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「めっちゃええ」“感覚的な言葉えらび”でも視聴者からは絶賛…ミルクボーイ駒場のM-1審査コメントが「推し活時代」に支持された納得のワケ

  • 2026.1.15
2025年M-1グランプリ審査員を務めたお笑い芸人・ミルクボーイ駒場孝さん(時事)。

お笑い賞レースの審査員は、難しい役割だ。今見たネタにすぐ点数や優劣をつけなければならない。コメントも要求される。しかも、審査対象は統一的な評価基準が未だない「お笑い」だ。

そんな審査員は、SNS上で批判の的にもなりやすい。大会終了後に噴き出す違和感、不満。「叩かれることまで含めて仕事だ」と冷静に語る審査員経験者もいる。

たくろうの優勝で幕を閉じた2025年の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)もまた、審査員に注目があたった大会だった。ただ、目立ったのは炎上ではない。むしろSNSを中心に称賛の声を集めた審査員がいた。

ミルクボーイの駒場孝である。なぜ、駒場の言葉は多くの人に届いたのだろうか。その理由は、あえて同時代的な表現を使えば、「推し」の魅力を「言語化」する手つきが際立っていた点にあると思う。別の角度から言えば、M-1が演出する漫才師たちの「物語」との距離感が絶妙だった。


印象を残した「めっちゃええ」という感覚的な言葉

トップバッターを飾った「ヤーレンズ」(「M-1グランプリ」公式Xより)。

駒場の審査で印象に残ったのは、コメントの多くが「めっちゃええ」で始まっていた点だ。たとえば、1組目のヤーレンズへの講評は、次の言葉で切り出された。

「いや、めっちゃええと思いました。2023年の(決勝時の)しょうもなさがよみがえってきてた感じがして、ヤーレンズが初登場したときのしょうもなさがホンマによみがえった感じがして」

今回、駒場がコメントを振られたのは10組中5組。そのうち4組が、「めっちゃええ」に類する言葉から語り始められている。駒場が「めっちゃええ」と言うと観客から笑いが起こり、半ばギャグのようにもなっていた。張り詰めた会場の緊張が、審査員らしからぬ素朴で感覚的な語彙によってほどけ、笑いへと転じたようにも映る。

それにしても、この「めっちゃええ」という表現はとても感覚的だ。あいまいで主観的、とも言える。一方で、そうした言葉選びは批判の対象にもなりかねない。実際、過去にSNS上で批判されたお笑い賞レースの審査員は、「感覚的」「あいまい」「主観的」などとフレーミングされることが多かった。「めっちゃええ」は日常的な関西弁である分、そうした印象を余計に強めかねない。

感覚と分析を自在に行き来する表現の妙

ファーストラウンド9組目に登場した「豪快キャプテン」(「M-1グランプリ」公式Xより)。

では、駒場も同じように叩かれたのか。答えは否である。むしろ称賛された。なぜなら、「めっちゃええ」と感じた理由を、駒場はすぐに分析的な言葉で説明していたからだ。

たとえば、9組目の豪快キャプテン。小さいカバンを渡そうとするボケ役に対し、短気なツッコミ役が「いらん」と拒み続ける。そのうち話題は「パンパンなポケット」の話にズレていき――というネタだった。96点をつけた駒場は、冒頭で「ホンマにめちゃめちゃええです」と述べた上で、次のように続けた。

「漫才って、全部そうかもしれないですけど、聞いたほうがええ話と、聞かんでええ話とあると思うんですけど、ホンマに聞かんでええ話なんですよ、豪快キャプテンって。でも、聞かんでええ話を聞いてみたらめちゃくちゃおもろかったっていう、この……なんやろう、だから逆にあんま誰もやってないテーマになっていってるっていうのも、実はすごいことやってて。ちっちゃいカバンで漫才1個やってるの、他に見たことないし」

少し長めのコメント。言い淀みもある。しかし、内容は分析的で明快だ。漫才には「聞いたほうがええ話」と「聞かんでええ話」があり、豪快キャプテンは後者を扱っている。そのうえで、そんな「聞かんでええ話」で観客を楽しませる点にこそ彼らの魅力と独自性がある、と。

コメントの締め方も象徴的だった。

「大阪でも、めちゃくちゃウケてるときと、めちゃくちゃウケてないときあるんで。でも、その0か100かっていう具合が豪快キャプテンのめちゃくちゃいいところやと思うので。僕はホンマに大好きです」

10組の漫才師たちが激闘を繰り広げた(「M-1グランプリ」公式Xより)。

前提にあるのは「めっちゃええ」という感覚だ。その感覚を構造的な理由へと分解し、観客や視聴者に説明する。そして最後は「大好き」という感覚に改めて着地させる――。今回の駒場の講評は、ほぼ一貫してこの型を取っていた。感覚的な言葉と分析的な言葉を往復する語り口は、ミルクボーイの漫才にも通じる「行ったり来たり」のリズムを帯びている。

この手つきはある意味で、「推し」の魅力を「言語化」する行為とも重なる。

SNS時代、私たちは何かを「推す」だけでなく、その魅力を「言語化」する能力まで求められる。だが、言葉にしきれないからこそ尊いという感情を伴う「推す」行為と、そんなパッションの奔流から距離をとる「言語化」は、本来別の方向を向いている。「推し」の魅力の「言語化」を迫る社会は、感情をもつことも説明することもどちらもうまくやれと要求する社会でもある。

そうした息苦しさが共有される時代だからこそ、素朴で感覚的な言葉と、舞台経験に裏打ちされた分析的な言葉を往復する駒場のコメントは、多くの共感を集めたのだろう。積極的に笑いを取りにいくのではなく、やや長く、つっかえがちな語りは必ずしも「テレビ的」ではない。しかし、そこから滲み出る駒場の誠実な人柄も、称賛を集めた理由だったのかもしれない。

結果だけでなく、そこに至る物語を見逃さなかった「たくろう」への言葉

優勝した「たくろう」はファーストラウンド7組目に登場し、高得点を叩き出し最終決戦へ進出(「M-1グランプリ」公式Xより)。

さて、M-1を語る上で、「物語」との付き合い方は避けて通れない。M-1はある時期から、漫才師たちの歩みや背景を強く前面に押し出してきた。努力、苦節、挫折、再起、そして涙――。定型的でわかりやすいプロットは大会を盛り上げる一方で、漫才師を消費するメディアのサイクルを加速させている側面も否めない。物語に魅了された私たちは、新しい物語、新しい主人公、新しい敗者を次々と求め続けてしまう。

駒場もまた、審査のなかで漫才師の物語に触れる機会が多かった。感覚的な言葉と分析的な言葉の対比でいえば、物語は前者に近いだろう。

ただし、駒場のコメントは物語の確認にとどまらない。象徴的なのが、優勝したたくろうへの講評だ。

たくろうは、結成2年目でM-1準決勝に進出するなど、早くから注目されてきたコンビである。しかし、その後は準決勝にすら届かない時期が長く続いた。では、なぜ今回大きく躍進したのか。駒場はその理由を的確に言語化している。

「(たくろうは)だいぶ前に準決勝とか上がって、そっからなかなか、いつでも(決勝に)上がるやろうって言われてたのに上がれずに、7年ぐらいずっとしんどい思いしてたときもずっと作ってて、その間も赤木くんのおどおどした挙動不審なキャラクターの漫才はあったんですけど、今回のは挙動不審にさせられてるから、挙動不審になる意味があったと思うんです。今までも挙動不審ではあったんですけど、勝手に挙動不審になってた」

ドキュメンタリー番組「M-1グランプリ2025 アナザーストーリー」(テレビ朝日系)では「たくろう」の苦悩の日々が放送された(「M-1グランプリ」公式Xより)。

今回のたくろうの1本目のネタは、リングアナを一緒にやりたいというツッコミ役・きむらバンドのフリによって、ボケ役の赤木裕が追い込まれ挙動不審に陥る構造がとられていた。しかし、以前の彼らのネタは逆だった。きむらに対し、赤木が一方的におどおどと働きかける形が多かった。駒場はこの点をふまえ、赤木は以前から挙動不審なキャラクターではあったが、今回は挙動不審に陥る必然性がネタの構造に組み込まれていたと指摘する。赤木が挙動不審になる理由が観客に共有されたからこそ、笑いが爆発したのだ、と。

その上で、駒場はコメントを次の言葉で締めくくった。

「やってたからこそ、いいのが出たなっていう。7年間やってたからこそっていうのは思いました」

物語と付かず離れずの絶妙な距離感

第21代王者に輝いた「たくろう」(「M-1グランプリ」公式Xより)。

駒場は漫才師としてのたくろうの物語と今回のネタを重ねあわせながら、分析的な手つきでネタのおもしろさの核である「意味のある挙動不審」を剔出する。ネタの構造を示し、「だからおもしろい」と観客や視聴者に説明する。その上で改めて、たくろうのしんどい7年間に触れる。分析的に取り出したたくろうの可能性の中心を、現在のスタイルに至るまでの7年間の物語の上に、もう一度乗せ直しているのだ。

物語的なコメントと分析的なコメントを往復する語り口。ここでも、その「行ったり来たり」が際立つ。感覚的で物語的な言葉に耽溺するのではなく、分析的な言葉で事象を切り捨てるのでもない。駒場は審査員として、冷静さと共感を併せ持つ説得を紡いでいく。物語と付かず離れずのその距離感は、やはり絶妙と言わざるを得ない。披露されたネタの優劣を斬るだけでなく、そこに至るまでの試行錯誤のプロセスにも目を向ける姿勢は、個々の漫才師に対する応答責任を引き受ける、ケア的な語りとも読めるだろう。

「ミルクボーイ」は2019年のM-1グランプリで見事優勝(時事通信フォト)。

2025年のM-1のコピーは「漫才万歳」だった。漫才の起源ともされる「万歳」に立ち返りつつ、すべての人の人生そのものを「万歳」と笑って讃えあう――そんな二重の意味が込められていたようだ。

そう考えると、多くの笑いを生み、多幸感に満ちた大会となった昨年のM-1は、「漫才万歳」という言葉にふさわしい。決勝に進んだ10組の漫才師はいずれも、「漫才万歳」の最大の立役者でありつつ、同時に最も祝福されるべき主役だった。

その上で付け加えるならば、審査員席に座った駒場もまた、「漫才万歳」を支えた重要な立役者の1人だったと言えるだろう。もっとも、駒場自身は祝福の中心に立つ存在ではない。彼は自らが主人公になるためではなく、「推し」である10組の漫才師、さらにはM-1そのものを主人公に据えるための「言語化」に徹していたのだから。

文=飲用てれび

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