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海外でレストランを成功させた“世界のNOBU”。挫折を家族と乗り越えたシェフ人生【松久信幸さんのフィロソフィー vol.2】

  • 2026.1.1

五大陸の全てに、自らの名を掲げたレストランを約70軒展開し、セレブリティを含む多くのファンを有する世界的シェフ、松久信幸さん。文化の違いを超えて各地で愛され続けるシグネチャーディッシュの数々は、正統な日本料理の本質を踏まえた創意にあふれる美味なクリエイションです。パイオニアとして尊敬を、成功者として称賛を集めてなお、「料理はハート」という真摯なポリシーを日々全身で体現。その万丈のライフストーリーから紡ぎ出されたリアルな人生哲学を、3回にわたってお届けします。第2回は、松下さんがアラスカで経験した挫折、それを共に乗り越えた家族の存在に焦点を当てます。

松久信幸さん。 Hiroaki Ishii

絶望を乗り越えたグローバルな寿司職人

<strong>Black Cod with Miso</strong> <strong>ブラックコッドの味噌焼き<br></strong>NOBUを代表する一品。マツヒサ開店当初、予算のないなかで安く買えた銀だらを、独自に味を調合した味噌ダレに漬けて3日。味が染みておいしくなったタイミングに、初めて来店したのがデ・ニーロだった。出したところ、大のお気に入りになり、メディアでも大きく取り上げられるように。西京漬けをノブさんの味でアレンジした甘く柔らかなこのレシピは、中東やアフリカにも広がり、NOBU以外でも食べられるグローバルな定番に。¥6,000[サ別] Hiroaki Ishii

“寿司ブームを起こし、日本料理の高級レストランを海外で成功させたパイオニア”。そんな輝かしさからは意外なほど、気さくな率直さと人間的な温かさを言葉の端々に滲ませます。大きなハートを持つ人物の例に違わず、その人生には乗り越えてきた大きな苦難が多々ありました。

「逃げようと思ったことは僕にもあります。実際に逃げもした。しかし逃げたとしても、全ての苦しさから離れられるわけじゃないんです」

ペルー時代から苦楽を共にしてきた妻・洋子さんと。 Hearst Owned

幼少期、よく眺めていたのは、急逝したお父さまが材木の買い付けでパラオを訪れたときの写真でした。海外で働くことに憧れ、やがて寿司職人に感銘し、生涯の仕事を見つけます。17歳で見習い職人に。ペルーの事業家の誘いを受け、23歳で首都リマに寿司屋を開業するも、食材に妥協を強いる共同経営者と衝突し、店を去ることに。ひらめきから作ったレシピが評判を呼ぶなど、料理人の力は認められながら、先行きの見えない時期が続きます。日本にいったん帰国後、一念発起で資金を工面し、今度はアラスカで日本料理店を開業。順調な客足に安心し、開店50日目で初めて休んだその日、火災によって全てを失いました。

娘・純子さん夫妻と。NOBUもあるクリスタルクルーズの船で、北欧を巡った際の家族写真。 Hearst Owned

「あの気持ちは今も覚えてます。自殺する寸前までいきました。とどまったのは、家族のおかげです。どう死のうかと考えていた僕の隣で、小さな娘たちが騒ぎ始めたんです。その叫び声に『あ、俺には子どもがいる』と気付いた。周りを見る余裕を失っていたけど、女房もそばにいてくれた…。今は孫が騒いでます(笑)。もう感謝しかない。家族をいっぱい幸せにしてあげたいです」

ロサンゼルスに場を移し、寿司職人として働き続け、40歳手前でマツヒサを創業します。夫婦で切り盛りできる、寿司カウンターを備えた38席という規模の店でした。

「苦しいときは、神様が与えてくれた宿題なんだと思います。解けない宿題はない。宿題ならやらなきゃならない。大事なのは、今後どう生きるかです。自分の生きてきたことに納得できるかどうか。料理も同じです。料理人として料理に心を入れて作るのは当たり前ですが、それは単においしいだけではありません。心をちゃんと入れた料理を作る。そうでなければ、お客さまも納得してくれないと思っています」

【松久信幸、チャレンジと成功の軌跡】

1949 埼玉県の材木商の三男として誕生。

1956 交通事故により、父を亡くす。

1963 兄に連れられた寿司屋で感銘を受け、寿司職人になると決心。

1966 新宿「松栄鮨」で寿司職人見習いに。

1972 結婚後、ペルーへ。「ペルー リマ 松栄鮨」を開店し、人気を博す。

1975 退職。アルゼンチンへ渡り、ブエノスアイレスの日本料理店で働く。

1976 一家で帰国。日本料理店や寿司屋で働き、生計を立てる。

1977 アラスカへ移住し、日本料理店「紀尾井」をオープン。開店50日目に火災で全焼。

1978 一家で帰国後1週間で、単身ロサンゼルスへ。寿司職人として働き、オリジナル料理を考案。行列ができるほど評判に。

1987 ビバリーヒルズに「マツヒサ」開店。新鮮な食材の「おまかせ」スタイルで人気店に。

1993 ニューヨーク・タイムズ紙の世界トップ10レストランに「マツヒサ」が選ばれる。

1994 ロバート・デ・ニーロらとの共同経営で、「NOBUニューヨーク」開店。

1995 映画『カジノ』に出演。(2002年には映画『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』にも)

1998 「NOBUトウキョウ」開店。

2000 ジョルジオ・アルマーニと「NOBUミラノ」開店。

2005〜2009 ダラス、ロンドン、香港、ワイキキ、メルボルン、サンディエゴ、ドバイ、ケープタウン、モスクワなどでNOBUの開店が続く。

2013 ラスベガスに初の「NOBUホテル」オープン。

2021 ファッションと食のプロジェクト「Sushi Club」始動。

2024 ゴールデングローブ賞授賞式のディナーを担当。旭日双光章受章。ドキュメンタリー映画『NOBU』が世界初公開。(翌年、米国で配信開始)

2025 Sushi Clubとナイキとのコラボレーションスニーカー「Sushi Force One」発表。58軒目のNOBUがローマに誕生。

「NOBU TOKYO」
所在地/東京都港区虎ノ門4-1-28 虎ノ門タワーズオフィス1F
営業日/ランチ〈平日〉11:30~13:45(L.O.)〈土・日曜日、祝日〉12:00~14:00(L.O.) ディナー 18:00~21:00(ドアクローズ)
定休日/不定休
料金/ランチコース¥6,800、¥12,800 ディナーコース¥14,000、¥18,000、¥28,000
※[全てサ別]。アラカルトもあり。
TEL/050-3145-0011
URL/noburestaurants.com

初出:リシェスNo.54 2025年11月28日発売
PHOTOGRAPHS:HIROAKI ISHII
INTERVIEW:MAYUMI YAWATAYA
EDITING:YUKO KAMIYAMA

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