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ザ・タイガース復活ライブの裏話。【79歳・瞳みのるさんのターニングポイント#4】人生は何度でも初期化できる!

  • 2026.1.20

ザ・タイガース復活ライブの裏話。【79歳・瞳みのるさんのターニングポイント#4】人生は何度でも初期化できる!

あの時代を知る人なら、きっと胸が熱くなる。グループサウンズの黄金期を駆け抜けた「ザ・タイガース」。その中で、仲間をまとめ、前へ前へと歩いてきたのが、瞳みのるさんでした。解散後、彼が選んだのは音楽とは異なる道——。いくつもの決断が、瞳さんの人生を形づくっています。第4回の最終回は、38年の時を経て戻ってきた、タイガースのメンバーとの再会について伺います。

「僕らは幼馴染、昔ながらの友だちだったんだ……と」

——電話をかけてほしい、という1枚の名刺がきっかけで、「ザ・タイガース」が解散して以来、37年ぶりに元マネジャーの中井国二さんと会うことになりましたね。

慶應義塾高校の定年は65歳なんですが、そのころの僕は還暦を過ぎて、これからのことを考えていたタイミングだったんです。名刺を見た時は疑心暗鬼だったけれど、ふと、中井さんに会ってみようかという気持ちに傾きました。

——頑なに閉ざしていた芸能界との接触の扉を開いた理由は何だったのですか?

会うなり、「マネジャーとしての自分の力不足で、あれほど仲のよかったメンバー5人の友情を壊してしまった」と静かに詫びてくれた。率直で、タイガース思いの中井さんの姿に心が動いたんですね。

ちょうどその頃、沢田が東京ドームで還暦ライブをやっていて、「ピーのことを思って『Long Good-bye』(岸部一徳、沢田研二/作詞 森本タロー/作曲)という曲を歌っているよ」と聞いたのもこの時でした。

——その歌詞に「一度、酒でも飲まないか」とあるように、中井さんのセッティングでメンバーと再会することになりますね。

2008年12月17日、場所は渋谷。なぜか加橋は来なかったけれど、中井さんを囲んで岸部、森本、沢田と僕が集まったんです。

「ザ・タイガース」として活動したのはわずか4年足らずでしたけれど、あれほど濃密な時間というものは、38年の時を隔てても戻って来るもんなんですね。

僕ら5人は寄せ集められたメンバーではなくて、幼馴染。昔からの友だちだったんだ、ということが身に沁みました。

——その後、2011年から沢田さんのコンサートツアーにゲスト出演。2013年にはオリジナルメンバー5人が揃った「ザ・タイガース」復活ライブツアーが開催されました。ステージ活動を再開した理由は何でしたか?

1つは、2008年に離婚したことです。子どもが2人とも成人して、子どもの面倒をみたり、食事を作ったり、家の中で僕が担ってきた役割の必要性が低くなったということですね。

そんなときに、中井さんから「ピーが必要だ」と声をかけられた。離婚していなければ、活動再開はしていなかったと思います。

もう1つは、2010年に33年間勤めた慶應義塾高校を退職したこと。定年まであと2年を残していましたが、中国語の履修者数が全国の高校でトップになったこともあり、一区切りつけようという気持ちになりました。

——ドラムスティックを握るのは、40年ぶりになりますね。

40年間のブランクも心配でしたが、実は2009年に脳梗塞になったことの不安のほうがもっと重大でした。

中国旅行の最中に発症して2日ほど意識がなく、死の淵を彷徨いました。

ようやくリハビリ生活に入ったときに、病院のベッドの上で、なぜかドラムスティックを握ってみようと思ったんです。医師からは「頭を振るようなことはNG」と止められましたが、スティックだけは手放しませんでした。「ザ・タイガース」のDNA、なんですかね。

——そんな大病をなさったようには見えませんが……

2001年、55歳のときには劇症A型肝炎で命を落としかけていますし、一昨年は肺炎で入院して、体力がガクーンと落ちました。

だからといって、ドラムを叩く力をセーブするかといえば、つい全力でやってしまうんですけれどね。

人生は“初期化”する、とは?

——現在は、2014年に結成した「瞳みのる&二十二世紀バンド」で精力的にライブ活動をされていますね。

洋楽もやるし、「ザ・タイガース」時代の曲もやります。もちろんオリジナル楽曲も演奏しますが、歌詞はもっぱら僕が書いています。

実は、何らかのかたちで音楽をやりたい、と考え始めたのは、定年が見え始めたころ。転機は55歳のときだったと思います。

——誰もがこれから先の人生を考えて、一度立ち止まる時期ですね。

そのころ、学校が休みの時期には中国でマンションを借りて生活していたんです。退職したら、中国でおでん屋をやるのもいいな、なんてぼんやり考えていました。

そんな中国生活でよく耳にしていたのが、日本の唱歌としておなじみの『旅愁』。日本人は日本の歌だと思っているのと同じように、中国人も中国の歌だと思っている。でも、ルーツはアメリカの曲だったんです。知りませんでした。

そこから勉強欲が湧いて、唱歌をライフワークにしよう、音楽に関わっていこうと思いました。

——「♪ふけゆく 秋の夜~」ですね。

日本の詩は失礼ながらお粗末だけれど、中国の詩は七言絶句や七言律詩のように韻を踏んでいて、ストーリーもあって見事。

だから、僕の作る詞も、韻を取り入れてリズムを大切にしたり、伝えたい思いをきちんと表現するようにしてます。

子どもの頃、唱歌が大好きだった兄が、僕にライフワークを授けてくれたのかもしれませんね。最近は、寝る前に詞を1つ書かないと、寝つけなくなりました。

——瞳さんのブログ(瞳みのるオフィシャルブログ Powered by Ameba)には、「詞」と「食事」が毎日更新でアップされています。たまに、息子さん用のごはんも紹介されていますが、評判は?

息子はいま小学校1年生なんですが、評判は全くの空振りです。何もわかっちゃいないな、とは思うけれど、腹も立たない。

再婚して、72歳のときに生まれた子どもですけれど、子どもは歳をとってから持つべきだ、と思いました。若い頃の子育てと違って、今は物事を俯瞰して観られるから、何も焦ることはありません。

——73歳にして、改めて父親としての人生を始める。その勇気と決断力がすばらしいですね。

僕は、人生は何歳でも、何度でも“初期化”できると思っているんです。

「ザ・タイガース」を辞めたのも“初期化”、離婚したのも“初期化”、定年前に退職したのも“初期化”、シングルライフを止めたのも“初期化”… “初期化”してゼロからまた始めればいい。

人生は断捨離の連続。“初期化”してこそ、次のステップに進めるんだと思います。50代、60代なんて、まだまだこれからです。

瞳みのるさん Profile

瞳みのる●ひとみ・みのる
1946年、京都府生まれ。ザ・タイガースのドラマーとして67年にデビュー。71年のグループ解散後は、高校復学を経て慶應義塾大学文学部中国文学科へ。修士課程へ進み、教員免許を取得する。その後、慶應義塾高等学校教諭として中国語・漢文を担当し、2010年に退職。11年からはミュージシャンとしての活動を再開し、瞳みのる&二十二世紀バンドなどで精力的に活動中。
瞳みのるオフィシャルサイト
瞳みのるオフィシャルブログ

瞳みのるさんのターニングポイント④
人生は何歳でも、何度でも“初期化”できると思っています。タイガースをやめたのも、定年前に仕事を辞めたのも、離婚したのも、シングルライフをやめたのも、すべて初期化。初期化してこそ次のステップに進める。50代、60代なんて、まだまだこれからです。

撮影/柴田和宣(主婦の友社)

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