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風能奈々に聞く、「私はそこに行ける。あなたも」──最新個展がひらく“時間の感覚”

  • 2026.1.26
小山登美夫ギャラリー京橋で2月21日まで開催されている風能奈々の個展「私はそこに行ける。あなたも」。会期前、作品をインストール中の会場にて撮影。 photo: shin inaba

「私はそこに行ける。あなたも」──この展覧会タイトルにある「そこ」とは、いったいどこなのだろう。

それは地図上のどこかを指す言葉ではない。明確な目的地があるわけでもない。むしろそれは、時間と記憶、個人と他者、生と死といった私たちの近くにある存在がゆるやかに重なり合う“状態”のようなものだと思う。風能奈々(ふうの・なな)の絵画を前にすると、「そこ」は、見る人それぞれの内側に開かれていく。

「私はそこに行ける。あなたも」の展示風景から。 photo: Kenji Takahashi
《世界のふしぎさ 庭のおもしろさ The Wonders of the World, the Delights of the Garden》 2025年 パネルにアクリル絵の具 89.4×130㎝ Photo: Kenji Takahashi. ©Nana Funo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

風能の作品は一見すると静かで穏やかだ。緻密な文様、幾層にも重なった色彩、木々や月、ドアや窓のようなかたちに、生き物たち。だが、その奥には、描いては覆い、削り、また描くという制作の時間が確かに刻まれている。その色相もあいまって、化石や地層のような質感や世界を思わせるのも魅力だ。

作品は主にアクリル絵の具で描かれているが、その印象は一般的に想像される軽快さや即物的な質感とは大きく異なる。一度描いた絵の上から異なる絵を描き、何層にも絵の具が塗り重ねられていく。その後、熱ペンによって削られ、下層の色がわずかに顔を出す。その繰り返しによって生まれる細かな線や凹凸は、糸を重ねる織物や、針を進める刺繍のようでもあり、また、釉薬をまとった磁器のように、密度が高くどこかしっとりとした光を帯びている。

この「熱ペン」とは、半田ごてに似た道具で、塗り重ねた絵の具の層を引っ掻いて溶かし、奥の色を出していく。風能は以前、その作業は「自己を削るような行為だ」と言われたことがあるという。それほどの切実さをともなうもの、ということだろう。

「夢中になると、息をするのを忘れてしまっているみたいで。終わると頭痛がしたり、どこかに引っかけて、気づいたら手から血が出ていたりすることがあるんです」

《生きているのは楽しいし、死んだらあの人に会える(猫にも、犬にも) It’s Fun to Be Alive, and When I Die, I’ll See Him (as well as My Cat and My Dog)》 2025年 パネルにアクリル絵の具 65×50㎝ Photo: Kenji Takahashi. ©Nana Funo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

それでも彼女は「楽しくて仕方ない」と笑う。幼少の頃から、母親がスーパーへ買い物に行く間も車の中でずっと絵を描いて待っているような子どもだった。そしていまもその純粋な集中力は変わらない。「作業自体が大好きだから、絵が終わってほしくないんです。できるだけ長く描いていたいと思うほど」。画面に宿るしっとりとした光は、こうした執念にも似た、絵との対話の果てに放たれるものなのかもしれない。

近年の風能の作品にこれまで以上の時間の厚みがもたらされているのは、彼女がいま、5歳の男の子を育てる母であることと無関係ではないだろう。

「最近は、異なる時間軸をくるんで、大河ドラマみたいなイメージと言ってもいいかもしれません。自分のおばあちゃんぐらいのかろうじて記憶に残っている世代から、私の子どもくらいまで。そのくらいの時間軸をひとつの流れとして感じている気がします」

小山登美夫ギャラリー京橋にて、風能奈々。 photo: shin inaba

かつては、恐竜が生きていた遥かな過去や、水から陸へと生き物が上がっていく進化のプロセスを、地球の歴史を辿るように描いたこともあったという。しかし現在の彼女が引かれるのは、より手触りのある時間の距離感だ。

「100年、200年という想像がぎりぎり手触りを保てる距離。その親しい時間軸を何度も繰り返すほうが、自分にはしっくりくるんです」と風能は言う。

自分が生まれる前のこと、自分が死んだ後のこと。そうした時間を抽象的な概念としてではなく、自身の体温をともなう感覚として抱え込むようになった。

「子どもが大きくなったときに、“母はどんな人だったんだろう”と思う瞬間がきっとあると思うんです。そのときに絵を見て、“あ、こういうことを考えてた人だったんだな”と思ってもらえたら嬉しいです。“お母さん、結構いい人生だったんじゃないかな”と思ってくれるような作品が描けたらいいなと思っています」

その言葉には、作品を“残す”ことへの思いがにじんでいるようでもある。だがそれは、自己を誇示するためのものではなく、誰かのために、自身の人生をも肯定し直し、次の世代へと手渡していくための優しい祈りにも似た感情だと思えた。

展示風景より、《光をなぞる手つき A Gesture that Traces the Light》(2026)。193.9×390.9㎝(3点組)の大型の作品だ。 photo: Kenji Takahashi
《月の満ち欠け The Phases of the Moon》 2025年 パネルにアクリル絵の具 130.2×130.2㎝ Photo: Kenji Takahashi. ©Nana Funo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

今回の展示作品の一つ、《月の満ち欠け》を見ると、制作のモチーフとして繰り返し現れる“丸(円)”の要素がよくわかるだろう。近年、彼女が描き続けている大切なかたちだ。「これ何なんだろう、と自分でも最初は感じていたんですが、もしかしたら月かもしれない、と思うようになりました。太陽よりも、月のほうがしっくりくるんです。明るいけれど、どこか暗い。その暗さがどうしても隠しきれなくて」と、自身の性格にもなぞらえる。

喪失や闇が直接的に描かれた時期もあった。父との別れなど、人生の大きな節目となる経験が、作品の背景として色濃く反映されたこともある。しかし、子育てを通して表現との向き合い方は少しずつ変化してきた。

「しつこいくらいに、世界は美しいよ、生きているのは楽しいことだよ、と言いたいし、大切にしていたいです」

月の光は、自ら輝く太陽とは違い、暗闇を内包しながら夜を静かに照らし出す。

「失敗したら消せばいいから。いくら失敗しても、取り返しはつく。だから最近の絵は、失敗作がないんですよ」と風能は言う。一度塗りつぶしても、その跡は消えない。そうした痕跡を抱えたまま何度も重ねていく制作の姿勢は、満ち欠けを繰り返しながら常にそこに在り続ける月の姿とも重なって見える。

《魚の種、果物の骨、時間が経つと忘れてしまう Fish Seed, Fruit Bones, and Things I Forget as Time Passes》 (2025)。《月の満ち欠け》と同じサイズの作品で、タイトルは大きく異なるが、画面の印象は似ているところがあり、対をなす関係にも感じられる。 Photo: Kenji Takahashi. ©Nana Funo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

風能のユーモアと「言葉」を大切にする姿勢もまた、作品の魅力を形づくる重要な要素だ。彼女が選ぶタイトルはときに詩的で、絵の内容と直接的に結びつかないようにも見えるが、その距離感こそが見る人をさらに引き込んでいく。

たとえば、今回の展示作品の一つに付された「魚の種、果物の骨」というフレーズ。自身の子どもが日常のなかで口にした言葉が、そのまま作品タイトルになったものだという。「息子が果物を食べていたときに、“これ骨入ってる”って言ったんです。ああ、種のことを骨って言うんだ、すごく面白い感覚だなと思いました」

果物の種も、魚の骨も、生命の芯にあるものという意味ではどこか似ている。言葉が少しずれるだけで、普段当たり前だと思っていたものが別のものに見え、世界の見え方が一瞬開かれる。こうした言葉は、作品の意味を説明するためにあるのではない。絵を描いていた時間と、生活のなかで生まれた小さな出来事とを、そっと結び留めるための“しるし”のようなもの。

「描いているときは、自分と半径数メートルくらいのことしか考えていないんです。でも、そのときに心に残った言葉をタイトルにすると、忘れない」と言い、《魚の種、果物の骨、時間が経つと忘れてしまう》というタイトルにはその思いが織り込まれているようだ。

展示風景より。 photo: Kenji Takahashi

絵に現れるドアや窓といったモチーフも、そうした感覚の延長にある。「草っぱらにいて、風がぴゅうっと吹いたときに“ハッ”と気づく感じ。開かれていくイメージですね」

ドアはかつて「鍵」を見つけるためのものだったかもしれないが、今の彼女はそこを通り抜け、新しい窓を開こうとしている。ドアから窓へ。境界線でありながら、同時に異世界への入り口でもあるそれらのモチーフは、風能が捉えた世界のひらめきを象徴している。 展覧会タイトルにある「そこ」とは、まさにこの気づきの向こう側を指しているのだろう。

「私はそこに行ける。あなたも」

絵の前に立ち、吹くはずのない風が通り抜ける瞬間を感じるとき、私たちはすでに「そこ」にいるのだ。

〜2/21、小山登美夫ギャラリー京橋(東京都中央区京橋1-7-1 TODA BUILDING 3F)

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