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4年ぶりの来日公演記念! レディー・ガガの波乱万丈な半生を振り返る

  • 2026.1.19
Frazer Harrison / Getty Images

昨年リリースしたアルバム『Mayhem』を携えて、レディー・ガガが日本に帰ってきた! 今週1月21日から、大阪・京セラホールと東京ドームでワールドツアー『The MAYHEM Ball』6公演を開催する。2008年にデビューアルバム『The Fame』をリリースして以来、シンガーとして、俳優として進化してきたガガ。プライベートでは婚約破棄や病との闘いなど、つらい出来事も。しかしそのたびにより強く美しく甦り、さらにパワーアップした歌声やパフォーマンスを見せてきた。そこで今回は来日を記念して、ガガのヒストリーをプレイバック。彼女の魅力を改めておさらいしよう。

Splash/AFLO

ニューヨークにお嬢さまとして生まれる

1986年3月28日、ニューヨークに住む裕福なイタリア系カップル、ジョー(写真)とシンシアのもとに生まれたステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ。彼女は物心つくとすぐに音楽的才能を発揮。4歳にしてピアノを弾き始め、レッスンを受け始める。優れた音感の持ち主で楽譜は使わず音で楽曲を覚えていった。11歳のとき名門ジュリアード音楽院への入学を許されるが、音楽を勉強することにあまり興味が持てなかった彼女はカトリック系の女子校コンベント・オブ・セイクリッド・ハート(聖心女子学院)に進む。

Dave M. Benett / Getty Images

ここはいわゆるお嬢様学校。パリス&ニッキー・ヒルトン姉妹も在籍していたことで知られる。彼女も裕福な家庭で生まれ育ったが、生徒の多くは先祖代々お金持ちのオールドマネーの出身。イタリア系だったことも手伝って、学校ではいじめられていた。そんな彼女に救いを与えたのは音楽だったよう。14歳のときニューヨークのナイトクラブで歌うようになり、17歳でニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・アートに早期入学。本格的に音楽を学び始めるが、1年で退学してしまう。

Lucas Oleniuk / Getty Images

19歳でレコード会社と契約、下積み生活へ

この頃すでに個性的なスタイルを確立し始めていた彼女は、大学でも変わり者扱いされていたという。そのストレスから薬物依存症などを患ってしまうが、ポップスターになりたいという思いを諦めることはなかった。歌手活動を本格的にスタートさせた彼女は2005年、19歳のときデフ・ジャム・レコーディングと契約する。しかしすぐに契約を解消、2007年にインタースコープ・レコードと契約を結び、ブリトニー・スピアーズやプッシー・キャット・ドールズら有名シンガーたちに楽曲を提供するようになる。しかし彼女自身がすぐにシンガーとしてブレイクすることはなく、ストリッパーやゴーゴー・ダンサーとして働きながら作品を作っていた。

その頃、彼女を運命に大きな影響を与えた人物が2人いる。1人は音楽プロデューサーのロブ・フサーリ。彼女の声にクイーンのフレディ・マーキュリーと通じるものを感じたフサーリは、彼女がスタジオに来るとき、クイーンの「RADIO GAGA」を歌って迎えた。あるとき、フサーリがメールの中でこの楽曲に触れたとき、自動修正の機能で「Lady Gaga」と表記されてしまった。これを気に入ったガガは自分の名前に採用。今の「レディー・ガガ」がここに誕生することになる。

Tim Mosenfelder / Getty Images

22歳でデビューアルバム『The Fame』をリリース

もう1人はR&Bシンガーのエイコン。ガガから楽曲を提供された彼は、彼女のアーティストとしての才能に気がつき、自分のレーベル「コンライブ」に誘う。ガガはレーベルと契約、2008年にデビューアルバム『The Fame』をリリースする。ガガは2年以上かけてこのアルバムを制作、歌詞と楽曲のライティング、シンセサイザーの演奏まで自分自身で手がけた。

ガガはこのアルバムをリリースしたとき「私はみんなを自分のパーティーに招待したい」と語っていたが、このパーティーは大成功。イギリスとカナダ、アイルランドでチャートの1位を獲得、アメリカでもビルボードのアルバムチャートで最高4位を記録した。ちなみに日本でも大ヒット。75万枚以上を売り上げ、日本レコード協会からトリプルプラチナムに認定されている。

Frederick M. Brown / Getty Images

23歳、肉ドレスでポップカルチャー史に名を残す

2009年には、このアルバムの再発盤である『The Fame Monster』をリリース。再発盤というと収録楽曲はそのままに、リマスタリングするだけのものも多い。しかし、ガガのポリシーはファンに誠実であること。新たなナンバーを8曲追加して発表した。このアルバムのファーストシングル「Bad Romance」は世界中で大ヒット。

2010年のMTVビデオ・ミュージック・アワード(VMA)の最高賞ビデオ・オブ・ザ・イヤーも受賞した。この年のアワードでガガは13のノミネーションを獲得、そのうち8を受賞するという無双ぶりを披露。またビデオ・オブ・ザ・イヤーには「Bad Romance」だけでなくビヨンセとコラボした「Telephone」も候補に。ガガはVMAで初めて、この最高賞に複数のノミネーションを送り込んだ女性アーティストになった。授賞式にはミートドレスで登場。VMA史や音楽史だけでなく、ポップカルチャー史に名前を残した。

Jeff Kravitz / Getty Images

25歳で「最も影響力のあるセレブ」に

2011年、ガガは『フォーブス』誌が選ぶ「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」「世界で最も影響力がある100人」にエントリー。グラミー賞授賞式では、セカンドアルバムとなる『Born This Way』の表題作であるシングル「Born This Way」を初披露した。このとき彼女は卵のようなカプセルに入ってレッドカーペットに登場。舞台上でそのカプセルの中から生まれるというパフォーマンスを見せ、唯一無二のセンスとアーティスティックな才能を披露した。

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同じ頃、テイラー・キニーと出会う

このアルバムは彼女のプライベートにも大きな影響を与えた。収録曲「You and I」のMVで俳優のテイラー・キニーと出会い、意気投合。交際をスタートさせる。

2人は順調に愛を育み、2015年2月に婚約。ガガは巨大なハート型のダイヤモンドがセットされた婚約指輪をSNSで披露してハッピーなニュースを報告。ファンからは祝福のメッセージが寄せられた。

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26歳でチャリティ財団を設立

2012年には母のシンシア(写真)と共に非営利財団「Born This Way Foundation」を設立。若者をエンパワメントし、彼らのウェルネスをサポートすること、一緒により思いやりと勇気に溢れた世界を築くことを目的に活動している。ちなみに今回の日本公演の収益の一部もこの財団に寄付される。

ガガは、キャリアの初期からチャリティ活動や人権問題に深く関わってきた。2010年にはハイチの大地震で被災した人々を救うためにニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで開催したコンサートの収益を寄付。また2011年には日本の東北大震災ではチャリティブレスレットを販売、その収益を復興のために寄付した。さらに来日し、MTV ジャパンの被災者支援イベントにも出演している。

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27歳、アルバム『ARTPOP』の失敗で挫折を味わう

セカンドアルバムでも大成功を収めたガガだが、挫折も味わっている。このアルバムを提げたワールドツアー「ボーン・ディス・ウェイ・ボール」を骨盤の関節をケガしたことから途中でキャンセルすることに。

そんな中、2013年にサードアルバム『ARTPOP』をリリースするが、前2作に比べて圧倒的に売り上げがダウン。レコード会社は赤字を計上、レーベルは人員削減をすることになったという。

Jeff Kravitz / Getty Images

28歳で路線を変更 ジャズアルバムをリリース

しかしこの失敗作は、ガガが新たな道を切り開くきっかけになった。ガガは2014年、アメリカを代表するシンガーで俳優のトニー・ベネットとコラボ、ジャズアルバムの『Cheek to Cheek』をリリースする。この作品はセールス的にも大成功、批評家からも大絶賛される。グラミー賞でも最優秀トラディショナル・ポップボーカル・アルバム賞を受賞した。トニーとはプライベートでも大親友に。2023年に96歳で亡くなるまで友情は続いた。このアルバムの成功を受け、2016年2月にはスーパーボウルの国歌斉唱のシンガーに抜擢された。

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30歳でテイラー・キニーとの婚約を破棄

しかしその一方で、プライベートでは悲しい出来事が。テイラー・キニーと破局、2016年7月に婚約破棄を発表する。原因は2人ともが多忙になったことだと関係者は話しているが、世界の歌姫となったガガの方にプライベートな時間を作る余裕がなくなってしまったのは明らか。彼女はNetflixで配信中のドキュメンタリー「レディー・ガガ:Five Foot Two」の中でこう語っている。「私の恋愛生活は今まさに自滅した。1,000万枚売ってマット(注:クリエイティブディレクターのマシュー・ウィリアムズのこと)を失い、3,000万枚売ってルーク(・カール)を失った。映画を撮ったらテイラーを失った。反転しているよう。こんな風に恋を失うのはこれが 3回目」。キャリアの成功とプライベートでの幸せが反比例していると語った。

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同じ年、『Joanne』で新境地を開拓

2016年10月、ガガは4枚目のアルバム『Joanne』をリリースする。グラムロックやバーレスクショーを意識したような華々しい作風からは一転。カントリーを基調とした楽曲でファンの心を改めて掴み、ビルボードのアルバムチャートで1位に輝いた。この作品のタイトル「ジョアン」はガガのミドルネームでもあるが、19歳という若さで亡くなった叔母の名前でもある。ガガ本人は彼女に会ったことがないが「彼女の話を父から聞いたり、父を見たりすると、彼女がどんな女性だったかよくわかる。彼女は私の家族にとってとても大切な人」と話していた。

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このアルバムの根底にあるテーマは「家族」であり、ガガはこのアルバムで「人生のあらゆる感情を描いている」と語っている。「この作品を通じて、自分の人生における最も深い部分にある物語を携えて世界に出たかった。それを歌に変え、人々がそれぞれ人生や物語について深い意味のある形で心の底から感動できるような作品にしたかった」と話していた。この作品は『ローリングストーン』誌のベストポップアルバムの7位に選ばれるなど音楽的にも高い評価を獲得。グラミー賞の最優秀ポップボーカル・アルバム賞にノミネート、「Million Reasons」のピアノバージョンは最優秀ポップソロ・パフォーマンス賞を受賞。『ARTPOP』での失敗を乗り越え、シンガーとして新たな章をスタートさせた。

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31歳でハーフタイムショーに出演

このアルバムをリリースした翌年の2017年にはスーパーボウルハーフタイムショーに出演。2年にわたってスーパーボウルで歌声を披露するという快挙を成し遂げた。ショーではワイヤーを使ったアクロバティックなパフォーマンスと、圧倒的な歌唱力を活かした弾き語りという対照的な演出を披露した。このショーはその年のエミー賞にもノミネートされた。しかしここで、彼女を再び不運が襲う。2017年9月にリウマチ性の疾患である線維筋痛症を患っていることを公表。2018年2月にはこの痛みが原因でアルバム『Joanne』をフィーチャーした同名のワールドツアーを中止している。

David Crotty / Getty Images

32歳、病から復活しオスカーを受賞

しかしガガは病を乗り越え、2018年後半に見事復活。テイラーとの破局を語ったコメントからもわかるように彼女はこれまでも女優として活動、映画『マチェーテ・キルズ』や『シン・シティ 復讐の女神』などに出演してきたが、その演技の才能を活かして表舞台にカムバック。ブラッドリー・クーパーが監督した『アリー/ スター誕生』でヒロインを演じた。この作品で彼女はアカデミー賞やゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞など名だたるアワードの主演女優賞の候補に。残念ながら俳優としてのオスカー受賞はならなかったが、ブラッドリーとデュエットした主題歌「Shallow」でアカデミー歌曲賞を受賞。この楽曲でグラミー賞も獲得した。

Kevin Mazur / Getty Images

32歳で婚約、そして2度目の婚約破棄

この時期のガガを支えていたのが、タレントエージェントのクリスチャン・カリーノ。2017年初め頃から交際が囁かれるようになり、2018年初めにはガガが左手薬指に大きなピンクサファイアの指輪をして出かけるシーンも目撃されたことから、婚約報道も浮上した。

2018年10月にUS版『ELLE』主催の「エル・ウーマン・イン・ハリウッド」の席でカリーノとの婚約を正式に発表したが、2019年2月に破局してしまう。

Kevin Winter/MTV VMAs 2020 / Getty Images

35歳、『Chromatica』でダンスポップの世界へ

この別れを乗り越えたガガは、再びダンスポップの世界にカムバック。2020年6月に5枚目のアルバム『Chromatica』をリリースする。このアルバムではアリアナ・グランデやBLACKPINKとコラボしたり、テクノやユーロダンスなど1990年代の流行を取り入れたりとエンターテインメント性と音楽性の両方を追求した。ファンと批評家たちの圧倒的支持を得て、チャートの1位に輝く。またMTV VMAでもこの年最多となる5つの賞を受賞。その年に新設された、音楽や演技、ファッションなどさまざまな分野で活躍している人を讃える「トリコン」賞の記念すべき初の受賞者にもなった。

Vittorio Zunino Celotto / Getty Images

この賞が彼女に相応しいものであることを証明するかのように、ガガは2021年に全米で公開された映画『ハウス・オブ・グッチ』に出演。メインキャラクターで実在の人物パトリツィア・レッジアーニを熱演した。ゴールデン・グローブ章では主演女優賞にノミネート、ニューヨーク映画批評家協会賞の主演女優賞を受賞した。

Pool / Getty Images

34歳、大統領就任式で国歌を斉唱

LGBTQsの権利の向上を目指してきたガガは、政治的なメッセージも恐れることなく発信してきた。2016年のドナルド・トランプ大統領とヒラリー・クリントン元国務長官の選挙戦ではクリントンを支持。トランプ大統領が当選した時には「Love trumps hate(愛は憎しみに勝つ)」と書かれたプラカードを持って、差別的発言を繰り返すトランプ大統領を批判した。2020年のドナルド・トランプ大統領とジョー・バイデン前大統領との選挙戦ではさらにはっきりと、バイデン支持を表明。選挙キャンペーンに出演し、パフォーマンスを披露した。バイデンが当選した暁には就任式で国歌を斉唱、新大統領の誕生を祝福した。

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同じ頃、新恋人との交際もスタート

就任式で歌うガガを陰でサポートしていたのがIT実業家のマイケル・ポランスキー。ガガとポランスキーは2019年終わりに関係を公表、順調に愛を育んでいく。就任式では無事に大役を果たしたガガにポランスキーがキスするシーンも目撃された。2人は約4年の交際を経て、2024年4年に婚約する。

Kevin C. Cox / Getty Images

38歳、実業家のマイケル・ポランスキーと婚約

この婚約が明らかになったきっかけは、2024年7月に行われたパリ五輪。ガガは開会式に出演、セーヌ川のほとりで1960年代にフランスのバレリーナ、ジジ・ジャンメールが歌って大ヒットさせた「Mon Truc en Plumes」をパフォーマンスした。オリンピックが始まってからもガガはポランスキーとパリに滞在。試合を観戦していたが、あるとき会場で会ったフランスのガブリエル・アタル首相にポランスキーを「私の婚約者です」と紹介。そのシーンを首相がTikTokに投稿したことから、婚約が全世界に発覚した。

Andreas Rentz / Getty Images

パリ五輪に出演、映画『ジョーカー』続編でも熱演を披露

ガガとポランスキーは五輪の3か月後に開催されたベネチア国際映画祭のレッドカーペットにも揃って登場。ガガの出演した『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』のプレミアに出席した。この作品は2019年の映画『ジョーカー』の続編で、ガガが演じたのはジョーカーの恋人になるハーレイ・“リー”・クインゼル。ジョーカー役のホアキン・フェニックスの狂気に満ちた演技に負けない熱演を披露した。

Kevin Mazur / Getty Images

39歳、『Mayhem』でポップクイーンの名を新たに

ポランスキーとの関係は、アーティストとしてのガガにも影響を与えている。2025年にリリースしたアルバム『Mayhem』はストレートなポップアルバムとして高い評価を獲得した。ビルボードのアルバムチャートでも1位を獲得したが、彼女にポップアルバムを作るよう後押ししたのがポランスキーだった。2人はこのアルバムで一緒にエグゼクティブプロデューサーも務め、7作もの楽曲を一緒に制作している。ポランスキーが公私ともどもガガにとって大切な存在になっているのは間違いない。

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同じ年、2度目のコーチェラのヘッドライナーを務める

2025年4月には世界最大級の野外音楽フェス、コーチェラ・フェスティバルでヘッドライナーを務めた。彼女がヘッドライナーに抜擢されるのは2017年に妊娠したビヨンセの代役を務めて以来、これが2度目。今回ガガは、「Act I: Of Velvet and Vice(第1幕:ベルベットと悪徳)」から「Finale: Eternal Aria of the Monster Heart(終幕:モンスターの心の永遠のアリア)」まで5幕から構成されるステージを披露。オペラのような壮大なパフォーマンスを砂漠で見せた。フィナーレでは立ち上げ間もないブランド「マティエール・フェカレス」の白い衣装で舞台に登場、観客を熱狂させた。

Kevin Mazur / Getty Images

デビュー以来持ち続けているエッジィな感性はそのまま、シンガーとしての円熟味を増していくガガ。ダンサーとしてパフォーマーとしても表現力の豊かさは増すばかりである。今回の日本公演で、そしてこれからのキャリアでどんな世界を見せてくれるのか楽しみにしたい!

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