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怒りを弱者に向けない! 超人気コメディアンが語る、信頼される“笑いの条件”

  • 2025.12.27
Shiori Clark

2025年も残すところわずか。ロンドンに暮らす筆者の立場から今年の英国社会を振り返ってみると、ロンドン中心部で11万人以上が参加したと言われる大規模な反移民デモが行われたりと、正直ポジティブな出来事ばかりではなく、排外主義の波に不安を覚えることも多い一年でした。そんな時、心の救いになったものの一つにコメディがありました。

特に、英国の人気スタンドアップコメディアンでありポッドキャスターでもあるニッシュ・クマールさんの活動から、いつも元気をもらっていました。インスタグラムでは約20.1万人、Xでは約39.7万人のフォロワーを持つ彼が、ホストを務める政治系ポッドキャスト番組『Pod Save the UK』も毎週欠かさず聴いていました。ニッシュさんの出演するスタンドアップコメディライブにも足を運び、ユーモラスな口調で怒りを表しながらも弱者に寄り添うその姿勢に、毎回大笑いしながら心を癒やされていました。

今回は、英国全国を回るコメディツアー「Nish, Don’t Kill My Vibe」の真っ最中のニッシュさんに、2025年の英国社会をどう見ているのか、そして怒りの感情をどのようにポジティブな変化へとつなげていけるのかについて、インタビューをすることができました。

2025年をどう見た? 英国における“排外主義の台頭”

左から、英国のコメディアンであるレイチェル・パリスとニッシュ・クマール。写真は2018年にロイヤル・フェスティバル・ホールで開催された「BAFTA TV Awards」の様子。 Samir Hussein / Getty Images

クラーク志織(C):ニッシュさんにとって、2025年の英国を最も象徴している出来事は何でしたか?

ニッシュ・クマールさん(N):残念ながら私にとって、今年の英国を象徴していたのは、反移民を訴える抗議活動や、多文化主義、難民・難民申請者に反対する人々が、セントジョージクロス(イングランドの旗)やユニオンジャックを掲げて全国各地で声を上げていた、あの夏の光景でした。

これは、経済格差を広げている本当の対象ではなく、責任のない人々に怒りが向けられてしまったという悲劇です。この12カ月の間で、英国はBrat summer(2024年の夏に流行したチャーリーXCXのアルバムで、自分らしい夏という意味)からTwat summer(馬鹿な夏)へと変わってしまいました。

C:怒りや違和感がこれまで以上に身近な感情になった一年だったと感じています。だからこそ、その感情をどう表現し、社会に投げかけていくのかは、とても難しい問いだと思いました。2025年を通して気づいたこと、またコメディで社会を批評することには、どのような効果があると思いますか?

N:自分のやっていることの一番の目的は、コメディをきっかけにして人々が社会や政治の話に興味を持つようになることです。そこから本物の書き手や思想家の文章に触れ、学びや議論が深まっていけばいいと思っています。また、ひどい問題を取り上げてコメディにすることで、一瞬でも人々にほっとする感覚を与えられると信じています。

これまで私は、コメディが直接的に誰かの政治的な考えや価値観を変える力を持っているとは思っていませんでした。あくまでコメディは、考えるきっかけを与えるものであって、人の意見そのものを左右するものではないと考えていたのです。

ところが近年、アメリカでは多くのコメディアンが、結果的にトランプの主張やプロパガンダを広めるような発言をするようになりました。その様子を見て、私は自分の考えが間違っていたことに気づきました。コメディには、人々の考えを実際に変えてしまう力がある。ただしそれは、必ずしも良い方向に働くとは限らない、ということです。

C:世界的に排他主義が拡大し、ポピュリズムや分断が続く中で、コメディはどのように社会と関わっていけると思いますか?

N:自由で公正な民主主義のもとでは、誰もが政府を批判する自由を持つべきです。また、コメディアンは面白ければどんなテーマでも話すことができると私は考えています。話す題材そのものが問題なのではなく、それについてどのような視点を持っているかが重要です。

それはジョークか、いじめか? 怒りの正しい矛先と笑いの境界線

C:怒りを扱う表現がますます可視化される中で、これからの時代、2026年以降もコメディが信頼されるために、誰に向けてジョークを放つか、その矛先を決めるときに心がけていることはありますか?

N:社会的に弱い立場にある人たちを攻撃するために、コメディが使われてしまうことがありますが、正直に言って、なぜそんなことをしようと思うのか、私には理解できません。ただし、ジョークというのは、受け取る側が「この人は自分を傷つけようとしているわけではない」と信頼できている場合に限って、どんなにきつい内容であっても成立し得るものだと思っています。

たとえば、あなたにとって最も身近な人が、時にあなたを強烈な冗談でからかうことがあるかもしれません。それでも笑って受け止められるのは、その人から愛されているという確かな信頼があり、相手が本気であなたを否定したり傷つけたりしようとしているわけではないと分かっているからです。そうした前提があって、はじめてその冗談はジョークとして成立します。コメディアンに求められる技術の一つは、観客との間にそのような信頼関係を築くことだと私は考えています。

ところが最近は、そうした前提をまったく気にしていないように見えるコメディアンが増えていると感じます。自分が口にしている差別的な言葉を本気で信じているのか、あるいは本気でそう思っているように見せることで注目やお金を得ようとしているのか。その理由は分かりませんが、単純にコメディが下手くそなだけかもしれません。

理由が何であれ、そうしたやり方は、もはやジョークではなく、ただのいじめです。学校でも、政治の世界でも、そしてコメディの場でも、私はいじめっ子が好きではありません。

C:日本社会には、社会の不公正に対して怒りの声をあげると「うるさい人」「めんどくさい人」のようなレッテルを貼られてしまう空気感があるなと感じています。けれど怒りを表すことは、時に自分や弱い立場の人を守るための大切な行為にもなり得ます。自身に湧き上がる怒りを、自分や他者を支える力に変えるためのヒントはありますか?

N:怒りという感情は、向ける相手を間違えなければ、社会を変えるための建設的な力になり得ます。気候危機や、広がり続ける経済格差、若い世代の機会が失われている現状など、私たちが怒りを覚える理由は数多くあります。

ところが、進歩派や左派、リベラルと呼ばれる立場にいる人たちは、その怒りをあえて表に出さないことが少なくありません。怒りを示すことで、自分たちが感情的で非合理的に見えたり、主張の信頼性を損なってしまうのではないかと恐れてしまうからです。

その一方で、後退的な政治勢力は、社会の問題を生み出している本当の原因から目をそらし、責任のない人たちに怒りを向けさせ続けています。トランスジェンダーの人々や移民の人々が、崩れつつある経済システムの「身代わり」として批判の的にされてきました。

だからこそ、まず「何が本当に問題なのか」「誰がその責任を負うべきなのか」を冷静に見極めることが必要です。そして、怒りを本来向けるべき相手にきちんと向け、そのエネルギーを意味のある社会的、政治的な変化へとつなげていくことが重要だと思います。ただ、何の方向性もなく怒りをぶつけるだけでは意味がありません。とはいえ、正直に言えば、個人的にはそうやって虚無に向かって叫ぶこと自体が、少し気持ちを楽にしてくれる瞬間もあるんですけどね。

声を上げる代償と、それでも語る理由

2019年に撮影された写真。英国の人気テレビ番組『ザ・ジョナサン・ロス・ショウ』にて。上段左から、『クィア・アイ』でおなじみジョナサン・ヴァン・ネス、いまは亡きリアム・ペイン、ニッシュ・クマール、有名ダンサーのクレイグ・レヴェル・ホーウッド。 Brian J Ritchie/Hotsauce/Shutterstock / Aflo

C:インドのルーツを持つ英国人というマイノリティの立場から政治について発言する中で、誹謗中傷やハラスメントを受け、PTSDを患っていたことを公表されていますね。声を上げる人が強い攻撃にさらされがちな現実の中で、これからの社会、そして2026年以降も声を上げ続けようとする人や、不公正な社会を変えようとする人、その人たちを支えたい人に、どんな言葉をかけたいですか?

N:マイノリティの立場にある人が声を上げることには、どうしても個人的な代償が伴います。私自身もその代償を払ってきたと感じていますし、この5年間、それがどれほど重く自分の心にのしかかっていたのかを、どこかで軽く見てしまっていたとも思っています。

それでも同時に、私よりもはるかに大きな代償を払いながら声を上げてきた人たちがいて、今もその重荷を背負い続けている人がいることも知っています。そうした人たちの存在に、私は強い恩義を感じています。

この夏、作家のタナヘシ・コーツが、なぜアメリカの政治や人種について書き続けるのかを語っているのを聞きました。彼は、自分がここまで来られたのは、多くを犠牲にして道を切り開いてきた先人たちがいたからで、その人たちに対して責任を負っているのだと言っていました。この考え方には、とても学ぶところがあると思います。

そしてもう一つ、アドバイスできるとしたら、可能であるならばぜひセラピーを受けてほしいです。声を上げることは大切ですが、自分自身を守ることも同じくらい大切です。

今の世界で起きていることについて、とても素晴らしいコメディをしている人たちはたくさんいます。ただ、インターネット上で作品の見つけ方が細分化されてしまったことで、そういう人たちにたどり着くのが難しくなっている面もあります。

ぜひ、ジョージー・ロング、ケマ・ボブ、エイミー・アネット、プリヤ・ホール、サム・ニコレスティ、アヨアデ・バムボイエ、レイラ・ナヴァビ、そしてマイケル・オデワレの作品をチェックしてみてほしいです。皆それぞれ、今の政治的・社会的状況に全く違う形で向き合ったコメディをしていますので。

C:最後に2026年に向けて、楽しみにしていることはありますか?

N:英国では来年1月にパク・チャヌク監督の新作『しあわせな選択(原題:No Other Choice)』が公開されるのですが、2026年の私の一番の楽しみは、今のところそれを観ることです(笑)。

C:ダークなコメディ・スリラーで、アイロニーとユーモアが効いた作品だと聞いています。その視点は、ニッシュさんのコメディとも重なりますよね。私も公開を楽しみにしています。本日は、ありがとうございました!

「心のセーフスペース」をくれた笑いと、2026年への願い

アジア系として英国で暮らしていると、自分の圧倒的なマイノリティさに心細い気持ちになってしまうこともあります。特に今年は、「白人系英国人じゃない人々の権利を奪ってしまおう」といった主張をする人種差別的な政治家やインフルエンサーが人気を博している様子を見かけることが多く、未来への不安に胸がぎゅっとなることも少なくありませんでした。

そんな一年だったからこそ、ニッシュさんや他の多くのコメディアンが、ステージ上やポッドキャスト番組の中で「ふざけるな!」と、いじめっ子的な振る舞いにはっきり「NO」を言いつつ、圧倒的なユーモアセンスで笑わせてくれた時間が、緊張していた気持ちがほぐれるような、私にとっての心のセーフスペースになっていました。

2026年は、さらに多くの人にとっての「心のセーフスペース」が増える年になってほしい。そして、自分もなんらかの形で、誰かにとっての安心を作る一人になりたいと思います。この記事を読んでくださっている方にとって、2026年がほっと心の温まる素敵な一年になりますように。来年もどうぞよろしくお願いします。

PROFILE

NISH KUMAR
インドにルーツを持つロンドン出身のスタンドアップコメディアン、ライター、ポッドキャスター。政治や社会の不公正をテーマに、怒りとユーモアを融合させたコメディで注目を集める。BBCやChannel 4の番組出演のほか、政治系ポッドキャスト『Pod Save the UK』のホストとしても活躍。

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