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養母から言われる「帰ってくるなよ」の言葉…「私は人間じゃない気がしていた」と語る戦時下の話【作者に聞く】

  • 2025.12.30
養母が浴びせてくる理不尽な言い分を正してくれるのは、大好きな義兄だった。 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
養母が浴びせてくる理不尽な言い分を正してくれるのは、大好きな義兄だった。 (C)ゆっぺ/KADOKAWA

Instagramやブログ「ゆっぺのゆる漫画ブログ」で、実話をもとにしたエッセイ漫画を描く漫画家・ゆっぺさん。2021年にはブログが月間3000万PVを記録し、「ライブドアブログ OF THE YEAR2021」最優秀グランプリを受賞した。代表作「親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話」では、戦前から現代までを生き抜いてきた祖母・キヨさんの半生を丁寧に漫画化し、多くの共感と応援の声を集めている。今回は、92歳となったキヨさんが語る戦時中の記憶、とりわけ家族の中で味わった過酷な日々に焦点を当てる。

「楽しみ」を考えることすらなかった子ども時代

『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』5-1 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』5-1 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』5-2 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』5-2 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』5-3 (C)ゆっぺ/KADOKAWA
『親に捨てられた私が日本一幸せなおばあちゃんになった話』5-3 (C)ゆっぺ/KADOKAWA

キヨさんが小学校4年生のとき、第二次世界大戦が始まった。学校へ行っても授業はほとんどなく、畑仕事や土運びなどの労働が日常だった。家に帰ればまた農作業。子どもであっても休まる時間はなく、「楽しいことを考える」という発想そのものがなかったという。小学3年生からは朝食の支度を任され、小学5年生になると赤ん坊の世話や子守りも加わった。唯一の思い出は、義兄に一度だけ映画へ連れて行ってもらったこと。その短い時間だけが、かすかな息抜きだった。

学校だけが救いだったが、それすら奪われかけた

家では養母から厳しい言葉を浴びせられ、学校に行くことすら歓迎されなかった。小学6年生のとき、追い詰められたキヨさんは自ら学校を辞めたいと先生に願い出る。しかし、その話を聞いた義兄がすぐに学校へ掛け合い、「せめて高等小学校までは」と支えてくれたことで、かろうじて学びの場を失わずに済んだという。それでも家では「行ってきます」と言うたびに「帰ってくるなよ」と言われ続け、自分は人間ではないのではないか、そんな感覚に苛まれていた。

家を出たいと願っても許されなかった理由

裸足で学校に通った夏もあった。下駄が減るから使うなと言われ、家の物は「お前のために買ったものじゃない」と突き放された。何かを使えば責められ、自分のものは何一つなかった。それでも家を出ることは許されなかった。養母は、外に出れば家の悪口を言われると思い込んでいたという。しかし実際には、あまりにも恥ずかしく、誰にも言えなかったのが本音だった。戦後になっても環境は変わらず、農家の労働力として縛られ続けたキヨさんは、長いあいだ“外の世界”を知らずに生きてきた。

戦時下という時代背景と、家庭内での孤立。その両方を背負いながらも、キヨさんは生き抜き、やがて「日本一幸せなおばあちゃん」だと笑える場所にたどり着いた。孫であるゆっぺさんがその記憶を描き残した本作は、過酷な過去を暴くだけでなく、「それでも人生は続いていく」という静かな希望を伝えている。

取材協力:ゆっぺ

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