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SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第55回「おねしょ」

  • 2026.1.27

別段隠していたわけでもないのでさらっというが三十手前までおねしょをしていた。

『吹けば飛ぶよな男だが』を読む

えええ、とか、うわあ、とか言いたい気持ちはわからんでもない。だって私はバンドのフロントマンですもんね。ただこれは事実なので仕方がない。そよ風に木の葉が揺れるように、沈丁花が芳(かぐわ)しいように、私にとってごく自然な出来事だったのだから。

実に不思議ではあるのだが、私は幼少期はおねしょをする体質ではなかった。一、二度の記憶はあれどほぼ皆無であり、自分とは関係がない生理現象の一つだと思ってすくすく育っていった。しかし、中学校の卒業式の後、みんなで集まった早稲田のビッグボーイにて。どういう流れだったか、どうせ大した意味もなく開催されたソフトドリンク何杯飲めるか大会で、一人だけムキになってウーロン茶を二十三杯飲んでた私は、その日の夜、無駄な優勝と引き換えに盛大な寝小便をかました。これがきっかけとなり、私はしばらくの間おねしょと共に生きていくこととなった。

一回目はショックとかそういう次元では済まない衝撃だった。高校入学を控えた多感な男の子だもの、それはそうよね。もうこの世の終わりかというくらい落ちた。実家住まいでは、どれだけ思考を巡らせても隠蔽は不可能。朝、台所に立つ母に声をわなわなさせて伝えたあの日の朝は、私にとって忘れ難い。

二度と繰り返すまいと心に誓った、確かその三ヶ月後だったと思う。私は痛恨の二度目を犯す。その時は流石にもうこのまま出家してやろうか、とまで思ったがすんでのところで踏み止まり、冷たくなったズボンを引きずりながら母の元へ向かった。どうにかこの先もこの家に置いてくれ、と頼み込んだ私の誠意が届き、実家暮らしを継続できることに相成ったあの日の朝も、私にとって同じく忘れ難い。

しかし、そこからコンスタントに(とは言ってもそのスパンは半年空いたり、三ヶ月だったりまちまちだったが)、おねしょを続けることになった。その結果、不思議なことに私の羞恥心はみるみる萎んでいき、やがて割とよくやるイベントみたいなものに変化していった。

言い訳するわけではないが、睡眠状態はやはり自制が効かない。自分であり自分でない状態なので、戒めるだけ戒めたとて、そして二度とやらないと強く誓ったとて、寝たらまじ無駄。言葉の通り夢見心地で放尿してしまうのだから本当にうつ手がない。なので私はこれも紛うことなき立派な個性だと割り切ることにした。あの子はエクボが可愛い、あいつは足が早い、僕はたまにおねしょする。みんな違ってるから、みんな良いですもんね、金子みすゞ先生。

ということで完全なる諦めの境地に至ってみたのだが、いざそうなると面白いことに、だんだんとおねしょが上達していった。おねしょの上達が一体何を指すのかわからない人も少しいると思うので、一旦簡潔に説明させていただくと、どこで気が付けるか、である。気が付かないおねしょをしているうちはズブの素人、気が付けるおねしょが出来るようになってくると玄人、ということ。

つまり起床時に下半身に違和感を覚え、慌てて掛け布団を捲って「おい、嘘だろ」なんてのは、ただのペーペー。放尿が始まって程なくして気がつけるようになって初めて、心得があると言っても恥ずかしくはなくなる。ちなみに私はおそらく最終段階と呼べるところにまで到達していたため、放尿を開始してから即座に察知することが出来るようになった。それはズボンすらも濡らすことなく、被害はパンツ一枚という熟練の境地であったために、他にあまり類を見ない。

十五から始まった修羅の道、この域に辿り着くまでに要した時間はおおよそ十年。そしておねしょをしなくなってから気が付けば八年以上の歳月が流れていた。時にはクヨクヨしたり、どうせ俺なんてといじけたり、当時付き合っていた女の子とくっついて寝てしまったが故にその子のお尻をびしょびしょにしてしまったこともあった。どれもこれも良い思い出だが、どういうわけかそんな日々が懐かしくなったのでした。

何が言いたかったのかと言うと、当時の悩みは悩みながらもその形を変えてゆく。そして当時は立ち直れないほどの重大なこととして抱えていた悩みも、時が経って己が変化していくに従って、些末なものとなっていたりして振り返ることができるようになっていたりする。

悩みの本質自体は何年経っても変わることはないが、経験の上に成長を自覚することが出来るようになった自分は、たかだかそれくらいのことだった、と笑い話として懐かしむことが出来るようになる可能性すらあるということ。

たった今キャパシティをオーバーするほどの悩みを抱えている人もいるかと思うが、例え真正面から向き合うことが難しかったとしても、潰れることは避けて欲しいなアなんていう風に思う。数年先の自分に期待しても決してバチは当たらんよ。絶対に大丈夫! だなんて無責任なことは言えないが、可能性を信じて邁進する時間は自分の血肉になっていくことは間違いない。

最後に良い事っぽいこと言ってバランス取ってやろう、と打算的な考えのもと書いてみたが、意外と本質捉えてるっぽい。どの事例にも当てはまることではないのだが、悩みに悩んだら長いことおねしょしてたロン毛が書いていたこの文章を思い出してみて欲しい。

あるよな色々、大なり小なり。あ、大便ならぬ小便の話なり。

ごめんなさい、ごめんなさい。

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