1. トップ
  2. 大槻ケンヂが自身の青春と重ねて振り返る映画『五十年目の俺たちの旅』から滲み出るやさしさと切なさ

大槻ケンヂが自身の青春と重ねて振り返る映画『五十年目の俺たちの旅』から滲み出るやさしさと切なさ

  • 2026.1.8

名作ドラマ「俺たちの旅」が放送50年を記念して初めて映画化された『五十年目の俺たちの旅』が1月9日(金)に公開を迎える。主人公たちの人生を節目ごとにスペシャルドラマとして描いてきたシリーズ約20年ぶりの続編は、主演の中村雅俊が映画初監督を務めている。企画・脚本はドラマシリーズを長年支えてきた鎌田敏夫が担当。主題歌「俺たちの旅」も中村自身が歌っている。

【写真を見る】ファンには懐かしすぎる‥!坂道でボールを投げ合うシーンの再現も

「3人が並ぶだけでいい!」と大槻ケンヂも大満足! [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
「3人が並ぶだけでいい!」と大槻ケンヂも大満足! [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会

カースケこと津村浩介と、大学時代の同級生のオメダこと神崎隆夫、カースケの小学校の先輩でグズ六こと熊沢伸六の3人は70代を迎え、すでに50年以上の付き合いとなっていた。カースケは小さな町工場を経営し、オメダは鳥取県の米子市長、グズ六は介護施設の理事長として、それぞれ平穏な日々を過ごしていた。ある日、カースケは、20年前に病死した元恋人・洋子が生きているという驚きの情報をグズ六から聞かされる。

カースケ役の中村、グズ六役の秋野太作、オメダ役の田中健、さらにオメダの妹の真弓役岡田奈々ら50年前のオリジナルキャストが再集結。過去作の映像もふんだんに使用され、3人が歩んできた50年の人生を振り返る構成となっている。MOVIE WALKER PRESSでは、ドラマシリーズを再放送で楽しんでいたという、ロックミュージシャンで作家としても活躍する大槻ケンヂに、ファン目線の魅力やシリーズ初の映画となった本作の注目ポイントについて、思い出を交えてたっぷりと語ってもらった。

「観返して『めまい』が流れた話数を見つけた時は、すごくうれしかったです」

自身の思い出と重ね「俺たちの旅」への想いを懐かしそうに語った大槻 撮影/木村篤史
自身の思い出と重ね「俺たちの旅」への想いを懐かしそうに語った大槻 撮影/木村篤史

「俺たちの旅」シリーズとの出会いは、学生時代に観たドラマの再放送だった。「中学生か高校生だったかな…。夕方4時から5時までは日テレでドラマの再放送をやっていました。『俺たちの旅』から始まった『俺たちの朝』『俺たちの祭』といった『俺たち』シリーズ。その前には『俺たちの勲章』という刑事ドラマもあって。もちろん中村雅俊さん主演の『ゆうひが丘の総理大臣』とかもその枠でやっていましたし、『傷だらけの天使』や『俺たちは天使だ!』など名作が再放送されていたころで、中高生時代は学校から帰るとそれを観るのが僕の楽しみでした」。

ドラマ「俺たちの旅」を初めて観た時の感想は「“お兄さんたちの物語”という印象」だったと懐かしむ。「自分が中高生時代に主人公のカースケたちが大学生かそれより上の人たちだったので、少し年上のお兄さんたちの物語という印象でした。オープニングでカースケが噴水に入るシーンが新宿・歌舞伎町のコマ劇前と知った時はなんだか身近に感じて。僕は中野出身なので、物語の舞台である吉祥寺という街は、そんなに行かなくて馴染みもあまりないんです。でも、西武新宿線を使っていたので歌舞伎町にはよく行っていて。『ここから(カースケが)出てくるんだ…』とワクワクしたのを覚えています」と笑顔を見せた大槻が、ドラマで引き込まれたのは主題歌の「俺たちの旅」を作詞・作曲している小椋佳のとある楽曲だった。

1975年10月に連続ドラマとして始まった「俺たちの旅」。若者たちを熱狂させ、放送後も10年ごとに3本のスペシャルドラマが制作された [c]ユニオン映画
1975年10月に連続ドラマとして始まった「俺たちの旅」。若者たちを熱狂させ、放送後も10年ごとに3本のスペシャルドラマが制作された [c]ユニオン映画

「小学生か中学生のころに生まれて初めて買ってもらったLPが小椋佳さんの『遠ざかる風景』という2枚組のライブアルバムでした。これが本当に大好きでよく聴いていたので、主題歌はもちろん、エンディングで流れる『ただお前がいい』も大好きだったし、たまに『少しは私に愛を下さい』が流れてくると『小椋佳だ!』なんて思って、親しみを持って聴き入っていました。『めまい』という大好きな楽曲があるのですが、これは確か劇中で1回しか流れなかったと思うんです。僕が生まれて初めてすごく好きになった楽曲。(スペシャルドラマを含む)全49話でたった1回流れて、すごく印象に残っていたので、先日観返して『めまい』が流れた話数を見つけた時は、すごくうれしかったです」。

70代を迎えた、カースケ、グズ六、オメダの3人が選ぶ道とは? [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
70代を迎えた、カースケ、グズ六、オメダの3人が選ぶ道とは? [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会

「昭和の街並みだけでご飯何杯もイケる感じです(笑)」

初めて買ってもらったLPは小椋佳のライブアルバムだったそう 撮影/木村篤史
初めて買ってもらったLPは小椋佳のライブアルバムだったそう 撮影/木村篤史

カースケ、オメダ、グズ六をはじめ、個性的なキャラクターたちが物語を彩っている。大槻のお気に入りキャラクターのひとりは森川正太が演じていた東大志望の浪人生、ワカメこと大造だそう。「ワカメが着ていた、かいまきの布団のような、ねんねこばんてんみたいな服…って言っていいのかな(笑)。昭和の学生って本当にああいうのを着ていたんです。実は僕の実家では学生さんに部屋を貸していたので、リアル“俺たちの旅”っぽいものを目にする機会があって。僕のいとこや、早稲田や國學院の学生さんが住んでいて、ワカメのような格好をしていました。ドラマを観返して、すごく懐かしかったです。ワカメ役の森川さんもそうですが、いまは亡き役者さんもいっぱいでてきたし、東京に限らず、昭和の街並みを見るだけでもたまらないですよね。僕は、昭和の街並みだけでご飯何杯もイケる感じです(笑)」と昭和の要素を存分に堪能したようだ。

オメダの母を演じたのは、名優として知られる八千草薫 [c]ユニオン映画
オメダの母を演じたのは、名優として知られる八千草薫 [c]ユニオン映画

映画には過去の映像がふんだんに使用されている。「八千草薫さんが出て来た時は、『やっぱいいよなぁ』と思いました」とうっとりの大槻。今回の映画版で大槻の心をつかんだのは、この過去のシーンも含めたドラマの作り方だと熱弁する。

「最初はサスペンスな感じで始まるじゃないですか。でも、それがひと通り終わると『俺たちの旅』が流れて、当時のテレビドラマと同じように始まる。まず、ここがすばらしい!と思って。テレビドラマの映画化となると、みんな気合いを入れて過去のドラマと同じにしないものが多いですよね。過去のドラマの主題歌も違うアレンジで劇中にうっすらかかるだけ、みたいなものもあります。僕はそういうのはやめてほしいと思っていて。過去のドラマを観ていた人が観るのだから、当時のとおりにやってほしいって思うんです。今回の映画はドラマを観ていた人たちが『そうそう、これこれ!』となる作りになっていたので、そこがすごくよかったです。これが観たいんだよ!っていうね。カースケ、グズ六、オメダの3人が坂道でボール遊びをするシーンとか、本当に当時のまま。ああいうのがうれしいんです。歳をとっている3人の感じもすごくいいしね」と大満足といった様子で、映画の構成を絶賛する。

【写真を見る】ファンには懐かしすぎる‥!坂道でボールを投げ合うシーンの再現も [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
【写真を見る】ファンには懐かしすぎる‥!坂道でボールを投げ合うシーンの再現も [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会

今回監督を務めたカースケ役の中村をはじめ、グズ六役の秋野、オメダ役の田中、3人のバランス感のよさを映画の見どころのひとつとして挙げる。「中村さんはなにも変わっていない。やっぱりスターだなと改めて思いました。コメディリリーフを務める秋野さんのちょっとトゥーマッチなふざけ具合とかも変わらなくてよかったし、ものすごく貫禄がついた田中さんもすごくよかった。50年経っても3人のバランスがすごくよく取れていますよね。よく見れば変化はあるけれど、やっぱり50年経っても変わらないって感じられるような3人のバランスが本当にすばらしかったです。僕はこのシリーズは3人が集まってわちゃわちゃしていればそれでいいと思っているし、それが観たいんです!3人のアドリブと悪ふざけに近いコミカルな演技、あれがたまらなく好きで。役割も変えず、ドラマのよさをそのまま映画にしてくれて本当に感謝です」。

さらに、「映画とは直接関係ないけれど…」と前置きした大槻は、自身の思い出話のひとつを披露した。「実は、中村さんの娘さん(中村里砂)と対談したことがあって。『俺たちの旅』や『ゆうひが丘の総理大臣』も夢中で観ていて…と熱弁したんです。でもお父さんが出演した作品はあまり観たことがないとおっしゃって。僕が熱く話す様子にポカンとされていました(笑)。そんな娘さんを前に、ドラマの説明をし、テーマ曲まで歌ったりもして。その時に思ったのは、中村さんくらいのスターになると、たとえこんなにすごい名作に出ていたとしても、出演作の話をいちいち言わないんだなと(笑)。そういうところもかっこいい!と思ったのを覚えています」と教えてくれた。

カースケ役の中村とオメダ役の田中健 [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
カースケ役の中村とオメダ役の田中健 [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会

そして、大槻は映画で感じたシリーズファンへの“やさしさ”について語り始める。「普通は過去シーンを流す時は1回ですよね。でも映画では同じ過去シーンが2回くらい映るところがあります。あれがやさしい!若いころの記憶というのは多少混濁していくのが人間というもの。カオスになっていきますよね。映画では、2回同じ過去シーンを入れることで、過去の記憶がいつのものだったかをきちんと視覚化、可視化してくれている。これは中村さんのやさしさです!」と喜びを露わにする。

映画化に際して、過去シーンを入れ込むこと、相当な尺を使うこと、そして画角もテレビサイズの4:3でやることは、中村監督のこだわりポイントだ。「過去シーンを使うことで、70年代のアメリカン・ニューシネマやそれよりちょっと前のヌーヴェル・ヴァーグ的なものを感じたりもして。僕はアメリカン・ニューシネマもヌーヴェル・ヴァーグも完全に後追い世代だけど、中村さん世代だとそういう意識もあるのかな、なんて思ったりもしました」。

オメダの妹の真弓役の岡田奈々も登場 [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
オメダの妹の真弓役の岡田奈々も登場 [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会

「僕の青春をひと言でいうなら、やっぱりバンドかな」

シリーズスタートから50年を経た主人公たちのいまが描かれてる『五十年目の俺たちの旅』は1月9日(金)公開 [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
シリーズスタートから50年を経た主人公たちのいまが描かれてる『五十年目の俺たちの旅』は1月9日(金)公開 [c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会

企画・脚本の鎌田は、「俺たちの旅、このドラマを貫いているのは、生きていくことの切なさです」とコメントしているが、大槻が本作のどのようなところに切なさを感じているのだろうか。「洋子もワカメもいないことが本当に切なく感じるし、喪失感もあります。でも逆に、年齢を重ねたとは思えない岡田さんがそこにいることにはうれしさを感じるし、すごいという感想も持ちます」と深く頷きながら答える。「やっぱりこの時代の俳優さんにしかない雰囲気や個性というのがあって…」と話した大槻は、「欲を言えば、シリーズに登場していた桃井かおりさんや檀ふみさんも映画で観たかったし、ドラマでの玉三郎役の石橋正次のシーンは大好きなので、もっと長く登場してほしかったなあ」とシリーズファンならではの希望も口にしていた。

ドラマの聖地・吉祥寺に足を運ぶことはなかったという大槻だが、劇中に登場する神田川沿いにある「いろは食堂」のロケ地には興味があったという。「リアルタイムで観ていたのは『ゆうひが丘の総理大臣』だったのですが、この作品に登場する食堂も同じロケ地だったので、学校が終わったらみんなで自転車で見に行こうって話もしていた記憶があります」と懐かしそうに振り返る。

ドラマのよさがそのまま映画になったのがうれしいと語った大槻ケンヂ 撮影/木村篤史
ドラマのよさがそのまま映画になったのがうれしいと語った大槻ケンヂ 撮影/木村篤史

カースケ、オメダ、グズ六の3人は、昭和の青春を象徴しているが、大槻にとっての青春の象徴、自身の青春とはどのようなものなのだろうか。「深夜放送と名画座と古本屋巡り、あとバンド。僕は暗い若者だったと思います(笑)。高校のころは猛烈に屈折していたので、学校では友達と打ち解けなくて。勉強も運動もできなかったので、校内ではダメダメくんでした。家に帰ってチャリンコに乗って家の近所をグルグルして…。あとは古本屋を巡って、名画座で映画を観て帰って来て、深夜放送を聴いて1日が終わるという感じ。それが平日の過ごし方で、高校生になると土日はバンドが入るようになって。いまにしてみると、充実していたような気もしますが、中学のころも学校が大嫌いで、学校が終わると家に帰って、自分でチャーハンを作って、夕方4時から5時は『俺たちの旅』を観るというのが日々の過ごし方だったかな。バンドを始めたのは中学3年生のころで、ライブハウスに出たのは高校1年生でした。僕の青春をひと言でいうなら、やっぱりバンドかな」。

ちなみに、名画座巡りで観ていた映画について尋ねると、“暗め”の作品が多かったと微笑む。「暗めの映画を観て悶々とする青春時代でしたよね。ジョン・ボイトとダスティン・ホフマン共演の『真夜中のカーボーイ』(69)はとても思い出深い作品です。邦画だとジュリー(沢田研二)さんが出ていた『太陽を盗んだ男』(79)も好きだったし、SFチックな暴走族の映画『狂い咲きサンダーロード』(80)も印象深いです。名画座はゾンビものの上映が多かったので、ホラー映画だと『悪魔のいけにえ』(84)も好きでした。本当になんでも観てやろうみたいに思っていた時代で、インディーズで字幕もない海外直輸入の映画の上映会とかも一人で観に行ったり。よく行っていたのは中野名画座。いまはもうなくなってしまったけれど、黒板の大きさくらいのスクリーンで。『燃えよドラゴン』(73)を観に行った時に、前の席にアフロの人がいて、ほとんどスクリーンが見えなかったのを覚えています。暗い青春時代だと思っていましたが、こうやって話してみると、いい思い出がたくさんある気がしてきました(笑)」。

取材・文/タナカシノブ

元記事で読む
の記事をもっとみる