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ザ・タイガースのドラマーから慶應合格、教壇へ転身した理由とその秘話【79歳・瞳みのるさんのターニングポイント#3】

  • 2026.1.19

ザ・タイガースのドラマーから慶應合格、教壇へ転身した理由とその秘話【79歳・瞳みのるさんのターニングポイント#3】

あの時代を知る人なら、きっと胸が熱くなる。グループサウンズの黄金期を駆け抜けた「ザ・タイガース」。その中で、仲間をまとめ、前へ前へと歩いてきたのが、瞳みのるさんでした。解散後、彼が選んだのは音楽とは異なる道——。いくつもの決断が、瞳さんの人生を形づくっています。第3回は、復学、学生、教師生活について伺います。

僕の剃髪姿は一度も盗撮されていません(笑)

——1971年1月25日に「ザ・タイガース」が解散して芸能界を引退。京都に戻って最初にしたことは何でしたか?

翌年の大学受験を目指して、真っ先に床屋に行って剃髪しました。勉強に集中するために。

だから、京都まで追っかけてきたカメラマンにも気づかれなくて、僕の剃髪姿は一度も盗撮されていません(笑)。

——4月からは府立山城高校定時制の4年生に復学。翌1972年4月には慶應義塾大学文学部中国文学科に進学されます。

中国文学を選んだのは、高校時代の授業で中国語がただ1つ、好きな科目だったから。柴田(錬三郎)先生の影響も大きかったと思います。

——それにしても、1年間の受験勉強で慶應に合格するには相当な努力が必要だったのでは?

「タイガースでやっていた仕事量を勉強に振り向ければ同じことだ」と、なぜか沢田が言っていたそうです。

確かに、「ザ・タイガース」で思うように睡眠時間をとれない時期を過ごしているから、勉強だって同じように考えてやればいい。だって、勉強をするために芸能界引退を1年間先延ばしにしたんです。働かなくてもいいようにお金も貯めたんだから、1日たりとも無駄にはできないと思っていました。

もし1年で合格できなくて、2年やっていたらもう切れていたと思うので、ギリギリです。

——25歳から始まった「人見豊(ひとみみのる/本名)」としての大学生活はいかがでしたか?

そのころは髪の毛も伸びていたので、気づかれたりはしましたが、特段の関心を示さないのがさすが慶應だな、と思いました。有名人の子どももたくさんいますから。

たとえば、阿川佐和子(さん)は僕の7歳下だけれど、文学部の同期生。お父さんの阿川弘之さん(作家)は、柴田先生のドボン(トランプゲーム)の博打仲間で、僕も顔見知りだったりするんです。

2011年に芸能活動を再開したときには、『週刊文春』で彼女が連載していた対談にも呼んでもらいました。

——慶應では大学院にも進まれますね。

大学の教員になりたいと思ったんです。なぜかと言ったら、ラクしたいから。週に3~4コマの授業を持てばそれで終わり、と思って。

——人生をマーケティングして設計図を描いている感じですね。

でも、いろいろあって大学の教員にはなれず、1977年から慶應義塾高校の漢文の教員になりました。

ただし、なるべく担任は持たないし、クラブの顧問も引き受けない。学校の行事にはほとんど参加していませんからね。

——若手教師にそんなこと、なかなか許されないと思いますが……。

あの頃は、結婚して子育てをしていましたから、そんな暇はない(笑)。僕がバギーを押して公園なんかに行くと、他のお母さんから「あの人、何なの?」という目で見られる時代でした。

でも、妻も仕事を持っていたので、公園の帰り道に食材の買い出しをして、ご飯を作り、子どもを風呂に入れ、ってやっていました。

櫻井翔くんは、僕が作った中国語の教科書で勉強を

——1980年代初めに、いまでは当たり前の“イクメン”をやっていたんですね。

しかも、男の子2人ですからね。

それに加えて、週1回、駿台予備校で漢文を教えていたので、ほんとうに忙しかったんです。授業の準備もたいへんで。でも、予備校で教えたことで、授業のやり方がようやくわかってきた気がします。合格を目指して生徒も真剣だから、こちらも真剣でした。

——そんな努力の甲斐もあって、慶應高校では漢文だけでなく、第2外国語の中国語も教え始めたら、たいへんな人気になったそうですね。

中国語を教えたくて、中国に留学したり、中国語を教える免許をとるために別の大学に2年間、週1回通って単位をとりました。

第2外国語はドイツ語、フランス語に人気があって、中国語選択は最初1クラスに満たない人数だったんです。でも、クラス数がみるみる増えていったので、軒先を貸して母屋をとられた気分になった他の語学の先生からは嫉妬されました。

高校生向けに、文法より発音を重視した教科書をオリジナルで作ったら、生徒たちに評判が良くて。大学の先生からも嫉妬されました。

おかげで大学には戻れなくなりました。

——教え子にはどんな方がいらっしゃいますか?

『ねらわれた学園』で薬師丸ひろ子と共演した高柳良一くんや「ザ・スパイダース」のかまやつひろしさんの息子の釜萢(かまやつ)太郎くんは教え子です。釜萢くんはウエスタン・カーニバルの楽屋で見かけていたから、すぐにわかりました。

——「嵐」の桜井翔さんも教え子ですか?

彼も中国語選択でした。慶應高校は1学年12クラスで、桜井くんは3年A組。そのクラスの担当は中国人の先生だったから、僕が彼を直接教えたことはないけれど、「人見先生の教科書を使って、中国語の勉強をしました」と言っているようですね。

——そんな教師としての日々を過ごしていた2008年10月、慶應義塾高校の日吉祭に、「ザ・タイガース」元マネジャーの中井国二さんが訪ねて来るんですね。

僕が不在だったので、部長をしていた奇術部の生徒に名刺を託していったんです。「人見先生に渡してほしい」って。

受け取った名刺の裏には「Telください」と書いてありました。

僕は大学に入った年に加橋と会ったくらいで、芸能界の知り合いの誰とも連絡を絶っていたかったから、中井さんも高校に直接来るしか方法がなかったんでしょう。

1971年に「ザ・タイガース」解散コンサートの打ち上げの席で別れて以来ですからね。「中井さん、突然どうしたのかな?」と気になって電話してみたら、言われたのが「もうそろそろ会わないか」という誘いでした。

瞳みのるさん Profile

瞳みのる●ひとみ・みのる
1946年、京都府生まれ。ザ・タイガースのドラマーとして67年にデビュー。71年のグループ解散後は、高校復学を経て慶應義塾大学文学部中国文学科へ。修士課程へ進み、教員免許を取得する。その後、慶應義塾高等学校教諭として中国語・漢文を担当し、2010年に退職。11年からはミュージシャンとしての活動を再開し、瞳みのる&二十二世紀バンドなどで精力的に活動中。
瞳みのるオフィシャルサイト
瞳みのるオフィシャルブログ

瞳みのるさんのターニングポイント③
ザ・タイガース解散後、わずか1年間の受験勉強で慶應に合格。「タイガースでやっていた仕事量を勉強に振り向ければ同じことだ」と、なぜか沢田が言っていたらしい——が、その通りかもしれない。

撮影/柴田和宣(主婦の友社)

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