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兄は戴冠、弟は転落。運命の分岐点は? チャールズ国王とアンドルー元王子の長く複雑な兄弟関係を読み解く

  • 2025.12.27
Anwar Hussein / Getty Images

ここに同じ血を分けた兄弟でありながら、対照的な運命をたどったふたりの人物がいる。一人はイギリス王位継承第1位の皇太子として生を受け、やがて英君主の座に就いた兄チャールズ。そして、もう一人は“スペア”として育ち、度重なるスキャンダルの末にすべての称号を失った弟アンドルー。彼らの人生が大きく分かれ始めた転機は、いったいいつだったのか。イギリス王室チャールズ国王とアンドルー・マウントバッテン・ウィンザーの半世紀以上にわたる複雑な兄弟関係を振り返ってみよう。

11歳離れた兄弟

チャールズ皇太子と誕生して間もないアンドルー王子。 Hulton Archive / Getty Images

1959年10月、エリザベス女王は助産師に宛てた手紙の中で、まもなく誕生する赤ちゃんを兄姉たちが心待ちにしている様子を伝えている。「子どもたちは赤ちゃんの誕生をとても喜んでいます。特に小さな子どもが大好きなチャールズは」

1960年2月、バッキンガム宮殿でエリザベス女王の第3子・次男のアンドルー王子が誕生した。イギリス王室は当時、男子優先の長子相続が採用されていたため、アンドルー王子の誕生時のイギリス王位継承順位は姉アン王女を抜いて第2位。生まれながらにチャールズ皇太子の“スペア”――継承順位が次で、保険的に存在する子ども――だった。公開されたセシル・ビートン撮影のプライベート写真には、11歳年上のチャールズ皇太子が、生まれたばかりの弟を優しく抱きかかえる姿も収められていた。

アンドルー王子は故エリザベス女王の“お気に入りの息子”だった

幼いアンドルー王子を抱くエリザベス女王。 ullstein bild Dtl. / Getty Images

その年齢差から、チャールズ皇太子とアンドルー王子が同世代の「戦友」として育つことはなかった。チャールズ皇太子とアン王女は2歳差で、母エリザベスが25歳で女王に即位する直前に生まれた。一方、アンドルー王子とエドワード王子はそれから約10年後、女王が30代半ばとなり、王室公務と生活が安定した時期に誕生している。

「女王がアンドルーとエドワードといういわゆる第二の家族を持つようになった頃には状況は異なり、女王は君主として確固たる地位を築き、子どもたちにもっと時間を割くことができました」と『マジェスティ』誌編集長のジョー・リトルは語る。この親としての異なるアプローチは、女王の子どもたちの性格の違いの要因としてしばしば挙げられる。

キャサリン・メイヤーは2015年に書かれたチャールズ皇太子の伝記『Charles, The Heart of a King』でアンドルー王子について次のように綴っている。「皮肉なことに、関係者によれば、彼の揺るぎない自信は母である女王の育て方によるものだと言われています。女王は長男や長女には見せなかったほどの寛大さで次男を甘やかし、今なお彼を守り続けています」。アンドルー王子は繰り返し女王の「お気に入りの息子」と呼ばれてきたが、それが正確かどうかは別として、この甘やかしの感覚を表しているだろう。

ふたりが幼少期に共有していた時間は少ない

チャールズ皇太子、アンドルー王子、アン王女。1967年頃。 Princess Diana Museum / Getty Images

アンドルー王子誕生後、家族がバルモラルで過ごした夏の様子は、幼い王子を溺愛する姿として写真や映像で広く伝えられた。しかしその直後、チャールズ皇太子はバークシャーのチーム寄宿学校に戻り、弟が2歳になる頃には、さらに遠く離れたスコットランドのゴードンストウン寄宿学校へと進学している。1973年、アンドルー王子はチャールズ皇太子と同じスコットランドの寄宿学校に入学したが、その頃にはチャールズ皇太子はすでに海軍でのキャリアと王室公務を両立させ、女王の代理としてバハマを初めて公式訪問していた。

アンドルー王子が成長するにつれ、兄弟の間には一定の親密さがうかがえる場面もあった。キャサリン・メイヤーによれば、チャールズ皇太子はかつて、女王とアンドルー王子も同席するウィンザーでの昼食を、初デートの場に選んだという。また、アンドルー王子が16歳のときには、スコットランド沖に停泊していた兄の英国海軍の艦船に招かれており、これが彼の海軍でのキャリアのきっかけになった可能性もある。

年齢差だけではないふたりの隔たり

Tom Wargacki / Getty Images

だがそれでも、兄弟を隔てたのは年齢差だけではなかった。王室研究家のジョー・リトルが指摘するように、ふたりは「多くの点で似ていない」性格だった。チャールズ皇太子が繊細で仕事熱心と評されるのに対し、アンドルー王子は無作法で享楽的、プレイボーイだという評価を受けてきた。特に使用人への接し方をめぐっては、アンドルー王子への批判が目立つ。伝記作家アンドルー・ローニーは近著『Entitled, The Rise and Fall of the House of York』で、両者の違いを「チャールズにとって皇太后の従者は彼女の仲間だったが、アンドルーにとっては単なる使用人だった」と表現している。

1982年9月17日、フォークランド紛争から帰還したアンドルー王子。 Anwar Hussein / Getty Images

ほかにもチャールズ皇太子とアンドルー王子は多くの点で正反対であり、まったく異なる環境で活躍してきた。チャールズ皇太子はゴードンストウン校に賛否両論の評価をしていたが最終的には監督生の最上位の役職であるヘッドボーイに任命された。一方アンドルー王子はヘッドボーイになることはなかったが、同校への賛辞を惜しまない。また、5年間軍務に就いたチャールズ皇太子は、海軍の退職金を使って慈善団体「プリンス・トラスト」を設立したことで、憲法上の職務以外の自分の真の目的を見出した。一方、アンドルー王子は22年間にわたって軍務に就いた。1982年にフォークランド紛争の英雄として帰還し、エリザベス女王から贈られたバラをくわえた瞬間は、彼の公職における真のハイライトの一つだろう。

ダイアナとファーギーが結んだ兄弟の絆

スイスのクロスタースでスキー休暇を楽しむチャールズ皇太子、ダイアナ妃、セーラ妃、アンドルー王子。1987年撮影。 Tim Graham / Getty Images

あらゆる点で異なるふたりはしかし、それぞれの結婚を機に距離が縮まることになる。1981年にチャールズ皇太子はダイアナ妃と結婚。そして1986年にはアンドルー王子がセーラ・ファーガソンと結婚した。ダイアナ妃とセーラ・ファーガソンは年が近く親友だったことから、兄弟とその妻たちは急速に打ち解けていった。スキー旅行や公式イベントで並ぶ姿は、“ロイヤル・ファブ・フォー”の原点とも言えるものだった。

ほころび始めた関係とアンドルー王子の暗い人脈

Tim Graham / Getty Images

だが、その穏やかな兄弟の蜜月は長くは続かなかった。両方の結婚が破綻したことで、チャールズ皇太子とアンドルー王子は再びそれぞれの閉じた世界に戻っていく。チャールズ皇太子はクラレンス・ハウス、アンドルー王子はバッキンガム宮殿のオフィスを拠点とし、エリザベス女王の監督のもと、アン王女やエドワード王子と共に仕事をすることになった。

1990年代、チャールズ皇太子が結婚生活の破綻とダイアナ妃の死の悲しみに苦しんでいた頃、アンドルー王子はジェフリー・エプスタインへとつながる人脈の中に身を置くようになっていく。2019年の物議を醸したインタビューで、アンドルー王子は故エプスタインのことを「友人の友人」と表現した。彼らの共通の友人とは、エプスタイン元被告による少女人身売買を幇助した罪で現在服役中のギレーヌ・マクスウェルである。

権力移行の時代。そして国王となった兄が弟の重荷を引き継いだ

WPA Pool / Getty Images

2000年代を通じて、チャールズ皇太子とアンドルー王子は主要な王室行事でそろって公の場に姿を見せていたが、王室内部では大きな変化が進んでいた。女王が高齢となり公務のペースを落とすにつれ、チャールズ皇太子が次第にその役割を代行する場面が増えていったのだ。

王室ジャーナリストのジョー・リトルはこう語っている。「女王とエディンバラ公の晩年には、物事の判断や進め方について、より多くをプリンス・オブ・ウェールズ(チャールズ皇太子)に委ねるようになっていました。それは当然、他のきょうだいの立場にも影響を与えました」

そして、2022年にチャールズ皇太子が国王に即位した際、彼はアンドルー王子とエプスタインとの関係をめぐる取り返しのつかないダメージを負った王室を継承することになったのだ。

ふたりの現在の関係は?

ケント公爵夫人の葬儀に出席したアンドルー王子とチャールズ国王。 Max Mumby/Indigo / Getty Images

兄弟が公の場で言葉を交わす姿が最後に撮影されたのは、9月に行われたケント公爵夫人の葬儀だった。しかし、表向きは穏やかに見えても、現在その関係をめぐっては大きな緊張が走っているという。近年、チャールズ国王はアンドルー王子への経済的支援を打ち切ったと報じられており、その結果、アンドルー王子は宮殿のように豪華な住まいのロイヤルロッジの維持費をまかなうことが難しくなった。

また、最近発表されたアンドルー王子の称号はく奪をめぐる決定についても、国王からの「強い圧力」があった末の結果であり、チャールズ国王はその結末に安堵していたとされている。

生まれながらにして定められていた役割へとついに上り詰めたチャールズ国王とは対照的に、アンドルー王子は劇的とも言える失墜を経験した。かつて王室内でも世間からも寵愛を集めていた時代とは打って変わり、彼の成人後の人生の多くは論争やスキャンダルに塗られている。

1972年にバッキンガム宮殿で撮影された王室一家のポートレート。 Fox Photos / Getty Images

転落以前から、アンドルー・マウントバッテン・ウィンザー(これが彼の今の正式な呼び名だ)は若き日の自分に郷愁を抱いていたのかもしれない。2010年、50歳の誕生日に行ったインタビューで、彼はこう語っている。「このような組織にいると、いつまでも子どものままでいられると感じてしまっても無理はないと思います。この家では幼かった頃の自分の記憶が残り続けるからです」

彼が言う「この家」とは、君主の公邸であるバッキンガム宮殿のことだ。現在、その宮殿には、兄であるチャールズ3世国王が滞在している際に掲げられる王旗が翻っている。アンドルーはもはや同宮殿に執務室を持っていない。今後、彼が再びこの建物に足を踏み入れることがあるのかどうか、その時期も含めて不透明なままだ。

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