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コーヒーで旅する日本/関西編|始まりは山の頂上で飲んだコーヒー。予期せぬ感動から小さな街のオアシスができるまで。「THE HOOD COFFEE」

  • 2026.1.27

全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも、エリアごとに独自の喫茶文化が根付く関西は、個性的なロースターやバリスタが新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな関西で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

温もりのあるレコードの音が響き、小さい店ながらもゆったりした空気が満ちる
温もりのあるレコードの音が響き、小さい店ながらもゆったりした空気が満ちる

関西編の第106回は、奈良市の「THE HOOD COFFEE」。奈良市の中心部にあって、趣ある木造の家並みが残るならまちエリアに、2年前にオープン。観光客も多い界隈から南に外れて、住宅街へと変わるあたりにある店は、外から素通しとあってどこか開放的な雰囲気。店は小さいながらも、心地よい大らかさが感じられる。近年、ならまちのにぎわいが広がり、新しい店が増えつつあるエリアを盛り上げようと、地元にフィットした店作りを目指している。

店主の中村さん
店主の中村さん

Profile|中村匡志(なかむら・まさし)

1993年(平成5年)、奈良県生まれ。リハビリ言語聴覚士として勤務していたころ、登山中に飲んだコーヒーに感動し、コーヒーの世界に傾倒。仕事の傍ら、独学で焙煎、抽出の技術を磨き、豆の販売やイベント出店をスタート。その後、1年間、地元橿原市での間借り営業を経て、2024年に奈良市内に「THE HOOD COFFEE」をオープン。

初期衝動に従って開いたコーヒーの世界の扉

同じビルには隣にクレープ店、2階にカフェと、開店1、2年の新店が集う
同じビルには隣にクレープ店、2階にカフェと、開店1、2年の新店が集う

「最初にこの場所を見たとき、サイズ感がちょうどいいなと思って。全面ガラス張りで、表通りが見える空間もイメージ通りだったので、即決しました」。にこやかに答える店主の中村さんは、言葉や聴力、嚥下に関わる障害を支援するリハビリ言語聴覚士から転身した、ユニークな経歴の持ち主。社会人になるまで、コーヒーとはほぼ縁がなかった。それが今ではすっかりコーヒーの虜になったのは、働き始めて2年が経つころのことだ。「当時、アウトドアを趣味にし始めて、山登りに行って、山頂でドリップバッグのコーヒーを飲んだときに“なんておいしいんだ!”と感動して。そこからグっとハマっていったんです」

以来、仕事の傍ら、コーヒー関連の書籍や動画などを片っ端から見て、独学で抽出や焙煎にチャレンジ。手網で始めた焙煎は、やがて手回しのサンプルロースターへとステップアップ。さらに深みに入って、ラテアートにも関心を持ち、ボーナスをはたいて自宅にエスプレッソマシンまで設置した。「当時は、すべて初期衝動のままに進んできました」という通り、好奇心の赴くまま、週末はほとんどコーヒーのことに没頭。いつしか、コーヒーが生活の中心を占めるようになっていた。

自宅で使っていたエスプレッソマシンが開店後も活躍
自宅で使っていたエスプレッソマシンが開店後も活躍

その後も、中村さんの探求心は止むことなく、2年ほど経つころには豆のオンライン販売もスタート。友人の協力を得て、ガレージを改装して自身の焼いたコーヒーをふるまう場を設けるなど、活動の場を広げていった。そこへ飛び込んできたのが、和歌山で開催されるコーヒーイベントへの出店の誘いだった。「それまで知人にコーヒーをふるまうくらいで、屋号を掲げて参加することになったのは、このときが初めて。まだ実店舗もないときに、主催者がSNSで見つけてくれて、“自分でいいの?”と半信半疑でしたが、逆にこんなチャンスはないぞと思い直して。有名なお店も参加しているなかで、出るからには、その場に見合ったものを出すと気合が入りましたね」と中村さん、この幸運な出会いが、本格的に自店を開業するための足掛かりとなった。

アイスジブラルタル650円。ダークチョコレートのような芳醇な風味が印象的
アイスジブラルタル650円。ダークチョコレートのような芳醇な風味が印象的

日常に寄り添って体になじむような味わいを

店のサイズに合わせて、コンパクトな焙煎機を導入
店のサイズに合わせて、コンパクトな焙煎機を導入

「イベントに出始めたころは、本業の仕事が終わってから、出店の準備をしていたので体力的にはきつかった」と振り返る中村さんだが、並行して、店作りの参考にするために、各地の気になるコーヒー店を見て回った。そのなかで、最も影響を受けたという一軒が、本連載でも紹介した、奈良県葛城市のTHE INY COFFEE。「店内の独特の世界観とラテアートのクオリティが衝撃的で。カフェラテの見た目はもちろん、ミルクチョコのようなビターな甘味に感動して。これがきっかけで、自分でもエスプレッソの研究をし始めました」

一方、焙煎についても得難い出会いがあった。こちらも本連載に登場した、五條市のKOTO COFFEEのセンサリーセミナーに参加できたことが大きいという。「焙煎は、最初から意外にうまく焼けたので、これならもっとおいしくできるのではと、手応えを感じていました。この勉強会で、しっかり理論づけて学んだことで、クオリティは各段に上がったと感じます」と振り返る。このころには、同業者のつながりも広がって、カッピング会やイベントにも積極的に参加していった。さらに開店前の1年ほどは、地元の橿原市のバーで、週末だけの間借り営業も経験。開店に向けて準備を着々と進めていった。

正確な計量と仕事の効率化を兼ねて、エスプレッソ用の豆は1回分をカートリッジに収納
正確な計量と仕事の効率化を兼ねて、エスプレッソ用の豆は1回分をカートリッジに収納

山頂で飲んだコーヒーの感動に突き動かされて5年半。2024年夏に、念願の自店をオープンした中村さん。開店にあたり仕事を辞し、新たに焙煎機を導入して、心機一転のスタートを切った。現在、5種ほどの豆を提案しているが、「イメージするのは、日常に寄り添って、体になじむような味わい。華やかなテイストよりは、穏やかな風味の豆をチョイスしています。浅煎りすぎず、じわっと甘さを感じるのが理想ですね」。そのため、焙煎は前半の火力を抑えて豆の水分を抜く時間を長くとり、火力を上げる後半を短めに仕上げるメソッドを構築。「飲んだときの質感をアップして、酸味を落ち着かせるアプローチで、小型の焙煎機のよさを活かした方法を考えました」と、KOTO COFFEEで学んだノウハウを実践している。

シングルオリジンを中心に、豆は週替わりで提案
シングルオリジンを中心に、豆は週替わりで提案

日々、“小さなポジティブ”を与えられるように

所蔵するレコードは400枚ほど。ソウル、ファンク系を中心に耳馴染みのよい曲をセレクト
所蔵するレコードは400枚ほど。ソウル、ファンク系を中心に耳馴染みのよい曲をセレクト

週ごとに入れ替わりの多い豆のなかでも、ほぼ定番として位置付けているのがホンジュラス。軽快な酸味と柔らかい甘味の後に、緑茶にも似たグリーンなフレーバーがさわやかな一杯は、デイリーな店の看板銘柄として好評だ。また、中村さんの思い入れ深いメニューが、アイスジブラルタル。「お店の雰囲気を参考にしたなかの一軒、新宿のスワンプで出合ったときに感動して、自分の店でも提供させてほしいとお願いして、メニューに入れさせてもらいました」。ジブラルタルは、エスプレッソ・ダブルにミルクを少量あわせたアレンジドリンクだが、ここでは21グラムの豆を使う濃厚なリストレットでエスプレッソを抽出。まろやかな甘味とビターな香味がひんやりと溶け合う余韻が印象的だ。

コーヒー片手に過ごす空間は、小さな店ならではの気の置けない雰囲気が心地よく、温かみのあるレコードの響きがよく似合う。「アナログの音はやっぱり心に響きます。店内が最高の音響なので、自分でも音楽はここで聞いてます(笑)」と中村さん。その居心地のよさから、“ここがオアシス”と言うお客も少なくないとか。「ちょっと疲れたときにもリラックスできる場にしたくて、コーヒーの風味も音楽も、そのイメージに合わせています。日常のなかに、小さなポジティブを与えられるようにできれば」。ここで過ごすひと時は、いわば日常のヒーリングタイム。その意味では、中村さんの前職にも通じるところもありそうだ。

ドリップコーヒーの定番、ホンジュラス・エンジェル・アルチューロ700円。中を半生に仕上げたクリーミーなチーズケーキ500円
ドリップコーヒーの定番、ホンジュラス・エンジェル・アルチューロ700円。中を半生に仕上げたクリーミーなチーズケーキ500円

開店2年目ながら、界隈には希少なコーヒースタンドとして、仕事中のテイクアウトや、自分へのちょっとしたご褒美にと、訪れるお客は少しずつ増えつつある。「ご近所の人はまだ少ないので、今よりもそういった方が増えて、街の機能の一部になれたら」と中村さん。最近は、近隣のベーカリーのパンを週末限定のモーニングに提供したり、ラーメン店とのコラボメニューを作ったりと、界隈の店とのコラボを通して、街に定着しつつある。

「界隈は、この2年ほどで新しい店がぽつぽつと増えていますが、“ならまち”のようなエリアの名前がなくて。“ならのはて”という呼び名を近隣店舗で広めて、盛り上げようという話をしています」。店名の「HOOD」とは、neighborhoodを略したヒップホップのスラングから。“地元”を意味する言葉にふさわしい、「みんなが帰ってきたい場所」になるべく、この街にフィットする店を目指している。

中村さんレコメンドのコーヒーショップは「マーケットワカヤマ」

次回、紹介するのは和歌山県和歌山市の「マーケットワカヤマ」。

「店主の仁尾さんは、数々のイベントを手掛け、コーヒーシーンを盛り上げている、和歌山のキーマン。自分にとっても、最初に出店の声をかけてくれたことで、開店のきっかけをくれた恩人です。仁尾さん自身も5年前に店を構えて、コーヒーショップの上下の階に、間借り出店やイベントの会場にもなる共有スペースを併設。僕が使っていた手回し焙煎機を譲ったのを機に、最近、自家焙煎にも力を入れています」(中村さん)。

【THE HOOD COFFEEのコーヒーデータ】

●焙煎機/アイリオ 1キロ(電熱式)

●抽出/ハンドドリップ(カリタウェーブ)、エスプレッソマシン(ロケット)

●焙煎度合い/中浅煎り~中深煎り

●テイクアウト/ あり(550円~)

●豆の販売/ブレンド1種、シングルオリジン4種。100グラム800円~

取材・文/田中慶一

撮影/直江泰治

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