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〈お洒落祖母&孫コンビ〉「ばあちゃんは、そりゃイケてましたよ」「70代でモデルをやるのがいい」SUMIREが明かす、祖母・浅野順子(75)からの“刺激”とは?

  • 2025.12.12

俳優、モデル、そしてアーティストと、多方面においてその才能を発揮し続けているSUMIRE。その彼女が、このたび、絵本作家としてデビューを果たした。40作以上の著書を持つ人気絵本作家・長田真作の文章を元に、SUMIREが絵を描いたその絵本の名は、『ほろほろもみじ』(303BOOKS)。もみじの落ち葉から生まれたこびとのリリアが、森に住む動物たちと出会い、心温まる物語を繰り広げる。

本書の刊行を記念する対談の相手として招かれたのは、彼女の父・浅野忠信の母で、父方の祖母に当たる浅野順子。この祖母もまた、モデル、画家として活躍するマルチな才能の持ち主である。CREA WEBで連載された音楽家・近田春夫との対談では、波瀾に富んだその半生が惜しげもなく開陳され、大きな話題を呼んだ。

孫と祖母として、アーティストとアーティストとして、互いのクリエティビティが響き合うこの二人ならではの対話をお届けする。(前後編の後編/はじめから読む)

SUMIREさん(左)と浅野順子さん(右)。

「ばあちゃんは目立つから、ステージからでもわかる(笑)」

順子 SUMIREは、今年の10月から、俳優としての名義を、本名の「佐藤菫」に改めたんでしょ。

SUMIRE そう。モデルやアーティストとしては、SUMIREのまんまなんだけど。

順子 なるほど。だから、『ほろほろもみじ』の著者としてのクレジットはSUMIREのままなのね。改名には、何かきっかけがあったの?

SUMIRE やっぱり、ローマ字表記だとアーティストっぽさが強すぎるかなって。役者としては、本名の方がしっくりくると思う。

順子 そうね。弟のHIMI君も、ミュージシャンとしてはローマ字のファーストネームで活動してるけど、俳優としては「佐藤緋美」を名乗ってるもんね。それに、単にSUMIREだと、同名の人が割といて、検索しづらくはあるのよ。

SUMIRE ここから、俳優として再スタートできればと思ってる。

SUMIREさん。

順子 俳優、モデル、そしてアーティスト、三足の草鞋を履きこなすってのは、ちょっと大変じゃないの?

SUMIRE バランスを取るのは、なかなか難しいかも。映画やドラマの撮影が入っちゃったりすると、どうしても絵を描く時間が削られるからね。今年は、絵本も出したし、絵の展示も行ったし、特に絵に力を注いだ年になったと思う。

順子 私、SUMIREの仕事は、どれをとっても大好きなのよ。

SUMIRE いつも応援してくれてるもんね。舞台挨拶があったりすると、決まってばあちゃんは見に来てくれてる。目立つから、ステージからでも分かるよ(笑)。

順子さん。

順子 大学に入りたての頃、「装苑」の専属になったのが、モデルとしての本格的なデビューだったよね。あの号が出た時は、発売当日にマンションの向かいのコンビニに買いに走ったのを覚えてる。そして、すぐ仏壇に供えたわよ(笑)。

SUMIRE そんなことしてたんだ。

順子 ええ。今日もらったばかりの『ほろほろもみじ』も、さっそく仏壇にお供えするわ。SUMIREのひいばあちゃん、つまり私の母もきっと喜んでくれるわよ。

ジム帰りに順子さんの部屋に寄るのがルーティーン

SUMIRE ひいばあちゃんは、この部屋でばあちゃんと暮らしてたんだよね。亡くなった時、私は小学2年生か3年生だった。

順子 私、SUMIREの仕事で一番印象に残ってるのは、3年前に放送された深夜ドラマ「階段下のゴッホ」(TBS系)。

SUMIRE 役者として、私が初めて主演を務めた作品ね。

順子 職業を持つ女性がふとしたきっかけから画家を目指すというストーリーは、SUMIRE本人とも重なるじゃない。

撮影中、スケッチブックに絵を描く二人。

SUMIRE なるほど。

順子 あのドラマで、大きなキャンバスに絵を描いてるシーンは、すごく記憶に残ってる。あと、おととしかな、アクション物にも出てたじゃない?

SUMIRE ああ、「インフォーマ -闇を生きる獣たち-」(ABEMA)ね。

順子 あれもよかった。あの演技では、ずっとキックボクシングを習ってる成果が発揮されたんじゃないの?

SUMIRE キックのジムにはここ3、4年通ってるけど、ドラマや映画のアクションとはまた動きが違うからなあ。どっちかというと、健康維持のためにやってる感じ。

二人の絵。

順子 キックボクシングの試合には出場したりしないの?

SUMIRE よく誘われるんだけど、万が一、顔に怪我しちゃったら周りに迷惑をかけるんで、出ないことにしてる。

順子 そうかそうか。まあ、キックボクシングのジムがうちから近いんで、その帰りにSUMIREがしょっちゅうこの部屋に立ち寄ってくれることは、とてもありがたいと思ってるんだけど(笑)。

SUMIRE これからもお邪魔しますよ。ばあちゃんだけじゃなく、愛犬にも会いたいしさ(笑)。

順子 演技の話でいえばさ、忠信からは、何か助言を受けたりすることはあるの?

SUMIRE 全然。お互い何かと忙しくって、会う機会も少ないから。そもそもが、うちの家族は、みんなそれぞれの道を歩んでる感じだし。

順子さんは70代でモデルデビュー! 孫・SUMIREさんの評価は?

順子 そうだよね。家族とはいえ、別々の個性の持ち主なわけだもん。それについて、本人以外が決めつけるべきじゃない。

SUMIRE ここ数年のばあちゃん、モデル活動を本格化させたじゃない? 私はあれ、めっちゃいいと思ってるよ。

順子 あら、ずいぶん褒めてくれるのね(笑)。

アトリエに佇む順子さん。

SUMIRE この歳になってからやるっていうのがカッコいい。年齢とセンスには関係がないってことを証明してると思う。

順子 モデルとしての私の仕事、どれがよかった?

SUMIRE どれも甲乙つけがたいけど、ロエベのビジュアルが、すごくよかったな。

順子 感謝感謝。今後も頑張ります(笑)。

SUMIRE モデルとして、まだまだ可能性があるはず。期待してますよ。

順子 そういえば、CREA WEBで連載された近田春夫さんと私の対談、SUMIREは読んでくれた? 半生について、聞かれるままにいろいろ語っちゃったのよ。

SUMIRE 読みました。今まで、ばあちゃんの若い頃の話は断片的に聞いていたけど、ああやってまとめて読むと、すごい時代を生きてきたんだなあと感心した。

順子 そうなのよ。我ながら、大した人生だなと思ったわよ(笑)。

SUMIREさんと順子さん。

SUMIRE 初めて知ったエピソードも多かった。ばあちゃんが若い頃の本牧とか中華街とか、あんな感じだったんだって、驚いた。

順子 はいはい。「クレオパトラ党」の時代ね。私たちは、後に世界的なモデルになった山口小夜子やタレントになったキャシー中島と一緒にクレオパトラ党を名乗ってたのよ。横浜で外車を乗り回したりナンパしたりと派手に遊び回ってた男性グループ「ナポレオン党」の女性版ってことで、そんな名前になっちゃったんだけど、今考えても、ちょっと気恥ずかしいネーミングよね(笑)。

SUMIRE 私の周りでも、「SUMIREのおばあちゃんの記事読んだよ」ってわざわざ教えてくれる人が結構いたよ。ばあちゃんのインスタも、チェックしてる知り合いが多いみたい。

順子 それは本当にうれしいことだね。

SUMIRE ばあちゃんは、若い頃からの友達とずーっと仲がいいよね。

順子 だから、私の友達はみんな、SUMIREにとっちゃ親戚のおばさんみたいな感じだもんね(笑)。特に、関内の弁天通りで「サリーズ・バー」を切り盛りしてるサリーとは親しいよね。

クレオパトラ党に所属していた、10代の頃の浅野順子さん(本人提供)

SUMIRE この間も、サリーズ・バーに行ったよね。バーそのものはカウンターだけで小さいけど、一年に一度、あの店が主催するパーティーがすごいらしくって。

順子 そうそう。中華街の「ローズホテル横浜」の一番広い宴会場を借りてやるんだけど、生バンドを3、4組入れるわ、贅沢な賞品が当たるビンゴゲームをやるわ、料理は重慶飯店の食べ放題ビュッフェだわで、とにかく豪勢なのよ。

SUMIRE 噂はかねがね聞いてます。

順子 あまりにも準備が大変だから、去年の25周年をもっておしまいにしたものの、あまりにもまた開いてほしいという要望が多いから、来年はまたやるかもしれない。

SUMIRE まだ一度も行ったことがないから、もしも次があるなら行きたいな。

順子 ぜひぜひ! もちろん大歓迎よ!

SUMIRE 人生の大先輩として、ばあちゃんから私に何かアドバイスはある?

順子さんがアメリカで購入したという、幼少期のSUMIREさんの靴。アトリエで大事に保管されている。

順子 はいはい。健康のことにさえ気をつけてくれたら、私からはどうこうなんか言わないわよ。自分の人生は、自分で切り開いていくしかないんだからさ。

SUMIRE 了解。これからも、素敵なばあちゃんでいてください!

SUMIRE(すみれ)

1995年生まれ。俳優(佐藤菫名義)、モデル、アーティスト。2014年から「装苑』専属モデルを務めた。18年に映画「サラバ静寂」で俳優デビュー。アーティストとしては23年秋に初の絵画個展「たまごがゆめをみていた」を開催するなど、幅広く活動している。

浅野順子(あさの・じゅんこ)

1950年横浜市出身。ゴーゴーダンサー、モデルなどを経て結婚し、ミュージシャンのKUJUN、俳優の浅野忠信の2児を儲ける。ブティックやバーの経営に携わった後、独学で絵画を描き始め、2013年、63歳にして初の個展を開催。その後、画家として創作を続ける。ファッションアイコンとしても注目を浴び、現在は、さまざまなブランドのモデルとしても再び活動を繰り広げている。

文=下井草 秀
写真=佐藤 亘
ヘアメイク(SUMIRE)=Hanna

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