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ブリジット・バルドーの美学。永遠に愛されるヘアスタイル、メイク、ボディのすべて

  • 2026.1.21
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2025年12月28日(現地時間)サントロペから届いた訃報に世界中は深い悲しみと、そこはかとない寂寥に包まれた。ブリジット・バルドー、享年91歳。晩年はがんとの闘病が伝えられるなど、生身の人間としての苦悩も垣間見えたが、私たちが記憶するのはスクリーンの中で永遠に輝き続けるあの姿だ。

15歳で雑誌『ELLE』の表紙を飾り、あどけない美しさでセンセーションを巻き起こした少女は「BB(べべ)」の愛称で親しまれ、一気に世界の恋人となった。

彼女は既存のブルジョワ的なドレスコードを嘲笑うかのように、無造作なダウンヘアと裸足で浜辺を駆け抜けた。その姿はまさに女性が自分のために生きる「リベルテ(自由)」の高らかな宣言であり、フランス、ひいては世界中の価値観を覆す美と精神の革命だった。

今改めて彼女のビューティルックを紐解いてみると、そこには彼女の人生そのものが色濃く投影されている。世界を挑発する小悪魔的なアイメイク、しなやかなボディライン、そして晩年のシワさえも愛らしく感じさせる笑顔まで。

ルールを破り続け、心のままに生きた永遠のアイコン、ブリジット・バルドー。その圧倒的な魅力はいかにして創られたのか。本記事では貴重なカットの数々と共に、世界を虜にしたヘアメイクやボディ、そしてその生き様までを余すところなく辿っていく。

★併せてCheck!

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【HAIR】BBヘアの誕生:ブルジョワ娘が起こした革命

1934年、パリ15区で経営者の父と母のもとに生まれたブリジット・バルドー。物質的には恵まれた幼少期だったが、その心はどこか不自由さを感じていた。

バレリーナを志していた彼女の運命を変えたのは、雑誌『ELLE』創設者エレーヌ・ラザレフとの出会いだ。その才覚を見出されモデル活動を開始。わずか15歳にして表紙を飾ることになる。

当時主流だったのは、パワフルなショートカットに一糸乱れぬ完璧なヘアセット。そこに新しい風を吹き込んだのが、ブリジットの無造作で自由なヘアスタイルだった。

(画像は仏版ELLE 1952年1月7日号の表紙)

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計算された官能シニヨン

その後、映画監督マルク・アレグレのオーディションで運命の出会いを果たす。そこで彼女の才能を見抜いた男こそ、後に夫となり映画『素直な悪女(Et Dieu... créa la femme)』を監督するロジェ・ヴァディムだった。

彼はブリジットの中に眠る野生的な官能性をいち早く見抜いていたが、その象徴こそがこの無造作なアップスタイルだ。かつてバレエ学校で叩き込まれた伝統的なシニヨンではなく、ベッドから起きたてのように手ぐしでざっくりとまとめ上げ、後れ毛を首筋に躍らせる。

ヴァディムが愛し開花させた“アンバランスな美”は、世界を熱狂させるBBの序章として、確かに輝き始めていた。

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BBの代名詞、アシンメトリーな後れ毛シニヨン。

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無造作ハーフアップ

60年代に入ると彼女のスタイルはひとつの到達点を迎える。その象徴が、フランス語で「シュクルート(La choucroute de Brigitte Bardot)」と呼ばれた構築的なハーフアップだ。

根元から徹底的に逆毛を立てたボリュームと、計算された無造作な毛先。高く盛り上げたシルエットはエレガントでありながら、質感はあくまでドライでラフ。完璧にセットされた髪をよしとする古いモードへのアンチテーゼであり、彼女の美学はこの奔放なボリュームヘアに最も色濃く表れている。

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エアリーハーフアップ

1964年ブラジルでの撮影にて。歌手としても栄華を極めていた頃。

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無造作ダウンスタイル

キャリアを重ねるにつれてリラックスしたダウンスタイルも彼女のシグネチャーに。

ブリジット自身の人生を題材に、常に群衆やパパラッチに追われるセレブリティの孤独を描いたルイ・マル監督作、映画『私生活(Vie privée)』の撮影現場の一コマ。

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伝説のボリュームヘア

「お金で買えるものに価値はない」と言い、煌びやかな宝石や堅苦しいドレスアップを徹底して嫌ったブリジット。実際に、公の場で彼女が高価なジュエリーを身につけた姿はほとんど残っていない。

彼女が何よりも大切にしたのは、生まれ持った豊かなボリュームヘア。それこそが決してお金では手に入らない、彼女が心から慈しんだパーツだった。

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オフセットでもBBスタイルは健在。

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陽射しと風で乾かし、仕上げは逆さブラッシング。撮影現場でも、整えてからあえて崩すのがBB流。あの無造作ヘアの裏には彼女なりの儀式が隠されていたのだとか。

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【MAKE UP】すべてを射抜く挑発的なキャットアイ

BBスタイルを語るうえで外せないシグネチャーは、何と言ってもこの力強い眼差しにある。弓のように鋭く跳ね上げたアイラインは観る者を挑発し、瞬時に虜にする引力を持つ。

写真のジャン=リュック・ゴダール監督『軽蔑(Le Mépris)』でのワンシーンは、幅広のヘアバンドとリンクしたネイビーのシャドウを重ねることで、洗練された深みと知性を感じさせる仕上がりに。映画史に刻まれた伝説のビューティルックだ。

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マリントップスと強めのアイライン。ラフにかき上げた髪でクールにキメて。

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【MAKE UP】神秘を宿すスモーキーな陰影

瞳の引力を高める、ネイビーと黒の深いグラデーションアイ。彼女の神秘的な美しさをより引き立てている。

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プレイフルなアイカラー

映画『パリは気まぐれ(Les novices)』で見せたのは優しいラベンダーのアイシャドウ。

太陽に愛されたブロンドヘアと調和するその色彩は、まさにリラックスの象徴。幸福で軽やかなミューズの姿がそこにある。

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毒気のあるブラックアイシャドウ

テレビショーで「ボニー&クライド」を披露するブリジット。大胆な内巻きカールに負けないほど、漆黒に塗り上げたアイシャドウが圧倒的なインパクトを放つ。

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【MAKE UP】小悪魔な瞬き、ドールラッシュ

1965年の映画『ビバ!マリア(Viva Maria!)』のワンシーン。水玉ボウタイと無造作ヘアというフェミニンな装いを決定づけるのは、まぶたに影を落とすほど強調されたアイラッシュ。

まさにフレンチロリータの代名詞とも言える魅惑的な眼差しだ。

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1960年代のポートレート。下まつ毛にもたっぷりマスカラを塗り重ねて。

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【MAKE UP】常識を変えたヌードリップ

かつてココ・シャネルが武器として、ムッシュディオールが品格として提唱した“パリジェンヌの赤リップ”。しかし、BBはその常識すらも軽やかに脱ぎ捨てた。彼女が選んだのは力強い目元を引き立てる、素肌のようなヌードリップだった。

トレンドよりも、心に従って似合うものを選ぶというシンプルなルール。自身の魅力を熟知し、最大限に活かす“引き算の美学”だ。

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素肌に限りなく近いヌードリップで、艶やかな眼差しを主役に。

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ドレスが真紅でも唇は飾らない。究極の引き算メイクに潔さと知性が宿っている。

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【MAKE UP】少女の赤であどけない誘惑

リップに関してはヌードカラーのイメージが強い彼女だが、デビュー当初は鮮烈な赤リップを纏っていたことも。

あどけなさの残る顔立ちに少し背伸びをしたような赤。その少女のようなアンバランスさがかえって、無垢なセンシュアリティを強烈に際立たせている。

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白Tシャツ×赤リップ

白Tシャツに鮮やかな赤リップ。現代のパリジェンヌも愛してやまない究極のベーシックスタイルは、すでに彼女によって完成されていた。

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引退後も愛したシグネチャーメイク

年齢を重ねた後も、無造作なヘアとヌーディなリップ、そしてあの強い眼差しを貫き通したブリジット。それは銀幕の中のヒロインが、彼女の素顔そのものであったことの証明だ。

与えられた役柄に自身を埋没させるのではなく、役の方を自らの圧倒的な個性に引き寄せ染め上げてしまう。彼女のメイクルックはただの流行ではなく、彼女の生き様そのものだった。

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【BODY】自由に生きるための肉体

彼女が世界を挑発したのは、その奔放な生き方だけではない。彼女の肉体そのものが、既存のルールからの解放を叫んでいたからだ。

ハイヒールを脱ぎ捨て行きたい場所へ裸足で駆け出し、心の赴くままに踊る。その躍動するボディは、男性の視線を奪うための単なる対象ではない。彼女自身の魂が自由であることを証明するための、最も美しく、しなやかな武器だった。

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永遠のミューズ、バービードールの原点

コルセットによる矯正など必要としない天性の曲線美。この信じられないほどのウエストラインとプロポーションは、実際にバービー人形のモデルになったとも噂されている。

モノクロームの写真を通してもなお、その圧倒的な存在感と引力は決して色褪せることがない。

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【BODY】バレエが培った究極のポージング

幼少期から叩き込まれたバレエの素養は彼女に、“自身の魅せ方”を本能レベルで理解させていた。

頭の先からつま先まで、どの角度が最も自分を輝かせるのか。己の肉体の隅々までを掌握しているからこそ成せるポージングに、彼女の美学の真髄を感じる。

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ポストカードにもなったピンナップ風ショット。

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【BODY】媚びない背中としなやかな曲線美

美しいバックスタイルを支えるのは、その凛とした姿勢だ。体幹には揺るぎない強さを秘めつつ、佇まいはどこまでもリラックスしてしなやか。

ただ媚びて体をくねらせるのとは異なり、つま先まで研ぎ澄まされた意識と、軽やかさが同居しているからこそ神々しい。

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1969年『女性たち(Les femmes)』の撮影セットにて。

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【BODY】「生きる」ことが最高のボディメイク

いわゆる現代的な“エクササイズ”とは無縁だったブリジット。彼女のプロポーションを支えていたのは愛するバレエ、犬たちと自然を駆け回る散歩、多忙を極めた撮影の日々、そして魂を焦がすような恋。

一分一秒を懸命に生き、命を燃やし尽くすこと。その圧倒的な“生のエネルギー”こそが、あのみずみずしく躍動的なボディラインを保つ、唯一にして最強のメソッドだった。

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1955年カンヌ国際映画祭にて。

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映画『私生活』の撮影現場。

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【BODY】ロリータからの脱却

キャリアの成熟期を迎え、女優としての地位を盤石にしながらも新たな刺激を求めていた30代前半。そんな彼女の表現と美のポテンシャルを次のレベルへと解放させたのが、稀代の天才セルジュ・ゲンスブールとの熱烈な恋だった。

象徴的なのが、名曲『ハーレー・ダヴィッドソン』での劇的な変貌だ。一度聴いたら忘れられない歌声で歌手としての才能を知らしめ、ビジュアルも進化。すでに完成されていたアイコンメイクはそのままに、黒革から露わにした圧倒的な美脚と、野生動物のように波打つスーパーロングヘアで世界を魅了した。

可憐なフレンチロリータから、危険な香りを纏う大人の女へ。セルジュの前衛的な世界観と愛に触れることで、彼女のファッションとボディの表現力はより深く、よりセンシュアルに進化を遂げた。

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【BODY】太陽にも祝福された奔放なボディ

当時の銀幕の女優たちは陶器のような肌を守るために、競って日傘の下へ逃げ込んでいた時代。けれども、ブリジットは大胆に太陽へ顔を向け、その恵みを全身で受け止めていた。

こんがりと焼けたブロンズ肌こそが彼女にとっての最高のドレスであり、自由の証。そばかすや表情ジワさえも、魅力的なアクセサリーへと昇華させている。

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映画『軽蔑』の撮影合間、太陽と戯れるBB。

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【HAIR STYLE】官能と少女のコントラスト

無造作なヘアが彼女の魂が求めるリベルテ(自由)の象徴だとすれば、多彩なヘアアクセサリーはその奥底に棲む、純真な心をもった少女の投影といえるだろう。

極太のヘッドバンドに潔いほどシンプルなリボン、そしてシネマティックなスカーフ使い。センシュアルなボディで世の人々を魅了しながら、髪にはあえてスクールガールのような無垢なアイテムを飾る。

官能と可憐の計算されたコントラストこそが小悪魔BBの真骨頂であり、フレンチロリータという神話を完成させた、最も重要なカギといえそうだ。

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【HAIR STYLE】官能と少女のコントラスト

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ブラックリボン

無造作なポニーテールスタイルに、シックなブラックリボンをぐるりと巻きつけて。

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画家ジャック・デュサールの個展にて。中央で結んだリボンが、とびきりフェミニンなムードを放っている。

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【HAIR STYLE】パリジェンヌが憧れるカチュームアレンジ

トップに高さを出し、黒やネイビーの太いカチュームでキュッと引き締める。ボリュームのあるブロンドヘアをよりドールライクに見せるこのテクニックは、半世紀以上経った今もなお、パリジェンヌたちの永遠のバイブルとなっている。

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テレビ『A vos souhaits』収録中の一コマ。

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ビーハイブ風カチュームアレンジでドレスアップ。

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【HAIR STYLE】永遠のバカンスミューズ

クラシックなカンカン帽は、南仏の眩しい太陽への招待状。そのガーリーで懐かしいバカンスルックが、彼女の無邪気な魅力を最大限に引き立てている。

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【HAIR STYLE】マニッシュに潜む色気

キャスケットやシャポーなど、あえてハンサムなアイテムを選ぶ日こそ、マニッシュな帽子の下から跳ね上げたキャットアイを覗かせる。この絶妙な甘辛バランスが、彼女のミステリアスな魅力をより一層加速させている。

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サントロペでキャッチされたキャスケットスタイル。頬に広がるそばかすもキュート。

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1966年撮影。温もりあるシャポーとあえて遊ばせた後れ毛。甘くも、媚びない佇まいが美しい。

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【HAIR STYLE】ハンサムヘア

1968年、映画『シャラコ』の撮影現場にて。腰に手を当てカメラを真っ直ぐに見据える姿は、彼女の野生的な美しさと自信を感じさせる。

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キャリア後半には、ウエスタン風のアイテムやボーホースタイルも自在に取り入れていた。

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【HAIR STYLE】甘く危険なロリータアレンジ

彼女の代名詞とも言えるギンガムチェック(ヴィシー柄)と無邪気な三つ編み。まるで人形のような可憐さを装いながら、そのシルエットは圧倒的に女性的で艶やか。

可愛らしさを武器に世界を挑発するこのバランスこそ、甘くて危険なフレンチロリータの骨頂と言えるだろう。

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前髪に高さを出しピンで留めた、遊び心溢れるアレンジ。

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ストレートヘアと組み合わせた、ガーリーなポンパドール風ヘア。

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【HAIR STYLE】誰にも染まらない自由な花嫁

撮影で見せた大胆なカールヘアと官能的な花嫁姿。それは清純さよりも、掴みどころのない新しいヒロイン像の誕生だった。

なお、実生活でもブリジットが伝統的なウェディングドレスを纏ったのは最初の結婚、ただ一度きり。その後はピンクのギンガムチェックやミニドレスを選び、形式的な純白に縛られることはなかった。

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【HAIR STYLE】気高きロイヤルムード

ステレオタイプな着飾りを好まなかったBB。けれど、時折パーティで演出する、まるで王族のような気品溢れる姿は別格。

その稀有なエレガンスは会場の空気を一変させ、見る者すべてを陶酔させた。

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映画『わたしのお医者さま(Doctor at Sea)』のセットにて。

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伝説の社交場、マキシム・ド・パリにて。その佇まいは圧倒的に華やか。

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【HAIR STYLE】バレリーナ風シニヨン

高い位置で無造作にまとめたお団子ヘアに、アクセントとなるヘッドピースを添えて。

バレエで培ったクラシックな気品と香り立つようなフェミニティは、永遠の愛されスタイルといえそう。

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【HAIR STYLE】フレンチシックなスカーフ

アップヘアの顔周りをシネマティックなスカーフで大胆に包み込む。

計算されたルーズさとどこか懐かしい愛らしさ。気取らない休日を彷彿とさせる、ブリジットを象徴するリラックススタイルだ。

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晩年も、彼女はスカーフやバンダナによるアレンジを愛し続けた。かつての夫、ロジェ・ヴァディムの葬儀にもこのヘアスタイルで参列している。

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【HAIR STYLE】人工の美を拒み、野生の輝きを纏う

自身の髪を愛したブリジット。彼女は、スプレーで固めた窮屈なセットを拒み、生涯を通して自由気ままなゆるやかなヘアスタイルを貫いた。

スタイリングレスなボリュームヘアや風になびくクセ毛は、ミニマルでシンプルだが、何よりも本物であることの証。彼女の髪は飾らない自由な魂そのものとしてまばゆい輝きを放っている。

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モノクロームでも髪のつややかさが充分に伝わってくる。1957年、映画『殿方ご免遊ばせ(Une Parisienne)』の撮影現場にて。

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1965年撮影セットにて。無造作なヘアスタイルにオーバーサイズのメンズシャツを一枚羽織る。無防備な隙こそが、最高にセンシュアルな魅力を放つ。

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1966年、ロンドン空港にて。

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テレビ番組『サッシャ ショー』のセットでの一幕。

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映画『セシルの歓び(A cœur joie)』撮影にて。

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グレイヘアをふんわりとアクセサリーでまとめるのが晩年愛したスタイル。ショートという選択肢はなく、あくまで彼女らしく。

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【LIFE】安息の地ラ・マドラグ

ブリジット・バルドーの心の健やかさを語るうえで、南仏サントロペにある愛の巣「ラ・マドラグ(La Madrague)」の存在は欠かせない。

1958年、人気絶頂にあった彼女が手に入れたのはパリの高級住宅でもかつて貴族が住んだ古城でもなく、海辺に佇む元漁師小屋だった。自身の名曲『ラ・マドラグ』でも歌われている通り、彼女はこの場所を何よりも愛していた。

写真は、元夫ジャック・シャリエと14歳になった息子ニコラ=ジャック、愛犬たちと。母であり一人の女性である素顔の時間が流れている。

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【LIFE】引退の真実

1973年、39歳。「美しいうちに幕を引く」という誓いの通り、彼女は銀幕を去った。

決定打となったのは、撮影地で出会った一匹のヤギ。祝宴の供物となるはずだった命と向き合った日の夜、鏡の中の煌びやかな自分に、ブリジットは強烈な違和感を覚える。「こんなに着飾って、一体私は何をしているのか」と。

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生命力の源は太陽と自然、動物

「人間と違い、動物は裏切らない」。彼女が求めたのは、虚構の愛や賛美より確かな命の温もりだった。

ヤギを引き取ったのちに彼女は華やかなドレスと共に女優の役割を脱ぎ捨て、残りの人生を動物たちへ捧げることを誓った。

それは彼女が再び自らの意志で選び取った、最も自由な生き方だった。

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女優の顔を脱ぎ捨てた、活動家としての真摯な眼差し。

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【LIFE】闘う活動家としての第二の人生

引退後、彼女が選んだのは安穏とした余生ではなかった。1977年にはカナダの氷原に降り立ち、アザラシの毛皮貿易の残酷さを世界に訴える。さらにフランス国内の屠殺場における、苦痛を伴わない人道的な処置の義務化にも奔走した。

そして1986年、彼女は自身の私財、かつて世界を魅了したドレスや自身唯一のウェディングドレス、高価な宝石たちをすべてオークションにかけ、その資金を元手に「ブリジット・バルドー財団」を設立する。その活動は著名人の名義貸しの域を遥かに超え、国を動かし、法律さえも変えた執念の闘いだった。

ナチュラルなグレイヘアを無造作にまとめ、資料と向き合う横顔。情熱を燃やして闘い、己の信念を貫き通すその生き様こそが、最期まで美しく凛と生きるための真の答えなのかもしれない。

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【LIFE】女優か母か。不器用な愛と家族の受容

ブリジットの美しさの源泉、それは尽きることのない好奇心と命を燃やすような恋愛だった。誰かを愛している時こそ彼女の肌は最も輝き、その瞳は少女のように煌めいていた。

一方で、1960年に授かった息子・ニコラ=ジャックとの関係は、決して平坦ではなかった。出産時の過剰な報道によるトラウマ、育児への重圧。様々な理由からブリジットは女優、女性として生きることをやめなかった。

成人したニコラ=ジャック・シャリエとは、かつては裁判沙汰になるほどの確執もあったが、長い歳月を経て雪解けした様子。不器用ながらも嘘をつかず、自分の生き方を貫いた母の姿を、家族もまた、ひとつの「個」として受け入れたのかもしれない。

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恋人を超えた同志としての絆

生涯で4度の結婚を経験したBB。才能を見出しスターへ押し上げたロジェ・ヴァディム、唯一の息子を授かったジャック・シャリエ、ヘリで1万本のバラを撒く伝説的求愛を行った大富豪ギュンター・ザックス。華やかな愛の遍歴を経て、晩年は最後のパートナー、ベルナール・ドルマルと南仏の邸宅「ラ・マドラグ」で穏やかに暮らした。

写真は1995年、サントロペで開催された『映画生誕100周年記念式典パーティ』での一幕。隣で微笑むのは最初の夫ヴァディムだ。離婚から数十年が経っても2人の間には隔たりを微塵も感じさせない。

恋人という枠を超え、互いを深く理解し合う人間同士のリスペクト。別れた相手とも笑顔で向き合えるヘルシーな関係性こそ、フランス人が大切にする人間愛の真髄だ。

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シワの数だけ優しく強くなった

2007年9月、パリ・エリゼ宮にて。動物たちの権利を守るため、当時の大統領ニコラ・サルコジとの会談に訪れたブリジット。報道陣の前で自身の足で堂々と歩くその姿には、どんな状況でもひるまない活動家としての威厳が漂う。

かつてのセックスシンボルが美容整形や若作りを一切拒否して老いていく姿に対し、世間は時に容赦ない言葉を投げかけた。メディアが好んで報じるのは、愛護活動中に怒号を飛ばす彼女の険しい表情ばかりだったかもしれない。

けれど、この写真を見れば真実は一目瞭然。目尻を下げて笑うその愛らしい表情は、世界中が恋したあの頃のブリジットそのものだった。

他人の目線よりも、自分の信念に従って生きること。ありのままに歳を重ねた彼女の笑顔は、美しさの定義に迷う現代の女性たちへ、何よりも大きな勇気を与えてくれる。

母の棺を見つめる息子・ニコラ=ジャック・シャリエ / Getty Images

2025年12月28日、痛みと闘いからの解放

2026年1月7日、サントロペで行われた葬儀には夫のベルナール・ドルマルと唯一の息子であるニコラ=ジャックとその親戚、財団から招待された約400名が参列。そして世界中が彼女の死を悼んだ。

旅立ちの装いにはラインストーンのアザラシが輝く黒のTシャツが選ばれた。そしてその胸元には、夫がそっと添えたアザラシのブローチも。かつて氷原でアザラシを守った、あの日の情熱と夫婦の愛を胸に抱いて。

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愛する夫との穏やかな時間

晩年はがんとの闘病、2度の手術、そして絶え間ない腰や体の痛みに「もうたくさん。去りたい」と漏らすほど、その肉体は限界を迎えていた。

だが、亡くなる2日前まで彼女が楽しみにしていた時間がある。それは夫が用意するミルクティーとクロワッサン。「子供のように、彼女は午後の甘いひとときを待っていました。私は片時も彼女から離れなかった」とドルマル氏は語る。

そんな幸福な時間を過ごした自宅、ラ・マドラグの庭で眠りたいという強い願いがブリジットにはあった。

しかし、狭い海岸沿いの道にファンが押し寄せ、愛するサントロペが混乱することを懸念し、最後はその願いを自ら取り下げたという。街の静寂を守るという決断もまた、彼女自身の心に従った選択だった。

今は両親と共に、海を臨む場所で静かな眠りについている。

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美しき人生の終幕

病魔でさえ、彼女の魂が放つ輝きを奪うことはできなかった。ドルマル氏は息を引き取った彼女の顔を見て驚いたと話す。

「若い頃の信じられないほどの美しさが戻っていました。91歳だなんて誰も信じないでしょう」と。

そこには苦痛の影はなく、ただ深い安らぎと静けさが浮かんでいた。肉体の痛みから解放され、彼女は再び自由になったのだ。

ブリジット・バルドーの美しき人生に心からの敬意と愛を込めて。

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