くという時に、すごく悪辣なことをした日本人であったりとか、暴力的な日本人っていうのも当時いたはずなわけですが、そういった人物設定にしないで、当時考えられる限り最もリベラルな日本人一家っていう設定にしていて。すごく韓国人にも理解があるし、召使として雇っていても一緒にご飯を食べたり、友達みたいに接してるし。 だけど、そこにだって確実に差別があるっていう。植民地支配っていう、構造的な差別があるわけですよね。その方が、やっぱり当時の問題の根深さみたいなものがクリアになってくるんですよね。悪辣な、暴力的な、当時の日本人の入植者を描けば、じゃあ暴力がなかったらいいじゃないかっていう議論を許してしまう。 そうではなくて、今回の事務所も、ある種平凡な、わかりやすく怒鳴ったり殴ったりもしてないし、性加害とかもしてるわけでもない。 むしろアイドルのことを考えて応援しているように見える事務所であっても、実はそこには構造的な搾取もあるし、抑圧やコントロールがあるっていう、そういった業界の問題として描くために、あえてわかりやすい、悪や暴力っていうのは、避けるようにしました」

撮影/湯浅 亨
撮影/湯浅 亨

――つまり、今回のテーマをちゃんと伝える上での設定であり、これまでもそうであり、深田監督自身の性善説、性悪説みたいな考えとはまた別の話ってことですね。

深田「そこら辺は、まあ絡み合ってると思いますけどね。 自分は性善説、性悪説って、結局教育論だと思っていて。 性善説の場合、人間の本性は善だから、それが悪に転ばないように教育しなくちゃいけないって話で、性悪説の場合は人間の本性はもともと悪なんだから、善のほうに教育しなくちゃいけないって話で、結局教育をどうするかっていうことなんじゃないかって。結局、善か悪かは、その関係性の中で変わってくるだけのことなので。パワハラしてる人が全員にパワハラしてるかっていったらそんなことなくて、家族や奥さんにはすごく優しくても、部下にはパワハラしてる人なんていくらでもあるし、その逆もそう。その人が生まれついて善か悪かって考えることってあんまり意味がないと自分は思っていて。 結局、関係性の中で不完全に揺らいでいくのが人間であると思っています。 あまり回答になってないかもしれませんが」

――いえいえ。 ただ、人間って40年、 50年と生きていけば、これまでの自分自身の人生経験みたいなものが反映されることもあるかなと思っていて。そういう意味では、他人をどれだけ信じられるかというか。たくさん裏切られたような人は性悪説に転びがちだし。まあ幸運にもそういうのとは無縁だと、性善説のままでいられるみたいなところもあるのかなとは思うんですけど。

深田「そういう意味では、自分自身でいうといろいろと人間関係で大変な目には遭っているので、全然、性悪説に転んでもいいとは思うんですけど(笑)。でも、性悪でも性善でもないっていうスタンスはあんまり変わらなくて。――なんか、こういう話をしたらドン引く人もいるかもしれないけれども、あのー、結局のところ人が善か悪かということに、自分自身は興味がなくて。そもそも生き物なんて意味がないと正直思ってしまっていて」

――(笑)。

深田「そもそも生きてること意味がないということが、自分にとっては大きな問題なんですね。意味がないのはもう前提で、騙し騙し意味があるようなフリをしながら生きていくしない。乱暴な話ですが、自分は男性も女性も関係なく、人間はおしなべて等しく無意味だと思っていたりもして。なのに生きてる」

「大体すべての人間は無意味だと思ってるし」と持論を語る深田監督 撮影/湯浅 亨
「大体すべての人間は無意味だと思ってるし」と持論を語る深田監督 撮影/湯浅 亨

――そこまで(笑)。

深田「すみません。人間といったって、たまたまなんだか分からないままそう生まれついてしまっただけの生き物なんで、動物や虫に善か悪かって考えても意味がないように、人間が善か悪かっていうことを考えること自体に意味があると思えない。結局、まあ“無”ですよね。いまこうして生きていますけどそのことに意味があるのかさえ、自分はいまだに信じられてないので」

「生きてることなんて意味ないな、と思いながらも、とりあえずは労働環境を改善するのはいいことだよねっていう思いはある」(深田)

――一方で、深田監督って、映画界における性加害の問題であったり、DEIの問題であったりに関して、“連名する”というより、むしろ発起人の側にいることが多いじゃないですか。

深田「まあ、言い続けているうちに、そのポジションになんとなく収まっていることはありますね」

――それって、当たり前ですけど、現実の社会に何らかのエフェクトを与えることを目的にしているものだと思うんですけども。 その深田監督と、そういう死生観というか人生観が結び付きにくい人もいるかもしれません。

深田「まあ、そうかもしれないですね。 でも、残念ながら共存しちゃうんですね、不思議なことに(笑)。生きてることなんて意味ないな、と思いながらも、とりあえずは労働環境を改善するのはいいことだよねっていう思いはある。ただ、映画を作るときにそういう社会問題を描くかどうかって話には、正直あんまり関心がないっていうところがあって」

深田監督が実際の裁判から着想を得た、元・日向坂46の齊藤京子主演『恋愛裁判』(公開中) [c]2025「恋愛裁判」製作委員会
深田監督が実際の裁判から着想を得た、元・日向坂46の齊藤京子主演『恋愛裁判』(公開中) [c]2025「恋愛裁判」製作委員会

――そうなんですよね。

深田「社会問題を “描く”こと自体はそれはそれでいいことだと思うんです。それはもう、私たちが生きているこの世界から切っても切り離せないことなので。だから、それは背景として当然意識せざるを得ない。でも結局、自分にとってはどんな社会問題よりも、いまなんで私は意味がないと知りながらこうして生きているんだろうとか、いずれは死んでしまうこととか孤独の問題とかの方がよっぽど大問題だと思っているので、何を描くかとなったらそっちの方に自分は関心がある」

――深田監督は「プロパガンダ的な作品は作りたくない」ということをよくおっしゃっていて。あと、深田監督が、例えばソーシャルメディアとかが特定の誰かを名指しして攻撃しているのを見たことがない。これは当たり前のようでいて、近年映画界においてアクティビズム的な活動をされている方としては珍しいことだと思うんですよ。

深田「ああ、そうですね」

――こうして話していて思うのは、すごくいい意味で、エゴが希薄な方なんだろうなって。もちろん自分の映画が賞を獲ったりヒットをしたらうれしいんでしょうけど。

深田「もちろんヒットしてほしいですよ。でも、まあ、おっしゃるような危うさはあると思います。もちろんヒットはしてほしいし、賞を獲ったらうれしいけど、でも、それで別に生きている意味がそこに生まれるわけでもないし、っていうような虚しさは常に感じてますね。まあ、結論としては、“生きてる意味がわからない”っていう。こんなので大丈夫ですか?(笑)」

――いや、でも、こうしてお話しをしてみて自分はいろいろわかりました。これまでの深田監督の作品もそうだし、作品外の活動とかもそうだし、なるほどと腑に落ちることがすごく多かったです。

深田 「だったらよかったです(笑)。ありがとうございました」

取材・文/宇野維正

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