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《主人公は池田エライザ、新たな時代設定》改変は評判を落としがちだが…令和版『舟を編む』が「これしかない」と思えた納得のワケ【ベスト記事2025】

  • 2025.12.30

2025年1年間で特に人気を集めたCREA WEBの記事を発表! あの映画やドラマのヒットの理由から、気の利いた手土産、そして、じっくり読みたい注目の人のインタビューまで。たっぷりお楽しみください。(初公開日 2025年8月19日 ※記事内の情報は当時のものです)


三浦しをんの同名小説を原作とし、映画化、アニメ化もされた『舟を編む』。今回は、脚本・蛭田直美によって、連続ドラマとして新たな名作『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』が誕生しました。今作では時代設定を2017年からに改め、コロナ後までを描きます。

一見、地味とも思える「辞書作り」というテーマが、なぜこれほどまでに多くの人々の心を捉え、共感を呼んだのか。それは、私たちが日々の生活で何気なく使い、時にその力を過小評価しがちな「言葉」という存在に、光と影の両面から深く切り込んでいるからです。

『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』1話より ©NHK

主人公が新人、新たな時代設定…「令和版」改変のポイント

中型の国語辞典『大渡海』の完成を目指し、言葉の意味を深く探求していく人々の情熱を描く本作。主人公は、出版社の花形であるファッション誌編集部から、地味な辞書編集部へと異動になった岸辺みどり(池田エライザ)。辞書という存在が軽視され、言葉に無頓着な人々が増えていく現代において、彼女はまさに私たちと同じ目線に立つヒロインです。

原作の主人公・辞書編集部主任の馬締光也(野田洋次郎)ではなく、岸辺みどりの視点から描いているところがドラマ版のミソ。辞書は地味で重いだけだとか、言葉の意味が変わっていく時代に語釈を追求するのはタイパとコスパが悪い、などと思ってしまう私たちこそが、この物語の主人公なわけです。この改変は、辞書と視聴者の距離をより近づけました。

そして私たちは、こういうタイプの人物こそがどんどん知らない世界にのめり込んでいく物語の定型をもう知っていますよね。本作も、成長するヒロインの姿を通して、視聴者を辞書を通した言葉の海へといざなってくれます。

特に驚いたのは、第一話の冒頭、朝日を望む海辺にみどりが対峙し、涙を流すシーン。

・たん そく【嘆息】(名) 嘆いたり感心したりしてため息をつくこと。
・てい きゅう【涕泣】(名)涙を流して泣くこと。
・お えつ【嗚咽】(名)声を詰まらせて泣くこと。
・どう こく【慟哭】(名)悲しみのために、声をあげて激しく泣くこと。

これらの言葉の違いを、みどりの泣き顔のアップによる表情や息遣いの一連の変化だけで見せてくれたこと。脚本、映像、語釈のテロップ、役者の演技……そのすべてが相まって、本作の真髄をわずか50秒ほどで完璧に知らしめたのです。

馬締や辞書の監修者である日本語学者の松本朋佑(柴田恭兵)らとの対話を通して、みどりと視聴者は言葉の大切さや危うさを改めて学んでいきます。たとえばみどりの「私なんて」という口癖。みどりは松本のアドバイス通り「なんて」を辞書で引くと、「軽視」を意味する語釈があることに気づきます。

「ご飯食べる時間なんてないかも」「朝から電話する余裕なんてないからさ」「辞書なんてどれも同じだと思ってた」。これまでみどりが発してきた「なんて」という言葉が、画面上で増幅していく視覚効果も見事でした。自分が常に何かを下に見てきたこと、そして周囲の人を傷つけてきたことに気づいたみどり。その展開は、“なんて”巧妙なのでしょう!

ドラマでは、一つの言葉の定義をめぐる試行錯誤が丁寧に描かれます。たとえば、「右」という簡単な言葉一つをとっても、その定義がどれほど複雑で、誤解を生みやすいか。絶対的な基準がない中で、どのように普遍的な定義を導き出すのか。

みどりが「右」を説明する際に言った「朝日を見ながら泣いたとき、あったかい風に吹かれて先に涙が乾く側のほっぺた」という語釈は詩的すぎて辞書の語釈には不向きかもしれませんが、自身の経験をもとにした、血が通った素敵な回答でした。

編集部員たちは、言葉が単なる記号ではなく、人々の思考や感情を形作り、社会を動かす力を持つことを誰よりも深く理解しています。言葉の多義性や曖昧さに頭を悩ませながらも、言葉の「本質」を捉えようとする辞書編纂者たちの途方もない情熱。そして、それに人生をかける重みといったらもう……。お仕事ドラマとしても、胸アツ展開をみせていきます。

さらにこの辞書作りの情熱は、製紙会社で辞書に適した“究極の紙”作りに奮闘する宮本慎一郎(矢本悠馬)の物語とも交錯。彼らの姿は、まさに「神(紙)は細部に宿る」という言葉を体現しているかのようです。

『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』4話より ©NHK

「 今あなたの中に灯っているのは…」しびれるセリフが続出

「辞書って、ただ言葉の意味を羅列したデータベースに過ぎないんじゃないの?」そんな疑問を抱きがちですが、ドラマを観ると、そうではないことが分かります。辞書はまさに、文化と知の集大成であり、私たちが過去から現在、そして未来へと受け継いでいくべき知的な財産。

辞書編纂者たちは、単なる定義付けを超え、言葉の持つニュアンス、使われ方、そしてその言葉が持つ歴史的背景までも深く考察しています。

たとえば、ある言葉が時代とともに意味合いを変化させていく様子。若者言葉が生まれ、やがて一般に浸透していく過程。あるいは、特定の文脈でのみ使われる専門用語や隠語。辞書には、そうした言葉の「生き様」が刻まれていきます。

第2話でみどりは「恋愛」の語釈がこれまで「男女」や「異性」という言葉で語られていたことに意義を唱えます。「恋愛は異性同士だけのものではない」と。ただ、自分の抱くモヤモヤの理由をうまく説明できないみどりに対して、馬締はこう言います。

「うまくなくてもいいんです。それでも言葉にしてください。今あなたの中に灯っているのは、あなたが言葉にしてくれないと消えてしまう光なんです」

しびれました……。本当にその通りだと感じます。SNS時代、人の意見に乗っかったり、誰かの答えをみてそれを自分の答えにしてしまうのは簡単だけど、自分だけの気持ちや、それを導く言葉を紡ぎ出すことこそが大切なのではないでしょうか。

「同性愛」「両性愛」はそれぞれ別の見出し語になるが…

辞書は、人を褒めることも責めることもない。安心して開けて、言葉を探求できるもの。もし同性愛者が意味を引いたとき、「あなたたちのそれは恋愛ではない」と責められているように感じるのでは。みどりのこの言葉は、辞書に込められた精神を象徴しているといえるでしょう。

物語の時代設定となる2017年での編集部の議論としては、「同性愛」「両性愛」への差別・偏見の意図はなく、それぞれ別の見出し語として辞書に掲載する方針。典型的例(「うさぎ」を引くと、ふつう耳が長く、よく飛び跳ねると書かれているのもこれ。耳が短く飛び跳ねないうさぎもいるが一般の人が想像しやすい言葉が載る)として「恋愛」の語釈に「異性」という言葉を残していました。

『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』2話より ©NHK

それでも恋愛と別の項目であること自体が差別なのでと食らいつくみどり。本作の中ではこの議論は『大渡海』完成まで続きます。長きに渡る経過観察・検証を経てどんな答えを導き出すかということも、最終回の見どころの一つでしょう。平成から令和への移行にともなう価値観の変化があり、さらにパンデミックも経験するタイミングに時代設定を改めた脚本の妙が、ここにも生きてきそうです。

「言葉の暴力」がはびこる今だからこそ、響くメッセージ

恋愛の項目の議論で示されたように、「辞書は誰かを差別したり、排除するようなものであってはならない」という力強いメッセージをドラマから受けとれる一方で、現実社会では言葉が暴力性をはらむシーンに度々出くわしてしまうことがあります。

特にこの夏の参院選では、その問題が改めて浮き彫りになりました。選挙運動の名のもとに露骨なヘイトスピーチが撒き散らされ、その行為を「差別ではなく区別」という言葉で正当化しようとする姿には衝撃を受けました。

この「差別ではなく区別」という使い古された常套句がいかに詭弁かは、『大渡海』を編む中で言葉の定義を徹底的に掘り下げてきた編集部員たちを見てきた私たちなら見破れるはずです。特定の集団を排除し、不当な扱いをすることを目的としているにもかかわらず、あたかも客観的な分類であるかのように装うことで、差別行為の責任を回避しようとするものだと。

「言葉の暴力」が横行する今だからこそ、私たちはもう一度、言葉と真摯に向き合う必要があるのではないでしょうか。辞書編纂者たちが、たった一つの言葉の定義のために何年も費やす姿は、言葉を紡ぐことの重みと責任を私たちに示しています。

「言葉ってナイフにもなるじゃないですか」への答え

現代社会ではインターネットの普及により、誰もが簡単に情報発信できるようになった一方で、言葉の持つ影響力に対する意識は希薄になりがちです。不用意な発言が誰かを傷つけたり、差別を助長したりする可能性があることも、私たちは常に心に留めておく必要があります。

9話でみどりは言葉に対する不安をこう語りました。「言葉ってナイフにもなるじゃないですか。もちろん今はわかっています。悪いのは言葉じゃない。使い方と選び方って。でもまだ全然自信ないんです。ちゃんと使えてるか。選べてるかって」。

言葉のナイフに対して、「そんなこと気にするな」と人は言うかもしれません。しかし、今まさにそのナイフで刺され、血を流して痛みにうめく人がいたとしたら、どうしたらいいのか。みどりの問いかけに、松本はこう答えます。

「言葉のナイフを抜くことができるのは、止血して手当てができるのは、また、『言葉』なのではないでしょうか」。言葉と誠実に向き合い、言葉を潤沢に的確に使うことができれば、傷ついた人を救うこともできるのかもしれません。

『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』9話より ©NHK



辞書は、言葉の海を渡るための「舟」であり、羅針盤です。それは、言葉の海で迷子にならないための道標であり、より良い社会を築くための基盤。ですが、最終的にその舟をどこへ向かわせ、羅針盤をどう読み解くかは、私たち一人ひとりの手に委ねられていることを、『舟を編む』は教えてくれます。

文=綿貫大介
写真=NHK

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