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小泉八雲がビールを買った店はいまだ現役…戦災を免れた松江城下だから残った「ばけばけ」時代のリアルな風景

  • 2025.12.26

NHK連続テレビ小説「ばけばけ」のモデル、小泉セツとハーンは島根県松江で出会った。歴史評論家の香原斗志さんは「松江は県庁所在地としては珍しく、第二次世界大戦の空襲にほとんど遭わなかった。このため、今訪れても小泉夫妻の足跡をしっかりとたどることができる」という――。

ラフカディオ・ハーンと妻のセツ
ラフカディオ・ハーンと妻のセツ(写真=富重利平/Japan Today/PD US/Wikimedia Commons)
セツとハーンが松江ですごした9カ月

NHK連続テレビ小説「ばけばけ」の主役2人のモデル、小泉セツとラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)が、松江(島根県松江市)ですごした期間は意外と短い。

ハーンが松江に着いたのは明治23年(1890)8月31日。その後、セツがハーンの住む借家に住み込みで働くようになったのは、翌明治24年(1891)2月上旬ごろとされる。6月22日に松江城北側の内堀(北堀)に面した武家屋敷(現小泉八雲旧居)に2人で引っ越し、事実上の夫婦生活をはじめるが、その後、ハーンが熊本の第五高等中学校に転任になり、11月15日に転居した。

「ばけばけ」では、松野トキ(髙石あかり)がレフカダ・ヘブン(トミー・バストゥ)のもとで女中として働きはじめたのは、明治23年の秋ごろだから、そこから熊本に行くまで約1年あるが、史実のセツとハーンの場合、出会ってから9カ月にすぎなかった。

以後、松江に住むことはなかった2人だが、セツが生まれ育ち、じつの父母や養父母が浮沈しては振り回されたのは松江であり、挫折したのも怪談に親しんだのも松江だった。ハーンも日本に着いたのは4月4日だが、本格的に職を得たのは松江が最初で、のちの小泉八雲の活動の基礎が形成されたのも松江だった。そしてなにより、2人の生活は松江からはじまった。

そこで、セツとハーンを感じるための松江案内を以下に記したい。松江は県庁所在地としては珍しく、第二次世界大戦の空襲にほとんど遭わずに済んだ。このため、歴史上の人物の足跡をかなりしっかりたどることができ、その点で、全国でも有数の都市だといえる。

当時の松江城天守は倒壊寸前だった

「べらぼう」では、いつも城山(亀田山)のてっぺんに松江城天守が凛として佇んでいる。松江城は慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、出雲(島根県東部)と隠岐(島根県隠岐郡の島々)の24万石に封じられた外様大名の堀尾吉晴が、慶長12年(1607)ごろから築きはじめ、同15年(1610)には天守が完成した。その天守がいまに残っている。

本丸の北東に建つ4重5階地下1階のこの天守は、現存する12の天守のなかでは、1階の床面積が姫路城に次ぐ2番目、高さは姫路城、松本城に次ぐ3番目の規模で、どっしりと構えられ存在感がある。平成27年(2017)7月には国宝に指定された。

松江城
松江城

だが、じつはセツとハーンがすごした当時、この天守はいまのように凛とした佇まいではなかった。

明治6年(1773)以降、松江城ではすべての建物を払い下げることになった。そして同8年(1875)に入札が行われ、すべての建物が解体したうえで、民間に払い下げられることになり、天守まで180円(いまの100万~120万円程度か)で落札されてしまう。元藩士の有志が現れ、天守だけはなんとか買い戻したのだが、その後は放置され、荒れるにまかされた。

松江城址は明治23年(1890)、つまりハーンが松江に着いた年に旧藩主の松平家に払い下げられ、公園化の計画が立てられたものの、豪雨の被害などで天守はさらに荒廃。ようやく明治27年(1894)に修理が行われるまでは、損壊寸前だった。修理直前に撮影されたと思われる天守の写真を見ると、壁も屋根もボロボロであちこちに穴が開き、いまにも崩れ落ちそうだ。

荒れ果てた天守をセツやハーンは、どんな気持ちで仰ぎ見ていたのだろうか。

昔と変わらぬ「小泉八雲旧居」

全国の多くの城でかなりの堀が埋め立てられ、一部しか残っていないことが多いのに、外堀を含めてよく残っている点も、松江城のいいところだ。城の中核である亀田山を囲む内堀だけでなく、城下町を囲む外堀も一部しか埋められずに済んでいる。

まずは内堀の周囲を一周してほしい。亀田山の西側を歩くと、城の裏門(搦手門)の跡があって稲荷橋が架かっている。この橋を渡って亀田山に入っていくと、パワースポットとしても知られる城山稲荷神社がある。松江藩松平家初代の直政が、藩の守護神として祀った神社で、「ばけばけ」ではヘブンと知事の娘のリヨが訪れたりしている。

稲荷橋に戻ると、そのすぐ北側から西に向かって堀が延び、新橋を渡るようになっているが、その新橋の手前に「ばけばけ」の松野家のモデル、稲垣家があった。つまり、セツの養父母である稲垣金十郎とトミ、養祖父の万右衛門が、借金をかかえて没落するまで住んでいた屋敷である。敷地は171坪あった。

そのまま内堀沿いを歩くと、城の北側から東にかけての堀(北堀)に面して、「塩見縄手」と呼ばれる通りが500メートルほど続く。ここは堀尾吉晴が城を築く際、亀田山と北側の赤山のあいだを掘削して敷設した道路で、家中屋敷(大名に仕える家臣と家族が住む屋敷)が並んでいた。

塩見縄手(島根県松江市)
塩見縄手(島根県松江市)(写真=663highland/CC-BY-2.5/Wikimedia Commons)

いまも板塀が続き、堀側には造成時に植えられた松の巨木が枝を垂れる。昭和48年(1973)に松江市伝統美観保存地区に指定され、同62年(1987)には建設省による「日本の道100選」にも選ばれた。北側から歩くと、ちょうど小路がはじまったあたりに小泉八雲旧居がある。

1891(明治24年)6月から熊本に移る11月までの5カ月、セツとハーンが暮らしたのがこの武家屋敷で、侍の屋敷に住みたいというハーンの希望に対し、ちょうど家主が転勤して空いていたのだという。ハーンは庭を気に入り、帰宅すると和服に着替え、三方の庭を眺めてすごした。その当時の状態がよく保たれている。

城下をめぐる遊覧船は必須

小泉八雲旧居の東側に武家屋敷が公開されている。江戸中期に建てられた上級武家の屋敷で、一時は塩見小兵衛という武士が住み、異例の昇進を遂げたので、この人物を讃えて通りが塩見縄手と呼ばれるようになった。松江藩の家老であったこの塩見家こそ、セツの実母である小泉チエ(北川景子演じる雨清水タエのモデル)の実家だった。

ただし、チエが生まれた幕末期には塩見家の屋敷は、塩見縄手を東方に進み、城山東堀川沿いに南に進んだ先の、現在、島根県県民会館が建つ敷地内にあった。さすがは家老屋敷というだけあり、敷地は2667坪もあった。

城山東堀川の南端、大手前駐車場のところから堀川めぐりの遊覧船が出ているので、ぜひ乗ってほしい。すでに述べたように、松江城は内堀から外堀までとてもよく残っているので、かなり広範囲にわたって松江の城下町を船でめぐることができる。冬でも炬燵が備わっているので、寒さを感じずに済む。

島根県松江市、松江城
島根県松江市、松江城の堀を進む遊覧船。(写真=663highland/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons)

この船は最初に内堀を一周する。前述の新橋をくぐっていったん西に進むところでは、新橋の先のすぐ左側の稲垣家の跡をチェックしたい。続いて、塩見縄手を水上から眺めることができる。その後、三の丸(現島根県庁)の西側の堀を南下し、南側の京橋川を経由して東側の米子川に入る。

ハーンがビールを買った店

この米子川の少し東側に、セツの実父母である小泉家(「ばけばけ」の雨清水家)の、没落以前の屋敷があった。「ばけばけ」で描かれたほど広大ではなかったとはいえ、敷地面積は581坪で、セツの養家である稲垣家の3倍の広さだった。

米子川など、かつてより狭くなった堀も一部にあるが、城下町をめぐる堀がこれだけ残され、船で広範囲にわたってめぐったのちに出発点に戻れる、という事実に感動を覚える。

遊覧船で通った京橋川のすぐ北側、島根県庁とのあいだには尋常中学校跡がある。ハーンはこの尋常中学校と師範学校の英語教師として、明治23年(1890)9月から1年余り、教鞭をとった。その尋常中学校の教頭が、「ばけばけ」で吉沢亮が演じる錦織友一のモデルの西田千太郎だった。

一方、京橋川の南側の、宍道湖に面した東西に細長いエリアは、江戸時代には町人の居住区だった。そこから松江大橋がかかっているが、そのすぐ手前は、松江に着いたハーンが最初の宿にした富田旅館(「ばけばけ」の花田旅館)の跡で、現在も大橋館という旅館が建っている。

近くには、ハーンがビールを買った山口卯兵衛商店もある。「ばけばけ」で柄本時生演じる山橋才路が営む山橋薬舗のモデルである。明和9年(1772)の創業で、まちかど博物館にもなっている現在の建物も明治中期に建ったものだから、まさにセツとハーンの時代の空気を味わえる。

「ばけばけ」の名シーンの現場に行ける

松江大橋の1.5キロほど西には、松江藩主の松平家ゆかりの大雄寺がある。怪談『水飴を買う女』の舞台で、「ばけばけ」では金縛りに苦しむハーンがここでお祓いを受け、その際に住職からこの怪談を聞かされた。

大雄寺の少し西北にあるのが、怪談『松風』の舞台で清光院。「ばけばけ」には実父の雨清水傳がトキを連れて「ランデブー」して以来、たびたび登場している。

その少し北に月照寺がある。松江藩主松平家の菩提寺で、歴代藩主の墓があるこの寺には、巨大な亀の背中にのせられた石碑があり、ハーンはこの大亀にまつわる怪談を紹介している。「ばけばけ」では、境内に鎮座する多くの石狐にヘブンが魅了される場面があった。

さらに車を使うなどして足を延ばせば、縁結びの神様として知られ、鏡の池に小銭を載せた紙の小舟を浮かべる恋占いが「ばけばけ」にもたびたび出てきた八重垣神社など、まだまだスポットはある。しかし、徒歩と遊覧船だけでも、これだけ濃い街めぐりができ、そこに110年前にセツとハーンが見たものが色濃く残っているのが松江の魅力である。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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