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東京で聞こえるはずのない『懐かしい歌』にビックリ → 直後、母の“ある報告”に『絶望した理由』

  • 2025.12.29

親しい人との間には、ときに説明のつかない出来事が起こるという話を聞きます。東北の小さな街で民謡の名手だった叔父と、彼の唄が大好きだった私の母・京子(仮名)。今でも母が忘れることのできないある夜のエピソードを紹介します。

子ども時代に聴いた長持唄

私は子供の頃、東北の小さな町に住んでいました。近所に住む叔父は、地元では知らぬ者のない民謡の名手でした。特に、嫁入りの時に古くから唄われてきた『長持唄』は格別でした。周辺で結婚式があると必ず呼ばれ、その味わい深い唄声を披露していたのでした。

私も小さい頃から叔父の長持唄の大ファンで、「私が結婚する時は、披露宴で叔父に唄ってもらう」と決めていました。叔父も私をとても可愛がってくれていて、「京子ちゃんの結婚式で唄うのが楽しみだよ。早く結婚してくれよ」と、笑いながらそう言う叔父の顔を、私は今でも鮮明に覚えています。

東京での新生活、遠ざかる記憶

私の家族は私が高校生の時、東京へ引っ越してきました。慣れない都会での暮らし、学校、友人関係……東北の町とは全く違う慌ただしい日々の中で、田舎での生活や叔父の唄声は次第に遠い存在となっていきました。

やがて社会人になる頃には、叔父とも年賀状で近況を報告するくらいで、ほとんど会うこともなくなっていたのです。

夜道で聴いた懐かしい唄

ある日の夜、仕事帰りに駅から自宅へ向かう静かな住宅街を歩いていると、どこからともなく懐かしい唄が聞こえてきました。耳を澄まして聴いてみると、間違いなく『長持唄』でした。どこかの家のテレビかラジオから流れているのだろうか。「こんな都会で、あの唄を耳にするなんて」懐かしさが胸に込み上げ、私は立ち止まり、しばらくその歌声に聴き入ったのです。

思わず叔父の優しい顔が浮かび、「叔父さん、元気かな? 今度帰省したら、必ず会いに行こう」そう心に決めて、私は家路を急ぎました。玄関のドアを開けると、母が慌ただしく支度をしていました。「京子、叔父さんが倒れたって。今からすぐに東北に向かうから」私は言葉を失いました。

叔父からの別れの唄

母は急いで東北へ向かいましたが、叔父は意識が戻らぬまま、翌朝息を引き取りました。私も仕事を休み、叔父のもとへ駆け付けました。葬儀の席で、親戚の一人から、「叔父さん、京子ちゃんの結婚式で唄うのが楽しみだって、いつも言っていたのよ」と聞かされ、私は涙が止まりませんでした。

あの夜、帰り道で聴いた唄。あれは本当にテレビやラジオから流れていたものだったのだろうか。今となっては確かめようもありません。でも私は今も信じています。あの『長持唄』は、叔父からの「さよなら」と「結婚式で唄えなくてごめんね」という最後の別れの挨拶だったのだと。

【体験者:70代・主婦、回答時期:2010年12月】

※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

EPライター:Sachiko.G
コールセンターやホテル、秘書、専門学校講師を歴任。いずれも多くの人と関わる仕事で、その際に出会った人や出来事を起点にライター活動をスタート。現在は働く人へのリサーチをメインフィールドに、働き方に関するコラムを執筆。

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