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「切磋琢磨」なんて綺麗事で片付けられない…“紛れもないBL映画”『10DANCE』が評価されるワケ《世界TOP10入り、主人公2人の「キャスティングの妙」も…》

  • 2025.12.28

今月Netflixで公開され、世界TOP10入りを果たした映画『10DANCE』。二人の競技ダンス王者が、10種のダンスで競う「10ダンス」に挑むために互いの専門分野を教え合うことに。深夜の教室で二人でトレーニングをするうちに、互いの愛に突き動かされていくさまを描く。世界にも評価された、Netflix映画『10DANCE』の画期性とは。

Netflix映画『10DANCE』より 2025年12月18日(木)よりNetflixにて世界独占配信

Netflix映画『10DANCE』は、紛れもない「BL」

Netflix映画『10DANCE』は、なぜ「BL」でなければならないのか。まず、この点から逃げずに書き始めたいと思います。

Netflixが本作を実写化するにあたって、もっとも守らなければならなかったもの、そして実際に画面から溢れ出しているもの。それは、本作が紛れもない「BL(ボーイズラブ)」であるという事実です。

BL漫画の実写化にあたっては「一般層への訴求」という名目で、その官能性や同性愛的な引力が「厚い友情」や「爽やかなスポーツ根性もの」へ寄せたり、「BLの枠に収まらない人間ドラマ」なんていう耳あたりのいい言葉に勝手に変換されることがあります。

しかし、Netflix映画『10DANCE』の制作陣はその風潮を鮮やかに跳ね除けました! 井上佐藤原作の『10DANCE』で描かれるのは、「切磋琢磨」などという綺麗ごとでは片付けられない、もっと泥臭く、もっと剥き出しの「他者の身体への渇望」。ゆえに、本作がBLであることを前面に出したまま実写化されたのは、必然なのです。

ラテンの王者・鈴木信也(竹内涼真)とスタンダードの王者・杉木信也(町田啓太)。この二人がフロアで組むとき、そこに耽美な欲望が立ち昇ります。

Netflix映画『10DANCE』より 2025年12月18日(木)よりNetflixにて世界独占配信

本作において、ダンスは単なる競技ではありません。それは言葉以上に雄弁な、肉体による「対話」であり、もっと踏み込めば「交わり」そのもの。杉木が鈴木の腰を引き寄せ、鈴木が杉木の視線を真っ向から受け止めるその瞬間、画面には逃げ場のない求愛とエロティシズムが充満します。

これをBL以外の言葉で語るのは、批評的思考の怠慢でさえあると思うのです。彼らのステップに私たちがこれほどまで心をかき乱されるのは、映画版もBLとしての輪郭を鮮明に保っているから。

もしあなたが本作に心を動かされたなら、おめでとうございます、あなたはBLに夢中になったということです!

それが多言語で吹き替えられ、字幕がつけられて世界へ発信され、Netflix週間グローバルTOP10(非英語映画)で4位を獲得した。これはBLが限られた市場でのみ盛り上がるものではなく、多くの視聴者を魅了できる、グローバルコンテンツであることの証です。

主人公2人はともに180cm超え…今作の「キャスティングの妙」

本作における最大のギミックであり、映画版の映像表現での白眉は、競技ダンス特有の「リード(伝統的には男性が担う役)」と「フォロー(伝統的には女性が担う役)」の役割の入れ替えです。

競技ダンスは、世界で最も「男はリードし、女はフォローする」というジェンダーロールが固定された競技の一つ。男性である二人はそもそも、「リード」側の人間です。観客も魅力的な男女の物語を期待してしまうし、パフォーマンスする側もそれを過剰に表現する。

しかし、杉木と鈴木はこの境界を軽やかに、かつ暴力的なまでの美しさで踏み越えていくのです。カメラは、本来「支配する側」であるはずの王者が、相手に身を委ね、フォローに回った瞬間の「表情の綻び」を執拗に捉えています。

ラテンダンスにおいて、プライドの高い杉木が鈴木の野性味溢れるリードに導かれ、自らの重心を預けるそのとき。彼の肉体は「支配する苦悩」から解放され、相手の意志をダイレクトに受容する快楽を知るのです。

逆に、スタンダードダンスにおいて鈴木が杉木の冷徹なまでに完璧なリードに従うとき、彼は自分の中に眠っていた「秩序への服従」という未知の快感に震えている。

劇中では、トレーニングという名目のもと役割のシャッフルがなされますが、このシャッフルは単なる技術訓練の範疇を大きく超えています。それは、男女的な役割や固定概念を打ち砕き、相手の視点に立ち、相手の痛みを、相手の歓喜を、自らの肉体で再現する「究極の共感」といえるでしょう。

お互い男として相手を支配し、征服し、服従させたくとも、二人でフィットするダンスをするためには、どちらかが必ず身を預ける必要がある。そして逆転した際には、そちら側の喜びも感じてしまう。

さらに相手の微妙な動きやサイン、汗や呼吸、視線の交錯、相手に対する感情など非言語のコミュニケーションをとりながら(ダンスそのものが恋愛の言語!)お互いを知っていくうちに、二人のダンスは完璧に噛み合い、理想的な境地へと至っていきます。

Netflix映画『10DANCE』より 2025年12月18日(木)よりNetflixにて世界独占配信

それぞれを縛っていた役割を脱ぎ捨て、一人の「個」として混ざり合う。このジェンダーロール(BLでいうなら「攻め」や「受け」といった固定的な記号)の攪拌こそが、Netflixというグローバルなプラットフォームで本作が描かれる最大の意義であり、クィア・スタディーズ(性の「当たり前」を疑い、解きほぐす学問)の視点から見ても極めて刺激的なポイントなのです!

この入れ替えの妙が映像を通じて伝わってくる理由は、キャスティングの見事さにあります。BLの映像作品では、わかりやすく二人に体格差があったり、片方がかっこいいキャラ、片方がかわいいキャラであったりと、異性愛のラブストリーに容易に置き換え可能なビジュアルの座組がまだまだ多いですが、本作は違います。

主人公二人はともに180cm超えであり、体格差も極端にはない。観る人が古典的な性別への親和性や違和感を抱きにくいまま、シームレスに変容する二人がそこにいるというところも、このギミックの説得力を増してくれます。

ダンスで深く互いにつながりたいと思う、苦痛を伴うほどの二人の欲望はコントロール不可能。感情の高ぶりは愛のダンスとなって時に優雅に、時に楽しく踊りだします(愛がなければダンスは存在しない!)。

『国宝』は“鏡”の物語…大作に見る、「男たちの絆」の現在

2025年を象徴するもう一つの「舞う男」の物語といえば、映画『国宝』があります。

それぞれの作品における俳優たちの役づくりや肉体づくり、芸術表現に対する追求のすばらしさという共通点は、もはや言わずもがな。

吉沢亮と横浜流星が演じる喜久雄と俊介の関係性と、Netflix映画『10DANCE』の杉木・鈴木の関係性を比較すると、今のエンタメが描こうとしている「男たちの絆」の多様性が見えてきます。

『国宝』が、相手の中に理想を見る「鏡合わせの、孤独な求道者」の関係だとするならば、『10DANCE』の二人は、相手という劇薬を飲み込み、自分を拡張していく「共犯者」の関係です。

Netflix映画『10DANCE』より 2025年12月18日(木)よりNetflixにて世界独占配信

『国宝』が、伝統という高い壁の前で、一人が立てば一人が退かねばならない「椅子取りゲーム」のような、残酷で美しい垂直の物語だとするならば、『10DANCE』は、二人でなければ到達できない場所を目指す水平の物語と捉えることができるかもしれません。

『国宝』の踊りが「静」の狂気を孕んでいるのに対し、Netflix映画『10DANCE』の踊りは、汗と呼吸が画面から飛び散るような「動」の官能に満ちている。2025年の観客は、この正反対の熱源に挟み撃ちにされたことになります。

『国宝』がこれだけメガヒットしたのであれば、それと同数の人が『10DANCE』も観るべきなのです!

BL作品では「駒」にされがちな女性たちだが…

本作が単なる「男同士の閉じた世界」に終始しないのは、女性キャラクターたちの描かれ方が極めて秀逸だからです。鈴木のパートナー・アキ(土居志央梨)と、杉木のパートナー・房子(石井杏奈)もとても魅力的です。

多くのBL作品において、女性は「物語を動かすための駒」や「恋路を邪魔する障壁」として扱われ、その内面は隠されがちですが、本作の彼女たちは違います。彼女たち自身がフロアの主役であり、自らの技術に絶対的なプライドを持つプロフェッショナルだという点がしっかり伝わってくるのです。

Netflix映画『10DANCE』より 2025年12月18日(木)よりNetflixにて世界独占配信

彼女たちが男たちの関係に「嫉妬」するのではなく、プロとして、男たちの「ダンスの質の変容」を感じ取ることが強調されている点もポイント。パートナーが自分以外の男と組むことで、どれほど進化し、あるいは壊れていくのか。それを冷徹に見極め、時には男たちを凌駕するパフォーマンスを見せてくる。

彼女たちが「背景」に退かず、一人のアスリートとしてそこに君臨しているからこそ、杉木と鈴木の結びつきは、甘ったるいファンタジーではない、命懸けの「表現者の闘争」としての強度を獲得しています。

地下鉄でのキスシーンが彷彿とさせる「あの名作」

「愛する男二人が踊る」という映像言語の頂点には、長らくウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』が君臨してきたといっていいかもしれません。台所でタンゴを踊るレスリー・チャンとトニー・レオンも素晴らしいです。

しかし、本作が提示するステップは、あの名作が描いた「停滞」を鮮やかに更新していきます。『ブエノスアイレス』のタンゴが、過去に戻ろうとし、狭い部屋で傷つけ合う、「終わりゆく愛の葬送」であるならば、『10DANCE』の競技ダンスは、広いフロアで未来を掴み取る、「生まれてくる愛の産声」です!

ウォン・カーウァイが「恋愛の不可能性」をダンスに託したのに対し、Netflix映画『10DANCE』はダンスを通じて他者と繋がることによる、自己の拡張を描きます。

劇中において、恍惚なキスシーンのある地下鉄のシーンでは、急に初期ウォン・カーウァイ作品のようなスロー演出やエフェクトがかかります。そこだけファンタジーのように浮いて見えるので表現方法に賛否はあるかもしれませんが、私はこれを大友啓史監督による「意識的な上書き」だったと受け止めたい(ただ、『ブエノスアイレス』同様に、本作もラテンアメリカの雰囲気を描く際に黄色がかった色調調整をしているのは、「発展途上」といったイメージでステレオタイプ化する表現になってしまっているので歓迎しない)。

Netflix映画『10DANCE』より 2025年12月18日(木)よりNetflixにて世界独占配信

「友情」という形に漂白されていたなら生まれなかった熱狂

本作は、男と男が、互いの性別や役割やプライドをフロアに脱ぎ捨て、肉体という名の言語で、愛を、絶望を、そして希望を綴る物語です。もし、この作品が「友情」という形に漂白されていたなら、これほどまでに世界の熱狂は生まれなかったでしょう。

竹内涼真、町田啓太という最高のキャストを起用し、世界配信で真正面からBL作品に仕上げてきた。そのことに心から敬意を評します(ついでにNetflixさん、公開予定だった『ソウルメイト』の配信予定もおしえてください)。

そして映画という尺に収めるには、どうしても「もっと見たい!」という物足りなさが残るのも事実。でも、それならば答えは一つです。続編をお願いします!

ラストシーンの先、二人が本当の意味で「ペア」になる物語は、まだ始まったばかり。本当の10DANCEを、私たちはまだ見ていないのですから。

文=綿貫大介

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