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創業300年余、京都・俵屋旅館がネットに「門戸を開いた」理由とは

  • 2026.1.21

京都は麩屋町通姉小路に面した、この街で最も古い宿のひとつ俵屋旅館。

創業から300年余、世界に知られるこの小さな宿が、このたび電子の世界にひとつの扉を静かに開きました。俵屋旅館の公式サイトです。

長い年月のなかで、時代の求めるものは変わっていきます。代々の当主はそれを少しずつ、俵屋の新たなかたちとして実現してきました。客室の改装、季節のしつらい、料理や器、寝具や小物に至るまで、並々ならぬ志がこの宿を整えてきたのです。それらは、当主の趣味嗜好というようなものを超えた時代の変化が促してきたものともいえるでしょう。

宿というかたちのないものを引き継ぐなかで、これまでにないものをどうやって作りだしていくのか。今回、この公式サイトをご紹介するにあたり、俵屋専務・佐藤春華さんがエッセイを寄せてくださいました。

ぜひご覧ください。

連載「気配のレッスン」京都・俵屋旅館の茶室から

かたちのないものを受け継いでゆく覚悟と、研鑽の日々。

特別番外編「老舗とインターネット」

文=佐藤春華
俵屋旅館公式サイトトップページより Ⓒtawaraya

公式サイトがなかった理由

お客さまとお話しするのはお茶室での接待のときか、お見送りの玄関でのことがほとんどであるが、ごくたまにロビーでお話を伺うことがある。

5年ほど前のある日、「老舗」企業を研究している学者の方がご宿泊の際に、「俵屋さんが公式インターネットサイトを持たないのは戦略としてなのでしょうか」と質問された。私は言葉に詰まり、正直に「“戦略”という積極的な考えからきているのではありません。義母がハイテクに興味がないからです。Eメールはおろか、携帯電話さえも使いません。公式サイトがないことが、逆に珍しいと肯定的に言われ、電話とファクス、そしてお泊まりの際に次回のご予約をお客さまがしてくださるので、義母が公式サイトの必要性を感じなかった、というのが本音です」と答えた。

その教授は「公式サイトを積極的に作る必要性を大奥さんが全く感じなかったということなのですね。そしてお客さまからもお声が上がらなかったと……面白いですね!」とおっしゃった。

しかし、私にはふたつの出来事がひっかかっていた。

外国の方がわざわざ俵屋の玄関までお越しになり、「宿泊予約をしたいのですが」とおっしゃったことがあって、当時のスタッフがその方に「外国のお客さまはファクスでご予約を承ります」と申し上げたのだ。その方は「ファクスは家にないので、いま滞在している京都のホテルからファクスを送りますね」とおっしゃり、お怒りにもならず帰っていかれた。俵屋では間違いを防ぐため、外国のお客さまの予約はファクスでやりとりをする、というのが当時のルールだったのだ。

外国からわざわざ俵屋の玄関まで来られているのに、ご予約を承れないなんておかしい。なんとかできないのか、と義母に聞いたが、「たくさんの情報を外国のお客さまにお伺いするのにファクスがいちばん間違いがなく、年配のスタッフもファクスなら対応できる」と言っていた。

もうひとつの出来事は、インターネットに俵屋ではない画像が間違って掲載されてしまったことだ。公式サイトがないということは、確信を持てる俵屋の画像がないともいえるので、写真をご覧になるお客さまに誤解を与えてしまう。間違った画像は何年も訂正することができず、大変はがゆかった。もし公式サイトがあれば、誤解も解けるのに、と思った。

私のなかでは何年も公式サイトの必要性を感じながらも、どのような雰囲気のサイトを作るべきか大変悩んでいた。そんなときに、ある人たちを紹介された。「作るかどうかは別にして、社長や春華さんの希望するサイトをなんでも話してみたらどうでしょう?」とのことで、彼らに会うことになった。

俵屋旅館公式サイトトップページより Ⓒtawaraya

理想のイメージを求めて

「私が理想とする公式サイトは、義母が『まあ! 素敵ね! 春華、これなかなかいいじゃないの!』と言ってくれるサイトです。まだ誰も見たことがない、さりげなく、自然で、奇を衒(てら)っていなくて、うるさくなく、静かで、美しいと思ってもらえるようなサイト。そのサイト自体が俵屋の存在を体現する、そんな公式サイトができるならば作ってみたいですね」と言った。

義母がいつも私に教えてくれている、「美しいもの」「自然や日常のなかから美しさを見つけること」という話を何時間も彼らにした。そして、オリエンタリズムに偏った映像や、京都や日本らしさの紋切り型の表現もできるだけ避けたい。自分で言っていても、こんな無理難題を突きつけられて、この人たちは当惑しているだろう、と思った。映画やドキュメンタリー番組を作るのではないのだから、もっと単純に情報だけを載せるようなサイトでいいのではないか?ということも頭をよぎった。しかし、誰にも想像がつくようなサイトを作っても、義母は「ふーん」としか言わないような気がする。

「やるならば、新しいことに挑戦するようなサイトを作りたい。そうでなければ、作る必要はないと思います」と言うと、「僕たちも普通の仕事と思っていません。挑戦したいと思っています。お時間をください」とおっしゃり、その日の打ち合わせは終わった。

数日後、「公式サイトの大きなアイディアが固まったのでお話しさせていただきたい」と連絡があった。思っていたよりだいぶ早かったので、先方の熱意を無意識に感じた。

「俵屋さんの映像でスクリーンセーバーのようなものを作るというのはどうでしょうか。つまり、ずっと見ていられる映像ということです。1月には1月の俵屋の映像、2月には2月の俵屋の映像というふうに」

それを聞いたとき、「スクリーンセーバーか……ずっと見ていられる画像……?」といまひとつピンと響かない気がした。現代の人たちは忙しすぎて、そんな時間も、気持ちの余裕もないのではないかと思った。ただむしろ、制作側の彼らが、効率よりもそんな時間のかかる面倒くさい作業をわざわざ提案してきたことに心が動かされた。泥くさく地道に撮影をして、時間をかけて丁寧に公式サイトを作り上げることは義母のやり方と同じ路線のように思えた。「面白いアイディアですね。時間も手間もかかって大変だと思いますが、やりがいがありそうです」と答えた。

俵屋旅館公式サイトトップページより Ⓒtawaraya

載せるのは俵屋のいつもの景色

その次のミーティングで、彼らは作ってきたデモ映像を見せてくれた。俵屋の一室にある流政之氏のリング状の彫刻の間から小さな窓が見える。その窓から光が差し込んで窓枠に置いた深みのある赤いガラスの鳥の置物が輝いていた。

「あの小窓から一条の光が差し込むのよ!」という義母の声が聞こえた気がした。この部屋をリノベーションしたとき、義母がそういう思いであの小窓を作ったという話を聞いていたからだ。また、ある部屋の庭座の座椅子に柔らかな光が降り注ぎ、楓の木漏れ日がちらちらと揺れ動くのが土壁に映る映像もあった。

「ああ、普通でいいですね……。何も派手なことをしていなくて。義母と私がいつも見ている俵屋ですね」と言った途端、義母と一緒にチェックイン直前のお部屋を見回って、いろいろなことを話していた瞬間が思い出されて、懐かしいような切ないような複雑な気持ちになり目頭がグッと熱くなった。何も特別な演出はしていない、ありのままの俵屋が美しく、公式サイトの画像としてもふさわしいのではないかと感じた。

12カ月以上かけて俵屋の風景を撮影し、膨大な映像のなかから数百のカットが厳選された。公式サイトを訪れたお客さまがご覧になる映像は、アクセスするごとにその月の映像がランダムに流れるようになっている。毎月の読み物として、11代目当主・佐藤年の「折節の韻律」*というエッセイもサイトに転載することにした。ぜひ俵屋旅館公式サイトをご覧いただき、俵屋の世界をお楽しみいただけたら幸いである。

*(初出:『婦人画報』(ハースト婦人画報社 1993年1月号~12月号連載より文章のみ再録)

【俵屋旅館公式サイトより】

11代目当主・佐藤年さんによる『婦人画報』での連載エッセイ「折節の韻律」 Ⓒtawaraya
俵屋直営天ぷら店「点邑」ご紹介ページ Ⓒtawaraya

さとうはるか●俵屋旅館・若内儀。横浜生まれ。米国・コロンビア大学工学部(SEAS)応用数学科卒業後、ニュー・イングランド音楽院大学院を経て、大阪音楽大学大学院修士課程(作曲専攻)修了。俵屋旅館専務取締役、遊形取締役。俵屋後嗣で同志社大学文学部教授の佐藤守弘氏は夫。

俵屋旅館〇京都府京都市中京区麩屋町通姉小路上ル tel.075-211-5566

2026年1月20日オープン

編集=内田理惠(婦人画報編集部)

この記事は『婦人画報』本誌と「婦人画報&美しいキモノプレミアム」にて連載中の「気配のレッスン」番外編として特別に掲載しています。本連載は、世界的に活躍される写真家、川内倫子さんと、俵屋専務、佐藤春華さんによる本邦初公開、同世代のふたりのコラボレーションによるシリーズです。2024年10月に開始され、現在は一時休載中ですが、2026年6月から再び掲載が始まります。どうぞお楽しみに。

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