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人生一度は訪れたい伊勢神宮  Premium Japanがおすすめする参拝とは?

  • 2026.1.1

永遠の聖地、伊勢神宮を巡る

伊勢神宮12月
内宮のお参りは宇治橋から。五十鈴川を渡る前に、まず1礼。この鳥居は外宮の旧御正殿の棟持柱を用いている。

今年、2025年の1月から始まった当連載も、いよいよ最終回。これまでさまざまな視点で、ときに式年遷宮のおまつりに触れながら伊勢の神宮について紹介してきた。今回はその締めくくりとして、ちょっとツウなお伊勢参りを提案したい。改めて参拝方法について整理し、またお伊勢ファンには人気のある遙宮(とおのみや=伊勢から遠く離れた別宮)の瀧原宮(たきはらのみや)、伊雑宮(いざわのみや)も含めた別宮(べつぐう)にも焦点を当て、ご紹介しよう。

 

お伊勢参りは外宮からはじめる

 

お伊勢参りは、できれば午前中、それも早朝に行いたい。朝一番の生まれたての光に包まれた神域は、すがすがしさや神々しさが一段と際立って感じられる。

まずは、外宮先祭(げくうせんさい=外宮で先におまつりが行われること)のならわしに倣って、皇大神宮(内宮)より先に豊受大神宮(外宮)を参拝。正門の火除橋を渡って、いざ神域へ。頭上を覆う木々の緑と、ところどころに木漏れ日が差し込む豊かな森に包まれた参道を進むごとに、不思議と心が落ち着いてくる。

 

お参りは、参道の左側にある手水舎から始まる。柄杓で掬った水で手と口を清め、日々の暮らしで知らず知らずのうちに身に付いてしまった、目には見えない穢れを流し、清浄にするのだ。身体の外を表す手と、身体の中を表す口、両方を清めることによって、心身の禊を行っていると考えられている。

大木
外宮の御敷地(みしきち=次の式年遷宮で御正殿が造営される場所)に立つ大木。

参道を歩くときに気をつけること

 

外宮の参道は、手水舎が左側にあるため左側通行。右手にある御正宮に対し、遠い側を歩くという敬虔な気持ちを表しているとも言われている。

ちなみに、参道の中央を人が通るのは遠慮した方がよいとされている。

「室町時代の書物『参拝式類聚(さんぱいしきるいじゅう)』にも、参拝作法の心得として、参道の真ん中––––正中(せいちゅう)と言いますが––––を通るときは、慎みの心を持つようにと書かれています。

そもそも参道の正中は、昔は少し高くなっていて、おまつりのときに天皇陛下に代わって、陛下の祈りを捧げる勅使がお通りになる、『置道(おきみち)』と呼ばれる道がありました。ですから、正中は尊いところであり、絶対通ってはいけないというわけではないけれども、通るときは慎みの心が必要だとする考え方が、古くから伝わってきたのでしょう。それが、やがて神様の通り道という信仰的なものに変わっていった。おそらく日本人は、正中には何か特別な、敬虔な気持ちにさせるものがあると、古来感じてきたのだと思います」。

神宮の広報室次長の音羽悟さんは言う。

自然
参道を歩くときは、足元の小さな自然や生き物にも目を向けながら、ゆっくりと。

もっとも、御正宮でのお参りに関しては、

「真ん中でされたいと思われるのは当然ですし、みなさん敬虔な気持ちでお参りされると思いますから、間違ったことではないと私は思います」

外宮の別宮をお参りしよう

 

御正宮のお参りの後は、外宮の別宮である多賀宮(たかのみや)へ。別宮とは、御正宮に対する「わけ(別)のみや(宮) 」という意味で、御正宮に次いで格式が高いとされている。

 

ちなみに、一般の神社でも、「宮」は「社」よりも格上の存在。古くは天皇陛下より、「社」から「宮」への昇格を認める「宮号宣下(きゅうごうせんげ)」が下されて、はじめて「宮」を名乗ることができたという。

特に多賀宮は、外宮の主祭神、豊受大御神の荒御魂(あらみたま=ときに臨んで、格別に顕著な神威をあらわされる御魂のお働きを指す)をお祀りする、外宮第1の位にある別宮。外宮創建と同時にお祀りされ、豊受大御神と御一体の関係にあるとされている。

もとは「高宮(たかのみや) 」と称され、社殿は100段近くある急な階段を登った小高い丘の上にあるが、ぜひお参りしたいお宮である。

空
参道から頭上を見上げる。

外宮の別宮、土宮は、なぜ神宮の中で唯一東を向いているのか

 

多賀宮の下には、やはり外宮の別宮、土宮(つちのみや)と風宮(かぜのみや)が御鎮座。

土宮には、古くは外宮のある山田原の鎮守の神で、外宮創建後は、宮域の地主神になったという神様が祀られている。

 

 

 

 

「土宮の社殿は、神宮の中で唯一東に向いていますが、これは御祭神が東を向いているわけではないんです。よく神様はどちらを向いていらっしゃるんですかと聞かれるのですが、神様は大地に根付いてその土地を守っていらっしゃって、一方向だけでなく全体を見渡していらっしゃるんです。

大事なのは、お祀りする側がどちらの向きに祈りを捧げるかで、土宮の場合は西、つまり宮川の方を向いています。古来宮川水域は肥沃な土地でありながら、氾濫による被害に悩まされていたことから、鎮守の神として、宮川に敬意を表するようにお祀りされたのでしょう」。音羽さんは言う。

 

一方、風宮には、風雨を司る神様がお祀りされている。

 

ちなみに、両宮が別宮に昇格したのは、神宮のなかでは比較的新しく、土宮は大治3年(1128)、風宮は正応6年(1293)のことという。

夜之食国(よるのおすくに)を治める神様をお祀りする外宮の別宮

 

別宮のお参りの後は、北御門(きたみかど)から宮域を出て、そのまま北へ。神路通りという名の道を300mほど歩くと、こんもりした森が見えてくる。外宮の別宮、月夜見宮(つきよみのみや)である。

この別宮の御祭神は、月夜見尊(つきよみのみこと)と月夜見尊の荒御魂(あらみたま)。

大木2
外宮の別宮、月夜見宮にある楠の大木。伊勢市駅からも近いながら、豊かな森が広がる。

『古事記』や『日本書紀』によれば、月夜見尊は、御祖神(みおやがみ)である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が海で禊をされたときに、天照大御神に次いでお生まれになった弟神とされている。このとき右目からお生まれになった姉神、天照大御神は、神々の世界である高天原を、左目からお生まれになった月夜見尊は、夜之食国(よるのおすくに)を治めるよう、伊弉諾尊から委任されたという。

ここまでお参りしてきた別宮の名称に付く「土」、「風」、「月」、そして、内宮にお祀りされている神宮の主祭神、天照大御神の象徴として例えられる「太陽」……。お伊勢参りは、常日頃存在して当たり前だと思っている、さまざまな自然に対する感謝を捧げる行為かもしれないと、ふと思う。

内宮のお参りの前に、内宮の別宮、倭姫宮(やまとひめのみや)と月読宮(つきよみのみや)以下4別宮のお参りを

 

さて、お伊勢参りは外宮から内宮へ。もっとも、その途中には、内宮の別宮である倭姫宮(やまとひめのみや)と、月読宮(つきよみのみや)など4つの別宮が御鎮座している。

 

倭姫宮の御祭神である倭姫命(やまとひめのみこと)は、天照大御神の御鎮座の地を求めて、大和(現在の奈良県)の笠縫邑(かさぬいむら)から、天照大御神の御杖代(みつえしろ=神の杖の代わりとなって奉仕する者)となって各地を巡行されたと伝えられる、第11代垂仁天皇の皇女。

 

その後、天照大御神の御神託により、倭姫命は現在の伊勢の地に御鎮座の地をお定めになったが、功績はそれだけではない。天照大御神へのお供え物である御料や、お米をはじめとする野菜、果物、海産物といった神様のお食事である神饌の内容、さらに、その御料を調達する場所までお定めになったほか、神嘗祭などの祭祀や奉仕者の職掌など、神宮の経営の規模や組織に関わる基礎を確立されたと伝えられている。

大祭
倭姫宮の春の大祭の様子。倭舞や舞楽が奉納される。なお、倭姫宮の創立は、神宮の緒宮社のなかでも格別に新しく、大正10年(1921)。近くには、神宮のおまつりに関する資料や重要文化財を展示する神宮徴古館などもある。

しかも、鎌倉時代初期には『倭姫命世紀(やまとひめのみことせいき) 』が編纂され、倭姫命の巡行地の詳細やその教えが、後世に伝え継がれることとなった。

教えのなかには、たとえば、人の心のなかにはもともと神が存在し(=「心神」 )、その心のなかの神を、汚すことなくそのままに生きる姿(=「正直」 )が理想とされている。だが、日々の生活のさまざまな雑念や私欲によって、穢れはどうしても生じるもの。その穢れを祓によって清め、本来の境地である「清浄(しょうじょう) 」に戻す、というような、参拝の意義について、一般の我々にも参考になる内容も盛り込まれている。

一方、月読宮の御祭神は月読尊。外宮の別宮、月夜見宮の御祭神と漢字こそ違うものの同じ神様で、月の満ち欠けを司るとともに、月齢を読むという解釈から、暦をもたらすと考えられている。

加えて、月読宮の左隣には、月読尊の荒御魂がお祀りされている、月読荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)の社殿。

神域には、ほかにも月読尊の御親神である伊弉諾尊をお祀りする伊佐奈岐(いざなぎの)宮と、その妻(ただし、月読尊がお生まれになったときはすでに他界し、黄泉の国にいた)の伊弉冉尊(いざなみのみこと)をお祀りする伊佐奈弥(いざなみの)宮もあり、4つの社殿が横1列に建ち並んでいる。

なお、ご神名に「尊」が付くのは、『日本書紀』に「至って尊きを尊(みこと)といい、その他を命(みこと)という」の記述に則ってのことだという。

内宮のすがすがしい空気を五感で感じたい

 

内宮のお参りでは、まず宇治橋の鳥居に注目したい。五十鈴川の手前にある鳥居は、外宮の旧御正殿の屋根を支えていた棟持柱(むなもちばしら)。橋を渡り切ったところにある鳥居には、内宮の、やはり旧御正殿の棟持柱が使われている。

 

内宮は、外宮と逆で右側通行。

参道の右手に現れる御手洗場(みたらし)で、俗世の垢を祓った後は、別宮ではないものの、祭祀に関しては別宮に準じて執り行われるという五十鈴川の守り神、瀧祭神をお参りしよう。

 

御正宮をお参りした後は、天照大御神の荒御魂をお祀りする内宮の別宮、荒祭宮(あらまつりのみや)と、風日祈宮(かざひのみのみや)へ。神域のすがすがしさを五感で感じたい。

橋
内宮の別宮、風日祈宮へ向かう際に渡る風日祈宮橋。内宮は右側通行が基本だが、この橋に限り、神職など神宮関係者は左を歩く。
早朝の神域に、清らかな陽の光が降り注ぐ。

お伊勢ファンに人気の高い内宮の別宮で、遙宮(とおのみや)と呼ばれる瀧原宮(たきはらのみや)と伊雑宮(いざわのみや)

 

さらに、お伊勢ファンなら1度はお参りしたいのが、内宮の別宮で、遙宮(とおのみや)とも呼ばれる瀧原宮(たきはらのみや)と伊雑宮(いざわのみや)。ともに天照大御神をお祀りしている。

 

瀧原宮の御鎮座は、約2000年前まで遡る。前述の『倭姫命世紀』によれば、倭姫命が天照大御神の御鎮座の地を求めて、宮川の下流から上流へ向けて進まれたときに、「大河之瀧原国(おおかわのたきはらのくに)」という麗しい土地があり、神殿を造立されたのが起源という。

御手洗場
瀧原宮の宮域にある御手洗場。頓登(とんど)川は、宮川に合流する大内山川の支流。この川を伝って、古くから南方との交通が行われていたという。
瀧原宮の社殿
瀧原宮の社殿。左には、瀧原竝(たきはらのならびの)宮が並んで御鎮座。2宮並べてお祀りするのは、内宮の御正宮で天照大御神を、荒祭宮で天照大御神の荒御魂をお祀りする形態の古い姿とも言われている。

樹齢数百年の杉の大木が立ち並ぶ参道、その脇を流れる頓登(とんど)川の清らかな水と御手洗場。内宮の佇まいを彷彿とさせながらも、お参りする人はさほど多くなく、ゆっくり参拝できるのも魅力である。

 

一方伊雑宮は、伊雑の浦にも近い三重県志摩市に御鎮座する別宮。

天照大御神が伊勢の地に御鎮座された後、倭姫命が天照大御神へのお供え物を採る御贄地(みにえどころ)を定めるために、志摩の国を巡行した際、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が豊かに稔った稲を奉ったことがきっかけで、創建されたという。

現在も、当宮の御田植式は有名で、千葉の香取神宮、大阪の住吉大社とともに、日本3大御田植祭の1つに数えられ、国の無形文化財に指定されている。

古木
伊雑宮の宮域にある古木。さほど広くはないが、風格があるお宮。
御田
伊雑宮の御田植式は、「おみた」とも呼ばれ、郷土色豊かな内容。褌(ふんどし)1つの青年たちによる竹取の神事が終わった後、太鼓やササラ、笛などが奏でる田楽の調べに合わせて、早乙女が田植えを行う。

そもそも志摩の国は、『古事記』にも「島の速贄(はやにえ=志摩から朝廷に納められる初物の海産物) 」として登場するなど、古くから御食都国(みけつくに)として知られた地。神宮でも、この地の鮑を神嘗祭などの三節祭でお供えするよう、延暦23年(804)編纂の『皇太神宮儀式帳』で指定されているという。

 

知れば知るほど奥深い神宮の世界。興味は尽きないが、ひとまずこれで区切りとしたい。なお、神宮では大晦日の夜から「どんど火」と呼ばれる大かがり火が1晩中焚かれ、内宮、外宮ともに、12月31日の朝5時から1月5日の20時まで、夜間を含めて終日参拝が可能という。一般でも夜間参拝が叶う貴重な機会。ぜひお参りをしたい。

しめ縄
伊勢地方の注連縄。1年中飾るのが特徴。

年に数度、お伊勢参りをするようになって10数年。なぜこんなにもお伊勢さんに惹かれるのか、自分でもよくわからない。強いて言えば、理由なく足を運びたくなる。それがお伊勢さんの魅力かもしれない。何より、感謝の気持ちのみを捧げるお参りは、あれこれお願いばかりするよりも、ずっと爽快で、心根にさっぱりとした感覚を残す。

頭で理解するのではなく、目と心、そして耳を澄ませて日々の自分をリセットする、そんなお伊勢参りを、これからも続けていけたらと思っている。

Photograph by Akihiko Horiuchi

Text by Misa Horiuchi

伊勢神宮

皇大神宮(内宮)

三重県伊勢市宇治館町1

豊受大神宮(外宮)

三重県伊勢市豊川町279

文・堀内みさ

文筆家

クラシック音楽の取材でヨーロッパに行った際、日本についていろいろ質問され、ほとんど答えられなかった体験が発端となり、日本の音楽、文化、祈りの姿などの取材を開始。今年で16年目に突入。著書に『おとなの奈良 心を澄ます旅』『おとなの奈良 絶景を旅する』(ともに淡交社)『カムイの世界』(新潮社)など。

 

写真・堀内昭彦

写真家
現在、神宮を中心に日本の祈りをテーマに撮影。写真集「アイヌの祈り」(求龍堂)「ブラームス音楽の森へ」(世界文化社)等がある。バッハとエバンス、そして聖なる山をこよなく愛する写真家でもある。

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